恐怖(親切な少女)との遭遇
「…………、…………」
肩を揺する優しい振動によって、微睡に落ちていた意識がゆっくりと現実に帰還する。
未だ瞼は開かれず視界は暗闇なれど、わずかな音が聞こえた。
「……………ぃ!」
その振動と音は止まず、微睡を望む意志を無理矢理に覚醒させてゆく。少しずつ五感が本来の機能を取り戻し、脳内が状況を認識せんと情報を求め始める。
「……ょうぶですかー?」
脳からの指示を受け、ようやく五感の機能が十全となる。
この体の意思が、聴覚、触覚から得られる以上の情報を求め、瞼を上げた。
「あ、よかった。目が覚め」
「やぁーーーーーー!?」
開口一番、わたしは叫んだ。
「ええ!?ちょっ、どうしたの!?大丈夫!?どこか痛い!?」
目を覚ましたわたしの目前には、肩に届く程度に伸ばされた赤橙色の髪、黄色のつぶらな瞳、どことなく気品を感じさせる顔立ち、女性らしさを感じさせる体つき、そしてわたしが着ているものと同じ制服、それらをもってわたしの顔を覗く正体不明の少女がいた。
わたしは捕食者に睨まれた小動物よろしく身を縮め、椅子の上でガタガタと体を震わせながら、声をかけてきた少女の一挙手一投足を注視する。
赤の他人に話しかけられること、目前まで接近されること、至近距離で顔を覗き込まれること、わたしにとってはその全てが許容範囲を超えた出来事だった。
今のわたしの心情を端的に表せば、すりーあうと交代、だからお家に帰らせて、とでもいうべきか。
けれど、そんな軽口のような何かを臆面もなく口に出せるのならばここまで人嫌いをこじらせることもなかっただろう。
「その、入学式が終わっても席に座ったままの人がいるなって気になって、近くに寄ってみたら顔色も悪いし意識もないみたいで、心配になって。それで声をかけたんですけど、ええと、大丈夫、ですか…………?」
少女は突然叫び声を上げたわたしを気遣ってか、今に至るまでの経緯を簡単に説明してくれた。
少女の声音や表情、様子などから、なんとなくではあるが、彼女が全くの善意を持ってわたしのことを心配してくれているのだということが伝わってきた。そして、彼女が裏表のない優しい人物なのだということも。
だがそれはそれとして、わたしが好感を抱くようなことはなく、むしろ彼女は恐怖の対象でしかなかった。それはなぜならば、わたしにとって対象が人間だというだけで好感度は地の底を突き抜け、大きなマイナスから始まってしまうからだ。
中には例外もいるが、それは家族であるアサナたちや幼いころからの知人など、ごくごく少数に限られる。
つまるところ、わたしにしてみれば善意をもって声をかけてくれた彼女も、悪意を持って声をかけてくる野党も、恐怖の度合いとしてはどちらも大して変わらないのだ。
…………いや、むしろ野党であれば暴力に訴えかけられるだけマシまである。
ああ、今のわたしには見るもの全てが恐ろしくてたまらない。このような状態で対人レベルがマイナスに振り切ったこのわたしが生きていけるものか。きっと、遠からずわたしは孤独死してしまうのだろう。
ううっ、それもこれも全てあの薄情者のせいだ!死んだら呪ってやる!
そんなふうに頭の中でわたしを無理やりに送り出したあの赤い悪魔へ愚痴をぶつけていると、再度目前の少女が口を開いた。
「あの、本当に大丈夫ですか?あたしも付き添いますから、保健室に行きましょう?あ、歩くのも辛いなら先生呼んできますし…………」
どうやら寝起きの叫び以降一言も発さずただ震えてばかりいるわたしを心配してくれているようだ。
その行動、提案が善意からきているということは十分にわかっているのだが、その上でなお放っておいてくれと叫びたかった。まあ、そんなことはできるはずもないのだが。
彼女は保健室へ向かうか先生を呼んでくるかと言った。だが、わたしにとってはそのどちらもがなんとしても避けなければならない未来だった。
というのも、わたしはこの場にいる少女一人と会話、と呼べるかどうかも怪しいところだが、をしているだけですでに精一杯なのだ。
喉はひどく渇き、目は勝手に潤み、吐き気はなくとも気持ち悪く、心臓はバクバクと鳴り響き、精神的に限界ギリギリだった。
もしこれで保健室の先生、あるいは近くにいた先生、どちらにしろ目前の人数が増えるようなことがあればどうなるか。
きっと、心臓の鼓動がさらに早まり、あまりの速度に血管は耐え切れず、千切れ、全身から血を吹いて倒れるのではないだろうか。
…………まあ、それは言い過ぎだとしても、少なくとも意識は確実に失うだろう。
そうならないためにも、わたしは彼女へ自分が健康だと、どこも悪くないのだと、そう伝えなければならない。
なに、簡単なことではないか。
ただ一言、大丈夫ですと、それだけ伝え、頭でも下げて少女の横を通り抜ければいいのだ。流石のわたしでもそれくらいならできる。できるはず。できるといいなぁ。
そうやって思考しているうちに、彼女もいよいよ痺れを切らしたのか、わたしの言葉を待たずに先生を呼ぼうと、周囲を見まわし始めた。
わたしはその行動に焦り、彼女に先んじなければと重く感じる口を無理矢理に動かし、声を上げる。
「…………っ、だっ!」
「??…………だ?」
わたしの決死の声に気がついたのか、周囲にやっていた視線をこちらへ向け、彼女はわたしの口から漏れた単語をそのまま繰り返した。
そんな少女を視界におさめながら、わたしは自らの意思を伝えるため、覚悟を決め――――
「だだだっだ、だだだだだ、だだだだっ、だいじょぅびゅです!!!」
――――そう、言い放った。
「……………………」
「……………………」
…………もう、学園まるごと更地にしちゃおっかな。
「あー、えっと…………。体調が大丈夫ならよかったです!一人で帰れますか?」
――――やだ、この人優しい!
少女は先ほどの盛大なまでの噛みっぷりなんてなかったかのようにそう口にし、わたしを気遣ってくれた。
わたしは言葉で意思疎通することを諦め、頷くことで彼女へ返答する。あんな醜態を晒してなお言葉による会話を続けようと思えるほど、わたしの心は強くないのだ。
「そうでしたか。なら本当に余計なお世話でしたね。…………でも、顔色がすぐれないですし、目元に隈も見えますよ。あまり無理しすぎないようにしてくださいね?」
彼女はそう口にして前屈みになっていた体を起こし、わたしの後方へと視線を移す。
「…………って、うわやばっ、もうこんな時間。ごめんなさい、あたしもう行きますね!また今度会えたらお話ししましょう!」
少女はそれだけ言い残すと、わたしが何か反応するよりも早く、慌てた様子で走り去っていったのだった。
わたしも後ろを振り返り、式場の後ろに設置されている時計に目を向ける。
時刻は午後のティータイムも終わろうかといったところで、入学式の終了予定時刻からはそれなりの時間が経っていた。
…………あの少女は、式が終わってから今まで、ずっとわたしについてくれていたのだろうか?
何か用事でもあったのか、去り際はとても急いでいる様子だった。
ならば全くの赤の他人が眠りこけていようと無視をすればよいものを、目が覚めるまでそばにいて、起きたら起きたらで体調を心配するなど、とんだお人よしではないか。
なんとなく、わたしにとっての姉のような母のような、あのおせっかいな赤髪の家族のことが思い浮かび、小さく笑いがこぼれた。
次回は本日21時ごろ投稿予定です。




