婚約破棄されたい令嬢ですが、婚約者も婚約破棄したがっているなんて知りません
公爵令嬢レティシア・フォン・クラウゼンには、人生で最も大切なものがある。
それは恋でも、社交でも、宝石でもない。————魔術研究である。
新しい術式を発見した瞬間の震え。
古代魔法陣の欠落部分がぴたりと埋まったときの快感。
徹夜明け、机に突っ伏しながらも「あと一式だけ」と羽根ペンを握る幸福。
それこそが、レティシアの人生だった。
だから彼女は、結婚したくなかった。
特に、王族になど嫁ぎたくなかった。
王家の婚約者。第二王子妃。⋯⋯聞こえは良い。
だがその実態は、式典、茶会、挨拶、公務、慈善活動エトセトラ⋯⋯。
そんなものに時間を奪われたら、魔術研究ができなくなる。それだけは絶対に嫌だった。
しかし、彼女の婚約者は王国第二王子アルヴィン。
王家と公爵家が結んだ正式な婚約である。
絶対に結婚などしたくないが、こちらから破棄など申し出れば、公爵家の評判に傷がつく。
父にも母にも迷惑がかかる。
ならばどうするか。
答えは一つ。
——殿下から婚約破棄していただく。
レティシアは決意した。
嫌われよう。
完璧に、華麗に、誰が見ても「これは王子が婚約破棄しても仕方ない」と納得するほどに。
こうして、彼女の作戦は始まった。
一方その頃。
第二王子アルヴィン・レオ・エルディアにも、人生で最も大切なものがあった。
それは王位でも、権力でも、名声でもない。————音楽である。
朝の静けさに旋律を拾い、夜の月明かりに和音を重ねる。
竪琴の弦に指を置いた瞬間だけ、彼は王子ではなく、ただの一人の音楽家になれた。
だから彼もまた、結婚したくなかった。
特に、公爵令嬢となど結婚したくなかった。
レティシア・フォン・クラウゼン。
王国随一の才女であり、完璧な淑女。あらゆる貴族教育も完璧。家柄も申し分ない。
そんな完璧な女性と結婚したら、周囲は当然のように言うだろう。
「アルヴィン殿下も、そろそろ音楽など控えて政務を」
冗談ではない。
音楽は「など」ではない。命である。
しかし、こちらから婚約破棄を申し出れば、王家が公爵家を軽んじたことになる。
政治的にも社交的にも面倒だ。
ならばどうするか。
答えは一つ。
——レティシア嬢から婚約破棄してもらう。
アルヴィンは決意した。
嫌われよう。
徹底的に、鮮やかに、彼女が「この方とは結婚できません」と言い出すほどに。
ただし二人は、お互いが同じことを考えているとは知らなかった。
これは、婚約破棄されたい男女が、互いに嫌われようと奮闘する頭脳戦の物語である。
◆
とある日、第一戦目。
レティシアは、婚約者との茶会に白衣で現れた。
王宮の薔薇園。
貴族令嬢ならば、季節のドレスに宝石を合わせ、香水を一滴まとって来る場である。
だがレティシアは違った。
魔術院の白衣、簡単に束ねただけの髪。手袋には魔石粉。袖には小さな焦げ跡。
淑女としては、かなり危うい。いや、余裕でアウトだ。
レティシアは内心で微笑んだ。
——完璧だ。
これで殿下は思うはずだ。公爵令嬢なのに研究狂いすぎる。王子妃には不向きだ。婚約破棄しよう、と。
「レティシア嬢」
アルヴィンが立ち上がった。
銀髪に青い瞳。相変わらず、腹立たしいほど美しい。
彼はレティシアの姿を見て、静かに目を見開いた。
来た!幻滅の瞬間————!
勝利の鐘が鳴る——筈だった。
「素晴らしい」
「⋯⋯はい?」
「その白衣、よく似合っている。知性と情熱を感じる」
レティシアは固まった。
「焦げ跡もいい。努力の証だね」
「焦げ跡が、いい?」
「うん。僕は好きだ」
失敗した。
一方、アルヴィンも同じ茶会で作戦を実行していた。
彼は机の上に、山ほどの楽譜を置いた。そして告げる。
「今日は君に、僕の新曲を七曲ほど聴いてもらいたい」
普通の令嬢なら、王子の演奏には喜ぶ。
だが七曲。しかもすべて未完成。
途中で止まり、やり直し、また止まる。
これを延々と聴かされれば、いかに完璧な淑女でもうんざりするはず。
アルヴィンは内心で頷いた。
これで彼女は思うだろう。この方は音楽ばかりで面倒だ。結婚など無理、と。
「では、一曲目を」
竪琴の音が庭園に響く。それを、レティシアは静かに聴いた。
そして、二曲目、三曲目、四曲目。
アルヴィンは何度も弾き直した。
それでもレティシアは逃げなかった。
そして七曲目が終わったとき、彼女はぽつりと言った。
「三曲目の第二旋律ですが」
「うん?」
「あれは一曲目の主題を変形させたものですか?」
アルヴィンは驚いた。
「わかるのかい?」
「魔術式の展開に似ていましたので。基礎式を変形して別効果を生むときの構造に近いです」
「⋯⋯なるほど」
「ただ、五曲目の中盤は少し不安定です。音が喧嘩しています」
「⋯⋯驚いた。僕もそこに悩んでいたんだ」
「魔術なら、補助式を一つ挟みます」
レティシアは紙にさらさらと図を書く。
アルヴィンは覗き込んだ。
「それを音にすると⋯⋯こうかな」
アルヴィンが竪琴を弾くと、美しい和音が鳴った。
レティシアの目が輝く。
「今のです!」
「だよね!良かったよね?」
「はい。見事に安定しました」
「ありがとう!」
「いえ⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
二人はしばし沈黙した。
お互い、同時に思った。
————なぜ盛り上がっているのだろう。
◆
別の日、第二戦目。
レティシアは、あえて王子に嫌われるため、今日の茶会では魔術の話しかしないことにした。こんな喋ることやること魔術ばかりのトンチキ女、嫌に決まっているだろう。
「殿下、昨夜ついに古代ルナリア式の欠落構文を三十七箇所復元しました」
「それはすごいね」
「三十七箇所です」
「うん」
「⋯⋯⋯⋯普通、引きませんか?」
「なぜ?」
「三日寝ていません」
「それは引くというより心配してしまうな」
アルヴィンは眉を下げた。
「ちゃんと眠っているのかい?」
違う。そうではない。
心配されたいのではない。嫌われたいのだ。
レティシアはさらに畳みかけた。
「ちなみに、眠気覚ましに失敗して実験室の天井を燃やしました」
「怪我は?」
「ありません」
「ならよかった」
「⋯⋯よくありません。天井を燃やしたのですよ?」
「情熱的だね」
「情熱的で済ませないでください⋯⋯」
なぜか好意的に解釈される。
今日も失敗だ。レティシアは奥歯を噛んだ。
◆
第三戦目。
アルヴィンは、あえて王子らしくない姿を見せることにした。
彼はレティシアを王宮の一室に招いた。
そこは美しい応接間————ではなかった。
床には楽譜、椅子にも楽譜、机にも楽譜。紅茶を置く場所すらない。
アルヴィンは思った。
——これで完璧だ。整った生活を好む公爵令嬢なら、必ず嫌がる。こんな楽譜まみれで散らかった部屋、さぞ幻滅するだろう、と。
「すまない、片づける時間がなくて」
もちろん嘘である。
わざと散らかした。昨日の夜、メイドが片づけようとするのを涙目で止めた。
レティシアは部屋を見渡すと、静かに呟く。
「⋯⋯なるほど」
——来た!軽蔑か、失望か。どちらにせよ、この婚約関係は終わりだ!
「この散らかり方には規則性がありますね」
「え?」
「右側が完成曲、左側が未完成曲。椅子の上は保留。床に落ちているものは没案に見せかけて、実は未練がある曲」
アルヴィンは絶句した。
「なぜわかったの?」
「私の研究室と同じです」
「同じなのかい?」
「はい。私の床も、だいたい思考の地図です」
アルヴィンは胸を押さえた。
少し感動してしまった。
いけない。嫌われる作戦だったはずだ。
しかし、同志を見つけた喜びを、噛み締めないことができないアルヴィンであった。
◆
第四戦目。
レティシアは、王宮舞踏会で決定打を放つことにした。
ダンスを断る————。
婚約者からのダンスを断るなど、かなりの無礼である。
これなら殿下も怒るはず。
舞踏会の夜。アルヴィンがレティシアに手を差し出した。
「レティシア嬢。一曲、踊ってくれるかな」
レティシアは予定通り、申し訳なさそうに微笑んだ。
「申し訳ございません、殿下。私、今夜は踊れません」
「体調が悪いのかい?」
「いえ」
レティシアは堂々と言った。
「新しい術式を思いついてしまったので、今すぐ帰って書き留めたいのです」
周囲の令嬢たちがざわめいた。
完璧だ————。これぞ研究狂い。
婚約者より魔術を優先する女。最早ここまでやると既に公爵家に迷惑がかかっている気もするが、婚約破棄をするよりはマシだ。
さあ、怒ってください。
婚約破棄してください。
だがアルヴィンは、驚くほど真剣な顔になった。
「それは大変だ」
「⋯⋯はい?」
「発想は逃げる。すぐに書いたほうがいい」
「え、ええ」
「馬車を用意させよう。紙とインクはある?」
「あります」
「足りなければ僕の楽譜用紙を持っていくといい」
ざわめきが、今度は別の色に変わった。
「まあ⋯⋯殿下はなんてお優しいの⋯⋯」
「レティシア様の才能を尊重していらっしゃるのね」
「理想の婚約者ですわ」
違う。なにもかも違う。
レティシアは帰りの馬車で頭を抱えた。抱えながら、足りない用に渡された楽譜用紙をなんとなく眺めていた。
◆
第五戦目。
アルヴィンは、レティシアを怒らせるため、彼女の研究発表会に大量の花を贈った。
華美な贈り物。研究の場には不釣り合いだ。
しかも花束の中には、小さな音符型の飾りを忍ばせた。
真面目な彼女なら、きっと言うだろう。
研究発表を飾り物のように扱わないでください、と。
だがレティシアは花束を見て、目を細めた。
「殿下」
「うん」
「この花の配置⋯⋯もしかして、音階になっていますか?」
アルヴィンは固まった。
「⋯⋯気づいたのかい?」
「ええ。赤薔薇がド、白百合がミ、青い小花がソ。三和音ですね」
「ただの嫌がらせ⋯⋯いや、装飾のつもりだったんだけど」
「面白いです」
「面白い?」
「花の色彩と音階を対応させ、さらに魔力属性と結びつければ、新しい儀式魔術に応用できるかもしれません」
彼女は花束を抱えたまま、研究室へ走っていった。
後日、その研究は王立魔術院で高く評価された。
論文の謝辞にはこう書かれていた。
『着想のきっかけをくださったアルヴィン殿下に感謝を』
アルヴィンは頭を抱えた。
なぜだ。なぜ嫌われない。
それどころか評価が上がっている。いよいよどうすれば良いのか全く分からなくなってきた。
◆
第六戦目。
レティシアは、社交界で噂を流した。
「クラウゼン公爵令嬢は、婚礼衣装の刺繍に防御術式を入れようとしているらしい」
「初夜の寝室にも結界を張るつもりらしい」
「夫婦の寝室より、個人研究室を広くしたいらしい」
すべて本心だった。
これを聞いた王子が引かないはずがない。
————だがアルヴィンは、噂を聞いて少し考え込んだあと、側近に言った。
「寝室に防音魔術を組み込むことは可能かな」
「殿下?」
「作曲に集中できる」
噂はさらに広がった。
「殿下はレティシア様の研究室に、ご自身の音楽室を隣接させるおつもりらしい」
「まあ、常にそばにいたいのね」
「なんて仲睦まじい」
違う。断じて違う。
レティシアは頭を抱えた。
◆
第七戦目。
アルヴィンは、ついに禁じ手を使った。
レティシアに、自作の恋歌を贈ったのである。
もちろん本気ではない。だが、自作の恋歌を贈るなど、キザすぎて重すぎる。大抵の女性は引いてしまうだろう。そんな贈り物で引かせる作戦だった。
題名は『君の瞳に沈む月』。
我ながら恥ずかしい。——しかし、これならどんな令嬢でも困る。今回は自信満々だ。
レティシアは楽譜を受け取り、沈黙した。
長い沈黙だった。
来た————!ついに嫌われたか。
アルヴィンが勝利を確信していると、レティシアがバッと顔をあげる。
「殿下!!」
「うん」
「この曲————呪詛返しに使えます」
「⋯⋯⋯⋯はい?」
「旋律の反復構造が、悪意の循環を逆流させる形に近いのです。恋歌としてはよくわかりませんが、防御魔術としては非常に優秀です」
「恋歌としては?」
「よくわかりません」
「そ、そう⋯⋯」
「ですが研究素材としては素晴らしいです」
アルヴィンは負けた。
恋歌は魔術防壁になった。
その防壁は後に、王都の外壁結界の改良に使われた。
民は讃えた。
「殿下とレティシア様の愛が王都を守った!」
二人は同時に叫びたかった。
愛ではない。事故である。
こうして、二人の嫌われ作戦はことごとく失敗した。
それどころか、世間の評価は上がり続けた。
レティシアは「王子の芸術を理解する知性の薔薇」。
アルヴィンは「婚約者の才能を支える理想の王子」。
社交界では、二人の結婚を待ち望む声が日に日に大きくなった。
そしてついに、王妃から正式に告げられた。
「来春、あなたたちの婚礼を行いましょう」
レティシアは青ざめた。
アルヴィンも青ざめた。
だが二人は、お互いの青ざめた顔を見て、別々の勘違いをした。
レティシアは思った。
殿下は私との結婚が楽しみすぎて緊張しているのね。⋯⋯申し訳ない。私は絶対に結婚したくない。
アルヴィンは思った。
レティシア嬢は王族に嫁ぐ覚悟で緊張しているんだ。⋯⋯申し訳ない。僕は絶対に結婚したくない。
その夜。
二人は同時に最後の作戦を決意した。
婚約破棄を相手に決断させる、最大にして最後の一手。
レティシアは、アルヴィンを王宮の研究室に呼んだ。
「殿下、大切なお話があります」
「実は僕も、君に話がある」
二人は向かい合った。
机の上には、魔術式と楽譜が積まれている。
いつの間にか、二人の作業道具は同じ机に並ぶようになっていた。
だが今日は決戦の日。
レティシアは深く息を吸った。
「殿下、私は結婚後も、絶対に毎日十時間は研究させていただきます」
アルヴィンは目を見開いた。
来たか。彼は内心で頷いた。
ならばこちらも。
「僕も、毎日十時間は音楽をする」
レティシアは驚いた。
負けじと続ける。
「公務は最小限にしたいです」
「僕もだ」
「夫婦の寝室とは別に、個人研究室が必要です」
「僕も個人音楽室が必要だ」
「夜中に実験することがあります」
「夜中に作曲することがある」
「爆発することもあります」
「音が爆発することもある」
「食事中に術式を考えます」
「僕は食事中に旋律を考える」
「会話がなくても怒りません」
「むしろ助かる」
「記念日を忘れるかもしれません」
「僕も忘れるかもしれない」
「贈り物は宝石より魔石がいいです」
「僕は宝剣より楽器がいい」
二人は黙った。
あれ⋯⋯おかしい。なぜか条件が噛み合っている。
レティシアは恐る恐る言った。
「殿下⋯⋯もしかして、結婚したくないのですか?」
アルヴィンも恐る恐る言った。
「君も⋯⋯結婚したくなかったの?」
長い沈黙。
——そして二人は同時に叫んだ。
「もっと早く言ってください!」
「そちらこそ!」
ついに、真実が明かされた。
レティシアは魔術研究に生きたいから結婚したくなかった。
アルヴィンは音楽に生きたいから結婚したくなかった。
二人は互いに婚約破棄されたがっていた。
そして半年以上、互いに嫌われようとしていた。
白衣も、七曲演奏も、魔術語りも、散らかった楽譜部屋も、舞踏会からの逃亡も、恋歌も。全部、嫌われるためだった。
「最悪です」
レティシアは額を押さえた。
「本当に最悪だ」
アルヴィンも頭を抱えた。
「私たち、何をしていたのでしょう」
「お互いの好感度を上げ合っていた」
「上げるつもりはなかったのに」
「僕もだよ」
二人はしばらく落ち込んだ。
だが、レティシアはふと顔を上げた。
「⋯⋯待ってください」
「どうしたの?」
「私たち、結婚したくなかった理由は同じです」
「趣味の時間が減るからだね」
「はい。ですが、もし結婚相手が互いの趣味を完全に理解し、邪魔せず、むしろ支援できる相手なら?」
アルヴィンが黙った。
レティシアは続けた。
「私は殿下の音楽に口を出しません。むしろ魔術で音響設備を改良できます」
「僕は君の研究を邪魔しない。むしろ社交の場で君の研究価値を広められる」
「夫婦の会話が少なくても問題ない」
「同じ部屋で別々のことをしていても平気」
「記念日を忘れてもお互い様」
「贈り物も実用品で済む」
「寝室には防音と防爆の二重結界」
「最高では?」
二人は顔を見合わせた。
そう。相手が普通の貴族なら、結婚は地獄だった。
だが、この相手なら。魔術狂いのレティシアと、音楽狂いのアルヴィンなら。
むしろ、結婚したほうが趣味に生きられる。
なぜなら二人は、互いの異常さを理解できる唯一の相手だったから。
「レティシア嬢」
「はい」
「⋯⋯⋯⋯結婚、する?」
「条件次第です」
「条件は?」
「————研究時間一日十時間保証。王宮内に専用研究棟。実験失敗時の修繕費は共同予算。夫婦行事は月二回まで」
「いいね。僕からも条件を。音楽時間一日十時間保証。専用音楽室。深夜作曲への苦情禁止。新曲発表時の感想は最低三行」
「感想三行は重いですね」
「君の論文感想二十枚より軽い」
「それは確かに」
二人はその場で婚姻契約書を書き始めた。
それは王国史上、最も色気のない婚姻契約書だった。
第一条、互いの研究および創作活動を妨害しない。
第二条、相手の集中時間に話しかけない。
第三条、爆発および大音量については事前申告を努力義務とする。
第四条、社交行事は交代制で出席してよい。
第五条、互いの成果物には敬意を払う。
第六条、困ったときは助ける。
第七条、極力仲良くする。
「最後の条文、雑では?」
「大事だよ」
「まあ、大事ですね」
こうして二人は、婚約破棄を目指した結果、結婚することになった。
翌春。
王都中が祝福する中、レティシアとアルヴィンの婚礼が行われた。
参列者は皆、涙ぐんだ。
「互いを深く理解し合った理想のご夫婦ですわ」
「長い愛を育まれたのね」
「運命のお二人だわ」
二人は微笑みながら、心の中で思った。
違う。最初は本気で破談にしたかった。
だが、もう訂正する必要もなかった。
結婚後、二人は王宮の一角に新居を構えた。
左側にはレティシアの研究棟、右側にはアルヴィンの音楽室。中央には、二人で紅茶を飲むための小さな居間。
朝、レティシアは魔術式を書き、アルヴィンは旋律を書く。
昼、二人は互いの成果を少しだけ見せ合う。
夜、レティシアの実験が爆発し、アルヴィンの新曲が爆音で響く。
使用人たちは最初こそ怯えたが、やがて慣れた。
「今日は奥様の爆発が小さめですね」
「殿下の曲も穏やかですわ」
「平和な日です」
もちろん、二人の生活は普通の夫婦とは少し違った。
甘い言葉は少なく、舞踏会も最低限。
贈り物は宝石ではなく、魔石と弦。
記念日の夕食では、二人とも途中で新しい発想を得て無言になった。
だが、それでよかった。誰も怒らない。誰も寂しがらない。
むしろ、相手が集中している姿を見ると安心した。
ある夜。
レティシアが研究室で術式を書いていると、隣の音楽室から新しい旋律が聞こえてきた。
静かで、優しくて、少しだけ楽しげな曲。
レティシアはペンを止めた。
「アルヴィン」
隣室の扉が開く。
「どうしたの?」
「その曲、好きです」
アルヴィンは目を丸くした。
それから、嬉しそうに笑った。
「ありがとう。君のことを考えて作った」
「⋯⋯なら、呪詛返しには使えませんね」
「恋歌だからね」
「恋歌は難解です」
「いつか理解してくれればいいよ」
レティシアは少し考えた。
そして、自分の机から小さな魔石を取った。
「では、これを」
「これは?」
「あなたの曲に合わせて光る魔石です。試作品ですが」
「僕に?」
「はい」
アルヴィンは大切そうに受け取った。
「最高の贈り物だ」
「宝石より実用的でしょう」
「うん。君らしい」
彼は魔石を竪琴のそばに置いた。
旋律に合わせて、淡い光が揺れる。
レティシアはその光を見ながら思った。
結婚は、研究の敵だと思っていた。だが、どうやら違ったらしい。——少なくとも、この人との結婚は。
アルヴィンもまた、光る魔石を見ながら思った。
結婚は、音楽の邪魔だと思っていた。だが、どうやら違ったらしい。——少なくとも、この人との結婚は。
二人は互いに婚約破棄されたがっていた。
互いに嫌われようとしていた。それなのに、最終的には結婚した。
そして、なんやかんや幸せになった。
王国の人々は後にこう語る。
第二王子アルヴィンと公爵令嬢レティシアは、は互いの才能を認め合う理想の夫婦だった、と。
ただし、本人たちだけは知っている。
その始まりが、壮大な勘違いと、失敗だらけの嫌われ作戦だったことを。
今日も王宮の一角では、魔術の爆発音と竪琴の旋律が響いている。
そしてその中心で、二人は笑っている。
恋かどうかは、まだ少し難しい。けれど幸せかと問われれば、答えは一つ。
——間違いなく、幸せである、と。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ブックマークや評価いただけると大変モチベーションに繋がりますので、よろしくお願いいたします。
また、毎週土曜日20時に異世界恋愛ジャンルの短編を投稿しています。
最新作の更新通知も行いますので、良ければXのフォローもよろしくお願いいたします。
@MokaSufure
***
現在、毎日21時投稿で異世界恋愛ジャンルの長編を更新中です。そちらもぜひ、よろしくお願いします。
【連載版】王宮結界樹の管理を解任されたので田舎で暮らします。私を追いかけてきたのは王子ではなく結界樹でした
https://ncode.syosetu.com/n7991mk/




