セツという少女
わたしの最も古い記憶。それは、アサナとの出会いだった。
まだ歩くことも、言葉を話すこともできない赤ん坊のわたしを、誰かがアサナに差し出している、そんな場面だった。
二人は言い争うように、というよりもアサナが一方的に語気を荒らげ感情的になっているだけだったが、何か言葉を交わしていた。
会話の内容や周囲の状況、それまでの経緯、そして、わたしをアサナへ差し出していた人物が誰なのか。覚えていないことはたくさんあったけれど、それでも、その時のアサナがわたしへ向ける視線が、ひどく悲しげなものだったことだけは覚えていた。
わたしは、これまでその時のことをアサナへ問いかけることは、いや、そう思うことすらなかった。
なぜならそれはどうあっても過去のことで、今のわたしには、アサナとヨヒラ、二人の家族とともに生きているわたしには関係のないことなのだと、そう、思おうとしていたから。
ああ、そうだ。本当はわかっていた。
わたしはずっと、自分の過去から、起源から、逃げていたのだ。
だって、それをはっきりと直視してしまえば、わたしはもう気づかないふりも、見ないふりもできなくなってしまう。
ずっと目を背けていた現実と、向き合わなければならなくなってしまう。
きっと、世間一般から見たわたしは、とても、とても大きく外れた存在なのだ。何が、どこが、ではなく、わたしを構成する要素、その全てが。
わたしが人間を、他者を、恐れ怖け避け厭い嫌い忌む、その理由。それは、わたしと彼らの間にある、どこまでいこうと決して埋まることも縮まることもありえない、明確なまでの違いが故だ。
あえて言葉で表すのなら、それは、自身に対する違和感、とでも呼ぶべきだろうか。
その違和は、まるで幼いころにアサナが語って聞かせてくれた、自身とは異なる種に混じって生まれ、育てられた灰色の雛の物語のような、そんな、根本的なものだった。
アサナが聞かせてくれる物語はいつも優しいものばかりで、灰色の雛の話もそうだった。
物語の最後、醜いと蔑まれていた雛は美しく成長し、ともに育った兄弟たちと自身は別の種なのだと気づいて、ついに同種の仲間とともに青空へと飛び立つ。真の自分の居場所を見つけ、純白の姿形、その中身すら同一の仲間達とともに、幸せに暮らしていく。
ああ、本当に、なんて優しい物語だろう。
けれど現実は、わたしは、そうはならない。いや、なれないのだ。
わたしは、アサナとは違う。今目の前にいるリビアとも、カルミアとも、違う。
わたしは、人間とは違うのだ。
きっと、人間よりもまだ、ヨヒラや龍の方がわたしに近しいのだろう。それほどまでに、わたしと人間の間には大きな隔たりがある。
わたしはそのことを誰に教わるでもなく、己の心で理解していた。目に見える確証はなくとも、わたしの心が、そう確信してしまっていたのだ。
――――そして、この広い世界において、わたしと同じ存在はただの一人としていないのだということも。
今にして思えば、わたしが幼いころ魔法に憧れていたのは、目に見える形でアサナと同じモノを欲していたからなのだろう。
そうやって後から手に入れた同じモノに本当に価値があるのか、今のわたしでもその答えはわからない。
わたしには、物語のような同種の仲間はいなくて、だから、わたしはわたしがなんなのかすらわからない。わたしは、この世界でただ一人しかいないわたしでは、どこまでいこうとも醜いままなのだ。
でも、そんなわたしでも、アサナがいてくれた。ヨヒラがいてくれた。二人が、すぐ隣にいてくれた。例え同じじゃなくとも、二人が家族でいてくれた。だから、わたしは今まで生きてこれたのだと思う。
けれど、いや、だからこそ、わたしは人間が、他人が、どこまでも恐ろしい。
アサナとヨヒラは家族だ。家族だからこそ、二人はわたしに優しくしてくれる。では、彼女たちが家族でなかったら?家族でない他人は?家族である二人を除いた、この世界すべての人間は?
ああ、わかっている。わたしを、全くの異物であるこのわたしを、受け入れてくれるはずが、受け入れられるはずがないのだ。
だって、自分と異なるものを恐れるのはとても当たり前のことなのだから。灰色の雛の兄弟たちも、わたしも、そうなのだから。
だから、わたしはずっと他人を、人間を、拒絶してきた。
彼らに近づけば、自分という存在の違和が浮き彫りになってしまうから。
彼らに触れれば、自分という存在の異質が明らかになってしまうから。
彼らとともにあることを望めば、自分という存在の孤独を、改めて認識してしまうから。
そう、思っていた。ずっとずっと、そう思っていたのだ。
でも、違った。違うのだと、教えてくれた人たちがいた。
家族でもない、知り合いでもない、全くの赤の他人であるわたしの容体を心配してくれた。がんばりを認めてくれた。ともにいてくれた。明らかな異質であるわたしを、受け入れてくれた。
他人のことが苦手で、すぐに失神して、今までたくさん迷惑をかけてきた、こんなに面倒くさいわたしなんかと一緒にラーレ送りを観たいのだと、そう言って手を差し伸べてくれた。
ああ、まったく、なんてお人好しで、なんて優しい人たちなんだろう。
だから。
だからわたしは、そんな人たちになら、わたしの本質を見せても良いのではないかと。そんな人たちなら、わたしという何もかもが異なる存在を受け入れてくれるのではないかと。
生まれて初めて、そう、思えたのだ。
「確かにフィナーレまで観れたらとっても嬉しいけど…………。空を晴らすだなんて、そんなことできるの?」
わたしの決意を受けて、リビアがそう口にする。
彼女の疑問ももっともだ。一般的な、どころか最上級の魔法使いを含めても、天候を変えるほどの大規模な魔法を扱える者はほんの一握りに限られる。
というのも、天候を変化させるということは、今も遠く北東の空を泳ぐ龍、仮にも彼の伝説上の存在と同じステージに立つということなのだ。
本来ならそんな大それたことを、学園に通っているような魔法使い見習いが、普通の人間が、できるわけがないのだ。
でも、わたしなら、普通ではないわたしなら――――。
「できます!やってみせます!!」
わたしはそう言い切る。
いつになく強気なわたしの言葉を受けてもなお、二人の表情は訝しげなままだった。だがそれも当然だ。普段のわたしを知っている二人ならなおさらに、そんなことできるはずがないと思うだろう。
「少しの間、杖を預かってもらってもいいですか?」
普段からずっと懐に入れている愛用の杖を取り出し、差し出しながら、そう尋ねる。
「そりゃあ構わないけどよ…………。お前、この杖がないと魔法を使えないんじゃないのか?」
カルミアがわたしの杖を受け取りながら問いかけてくる。
そういえば、以前二人にはわたしの体質のことを軽く話していたのだったか。ほんの少し触れた程度の話題だったのに、よく覚えていてくれたものだとにやけてしまう。
彼女がわたしに向けた言葉、杖がないと魔法を使えないのではないか。それは半分正しく、半分間違っていた。
普段から愛用している自作の杖、わたしはそれがなくとも魔法を扱うことはできる。だが、その魔法を、一般的な規模になるように制御、調整することはできない。
そう、わたしの体質を一言でいってしまえば、魔力が膨大すぎるが故にコントロールが効かない、それに尽きる。
全か無か、ゼロか百か、あるいは、白か黒か。わたしにとって、一般的な規模の魔法はあまりにも小さすぎるのだ。込めるべき魔力も、範囲も、それが引き起こす事象すらも、この内にある途方もない魔力の前では誤差にすらならない。
だからこそあの杖を、魔法に必要となる魔力を何十何百何千倍にまで引き上げる、わたし以外誰も扱うことすらできないであろうあの魔道具を、わたしは作り上げた。
アサナのように、他の人間たちのように、至って平凡な魔法を使えるように、人間に、紛れられるように。そのためにこそ、魔力伝導率が極限にまで低い金属を素材としたあの杖を、わたしは使い続けてきた。
でも、今、この二人の前でなら、そんなものがなくとも大丈夫なのではないかと、わたしの心が言っていた。
自分を偽らなくても、わたしを受け入れてくれると、そう思えるから。わたしがどれだけ人から外れた存在であろうと、そんなわたしを否定することはないと、そう信じられたから。
だから、そんな二人だから、わたしは彼女たちのことを好きになれた。そして、そんな二人だからこそ、わたしは今日という日の最後まで、彼女たちとともにいたいと、そう思えたのだ。
「大丈夫です。任せてください」
カルミアへの返答というよりもむしろ自分に言い聞かせるように、そう口にした。
今にも泣き出してしまいそうで、けれど何もかもを覆い隠してしまった空を、見上げる。
小さく、息を吸い、吐き出す。
今ほど、他人とは全く異なる自分という存在に感謝したことはなかった。
他者との違いとしか映らなかったこの力。その違いはわたしにとって忌むべきもので、なんで自分だけこんなに違うのかと、ずっとそう思っていた。
でも今は、少なくとも今だけは、この力のおかげで、わたしが良しとする結末を諦めないですむ。
目を瞑り、わたしという存在、その深奥へと意識を集中させる。
自らの感情や不要な五感、それらの余分を捨て、過分を排し、そうして生まれたリソースを魔法の制御へとあてがう。
他者に怯え自身の力をひた隠しにしていた臆病な一人の少女から、ただ魔法を扱うだけの機構へと、自らを、最適化させる。
そうして、カチリと、世界が、わたしが、切り替わる――――。
――――視界を閉じたまま、自らのうちに流れる魔力へ意識を向ける。
他者と比べることなど出来ようはずもない、膨大にして莫大、まるで大海が如く甚大にしてこの身を絶えず駆け巡る奔流、ただそれだけに集約する。
常のようにただ一雫をもって現実へ事象を生じさせるのではなく、今この時は自らの意思が真に望む事柄のため、この魂を象る血潮とでも呼ぶべきそれを際限なく用い、全くの奇跡を起こさんと己が現身を喚起する。
「セツさんが、光ってる…………?」
「なんだ、これ…………!?魔力が漏れ出してる、のか…………?」
自らの胸に、触れる。
これよりこの身が齎す超常、それを制御、抑制するため、呼吸を、鼓動を整える。我が体が、意識が機構であるが故に、その作業を一瞬にして終え、瞼を開いた。
「――――対象、補足」
今この時この場に広がる現実を、我が意思が求めた幻想へ塗り替えんと、それを可能とする術を思考し。
「方途、模索。…………確定」
――――見出す。
街を覆う雨雲、それだけを晴らす風を起こすと。彼の伝説、その進路を妨げるにたる風に依る結界を展開すると。
己が為すべきことを、そう定めた。
ならば、残る役割はただそれを実行することのみなれば。
「魔力励起、開始」
曇天を見据え、彼の伝説を見据え、そしてこの身の意識が望む幻想を見据え、虚空へと自らの腕を伸ばす。
尽きることなどありえようはずもない、枯れることなど起こりえようはずもない、常に湧き続ける己が奇跡の源泉、そのさらに深淵へと、己が意識を伸張させる。
「…………魔力充填、完了。対天候術式、対龍風依結界、並列展開」
この身の意思が想像し夢想し空想する未来をなお想い、理想に至る奇跡を構成し。
「――――発動」
現へと、波及させる。
故に、風が吹いた。
「うおっ!?急に風が、って……!おいおい、マジかよ!!」
「…………セツさん、本当に、空を晴らしちゃった、の…………?」
遙か上空、何もかもを覆い隠す空へ、その暗闇の悉くを取り除かんとただ一陣の暴風が吹き荒れ、一瞬の後、空を覆う全ては消えさった。
後に残されるは光り輝く星々、世界を淡く照らす月、遙か彼方まで遍く広がる夜天、そして、そんな空へ昇りゆく、鮮やかな灯火のみだった。
次回は明日17時ごろ投稿予定です。




