今度は、わたしが
龍。
それは、わたしたちが生きるこの世界における、最上位存在。
その生態のほとんどが謎に包まれており、どのようにして生まれるのか、どれだけの数がいるのか、それすら定かではなく、遥かなる高みよりこちらを見下ろす、生ける伝説。
かつて、龍を捕えんとした国があった。
生態解明のためか、素材入手のためか、はたまた単なる王の気まぐれか。今となってはなぜそんなことをしようとしたのかは不明で、ただその顛末のみが伝わっている。
その国は世界有数の国力を持ち、十全の準備を整え、全力を持って、一頭の龍に挑んだ。一万を超える兵士、一万を超える魔法使い、その全てに行き渡る、魔法が込められた武具。それだけの武威を誇る国は、けれど、一夜にして地図からその姿を消した。
彼らは文字通り、龍の逆鱗に触れてしまったのだ。
龍は、本来とても温厚な生物だと伝えられている。無益な争いを好まず、無駄に命を奪うこともなく、人間以上の知恵を持ち、ただ世界を揺蕩い続ける悠久を生きる存在なのだと。
けれど、その身に秘める力は他の何者にも劣らず、ただそこに在るだけで天候を操作するほどの力を持つとも。
神の使い、神獣、真なる霊長、世界の調停者、人類繁栄のカウンター。
龍という存在を表す言葉は数多くあれど、その全てが彼の者の超常性を、絶対性を、そして、人智及ばざる超越性こそを指し示していた。
そんな正体不明の圧倒的存在が、遥か北東、その上空より。
――――この街に、迫っていた。
「…………ねぇ、今の声、それに、ずっと遠くに見える、あれって…………」
遠く離れているがゆえにやっと耳に届くかというほどに小さな、けれど、響きの大小など関係なくただ聞くだけで彼我の生物としての差を感じさせる、そんな、まるで魔法が如き咆哮の後、最初に声を発したのはリビアだった。
彼女は自らの耳を、目を疑うように、それが本当に正しいのかを確かめるように、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「…………ああ、ここまではっきり見えてりゃ間違いようもないだろ」
カルミアは誰に向けたわけでもないであろう発言を拾い、リビアの思うものその通りだと、そう返答する。
わたしたちの視線の先、遥か遠方にて、蛇が如き、けれどそのような矮小な存在とは根本からして異なる、そんな巨大なる体躯をもって夜空を悠々と泳ぐ影があった。
どうやら地上の人々は未だその存在に気づいていないようだが、それでも騒ぎになるのは時間の問題だろう。
彼の者は、自らが無意識に纏う魔力によって闇に染まる夜空においてなお輝き、その身を照らしていた。
ただ在るだけで周囲に厚い雨雲を発生させる、まさに世の法則を乱す、道理から逸脱した存在。
それが、それこそが。
「――――龍」
わたしの口から、小さく、音が零れた。
「…………す」
直後。
「すっっっっっっっっげーーーーー!!!!かっっっっけーーーー!!初めてみた!私初めてみたぞ!なにあれめっちゃかっこいいじゃん!!」
「すごい!!すごいわ!!すごくてすごくてとってもすごいわ!!!きゃーー!!あたしも!あたしも初めてよ!!おじいちゃんとおばあちゃんに自慢しなくちゃ!!」
二人の感情が大爆発した。
…………どうやら、二人ともあまりの興奮のためか、一時的に言語能力が大幅に低下してしまっているようだ。
龍という存在は、少なくとも現代の一般的な感性においてという但し書きはつくが、畏怖の対象であると同時に幸運の象徴のように扱われることが多い。
それこそ、人生の成功者は皆龍を見たことがある、龍を見た者は近く人生最良の幸福が訪れる、そんな根拠のない風説が、信じられているかは別としても世間に広く認知されている程度には。
そして、そのようなことを抜きにしても、二人の普段と大きく異なる高揚ぶりからもわかるように、龍は非常に人気のある、というよりも信仰されているといった方がまだ近しいか、そんな存在なのだ。
二人は先ほどから、すごい、かっこいいなどといったひどく単純な称賛を連呼するだけの、もはや会話といって良いのかすら悩ましいやり取りを繰り返していた。
そんな普段はしっかりしている二人のどこか子どもじみた様子がおかしく、わたしはつい笑ってしまう。
「おいおいおいおい!なに笑ってんだよセツ!?龍だぞ、龍!!こうやって見れるなんて一生に一度あるかないかってレベルだぜ!!お前も今のうちにしっかり目に焼き付けとけ!」
「そうよ!ああ、なんて幸運なのかしら!!そうだわ、明日、いえ、今からでもくじを買いに行くべきかしら!?もしくはギャンブル!?きっと今行けば大勝ちよ!!」
カルミアはわたしの隣に来ると肩に腕をまわし龍がいる方角を指差しながら、リビアは龍に向かって祈るように両手を合わせその両目をお金マークへ変えながら、そう声を上げた。
…………まあ、うん。とりあえず、二人が嬉しそうでわたしも嬉しい。そういうことにしておこう。
そうして、わたしはしばらくの間はしゃぐ二人を眺めていた。
「…………っはぁーー。にしても、こんなところでまさか龍を見ることができるなんて、思ってもみなかったよ」
ようやく落ち着いたのか、カルミアが独りごちるようにそう呟いた。
彼女の言葉ももっともだろう。そもそも龍とは人間が狙って出会えるような存在ではなく、この世界に生きるほとんどの人が遭遇することなく一生を終えると言われている、まさに生ける伝説なのだ。
「だ、大興奮、でしたね」
「そりゃそうだろ。ってか、むしろお前はなんでそんなに冷静なんだ?リビアを見てみろよ。自分の世界、大金を手に入れた未来か?にトリップしてまだ戻ってこれてないんだぞ」
言われ、なるべく見ないようにしていたリビアを視界に入れる。
「お金があれば、毎日お腹いっぱい…………。ううん、それだけじゃないわ。普段は食べられないような、あごが痛くならないパン、いえ、小麦のパンでさえ……!香辛料を使った料理、噛み切れるお肉、変色していない野菜…………。ああ、カチカチのパンや味のしないくず野菜スープで飢えを凌ぐ日々が、ついに終わるのね…………!」
…………目頭が熱くなった。どうか、彼女に人並みの食生活を。
思わず一度はその存在を否定した神様にそう祈ってしまっていた。
わたしはリビアを直視し続けることに耐えられず視線を外し、カルミアに向き直って先ほどの質問に答える。
「えっと、その、実は昔、龍と会ったことがあるんです。だから、そこまで驚いていないっていうか、はい…………」
「うっわ、マジかよ!お前すっごい豪運なん」
「セツさん、それ本当!?ねえ突然だけどギャンブルとか好き!?好きよね!?なら今度一緒に行きましょう!!大丈夫、セツさんはなにもしなくていいわ!ただわたしの隣にいてくれればそれでいいの!!」
文字通りわたしとカルミアの間に割り込み、言葉を遮り、リビアがわたしの両腕を掴みながら血走った目でそう声を上げた。
リビアのその様子は、端的に、とても怖かった。
「や、やぁーーーーーー!!」
わたしは叫び声を上げながらリビアの手を振り解き、カルミアを盾のようにしてその背後に隠れる。そして肩の辺りから目元だけを出し、警戒心を滲ませながら、リビアを覗くようにして見つめる。
「ああ、そんな、セツさん…………!」
「そりゃそうなるだろーよ。いいかげん正気取り戻せこのバカ」
カルミアはそう言って、リビアの額を中指で、いわゆるデコピンという形になるのだろう、弾いた。
「あうっ。い、痛いじゃない!あたしはもとから正気よ!」
「ならなおさら悪いわ!たくっ、お前のせいでセツが怯えちまったじゃねーか」
「うっ、そうね、少し興奮しすぎちゃったみたい。…………セツさん、もう落ち着いたから大丈夫よ。びっくりさせてごめんなさいね」
カルミアの言葉を受けてようやく冷静になったのか、リビアはいつものようにわたしへ声をかけてきた。だが、その程度でわたしの警戒は解けず、カルミアの背後でリビアの言動を伺いつづける。
「せ、セツさんが初対面の時みたいな目で見てくる…………!ううっ、自分のせいとはいえ悲しいわ!」
「はあ……。んなことより、だいぶ雨雲も出てきた。そろそろ戻らねーと雨に打たれちまうぞ」
カルミアが呆れたようにため息を吐いた後、空を見上げながらそう口にした。
その言葉につられて空を見上げると、彼女の言う通り、先ほどまでのうっすらとした曇り模様とは打って変わって空一面が分厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだった。
なぜこの短時間でこうも急激に天候が変化したかといえば、その原因は遥か北東よりこちらに向かう彼の存在にある。
龍は、ただそこに在るだけで周囲一帯に厚い雨雲を、豪雨を発生させる。
わたしたちが現在いるこの街もその範囲に含まれてしまっていたのだ。
「そう、ね。龍を見れたっていうのはとても嬉しいけれど、フィナーレを見れずにお祭りが中止になっちゃうのは、少しばかり悲しいわね…………」
「…………だな。まあ、祭りは来年もある。また三人で観にこようぜ」
二人が口惜しそうに言葉を交わす。
そう、リビアの発言通り、このままではお祭りは中止になってしまうのだ。
わたしたちの視線の先にある色とりどりに夜空を彩るランタン、それらは全て熱気球と同じ原理、つまりは火を用いて空に飛ばしている。そのため、雨が降り出してしまえば火が消え、ランタンを空に飛ばすこともできなくなり、この後に控えるフィナーレはどうあっても中止するしかなくなってしまう。
龍とは自然現象のようなものだ。
その存在の行動を人間がどうこうできるものではなく、発生した結果に服従するしかない。人間がなにを思おうと、どのような行動を起こそうと、彼の存在にはなんの影響も及ぼさない。
だからそう、リビアとカルミア、二人の言動、思考は、正しい。これから雨が降るというのは変え難い現実であり、必ず起こりうる未来なのだ。
だけど、でも。
思った。わたしは、思ってしまった。
これでいいのか、と。この終わり方を、良しと、そう思えるのか、と。
わたしには、力がある。
他人とは比べようもないほどに大きな、物事を自らの思うがままに捻じ曲げるだけの、力が。
わたしは、今までその力を自らの意思で振るうことはなかった。いや、その力を振るってまで叶えたいと望むモノがなかったのだ。
けれど、今、生まれて初めて、どうしても諦められないモノを見つけた。
わたしは二人と、リビアとカルミアと、最後の最後までラーレ送りを観たい。
それはきっと、他人からすれば酷くちっぽけな願いでしかないのだろう。それでも、それはわたしにとって、どうしても叶えたい幻想なのだ。
龍が突然現れたからだとか、雨が降るからだとか、そんなことでこんな中途半端に終わるなんて、諦めるなんて、決してできるはずがない。決してそんな結末を、良しと、そう思うことなんてできやしない。
だから、わたしは――――。
「――――あの!」
塔の中へ戻ろうとやむなく歩み出した二人を、呼び止めた。
「どうしたの、セツさん?」
「何かあったか?」
二人が立ち止まり、こちらを振り向く。
呼び止めたはいいがなにを言えばいいか考えておらず、思わず口ごもってしまう。
「あ、えっと、その、えーと…………」
だが、自分の思いだけじゃなく、彼女たちの思いを聞かなければと、そう思った。
「ふ、二人は、最後までラーレ送りを観ていたいですか!?」
無理やりに絞り出したような調子の外れた声で、彼女たちにそう尋ねる。
きっと、二人はわたしがなぜそんなことを聞いたのかと不思議がっていることだろう。
「まあ、そりゃあ最後まで見たいが、こればっかりはどうしようもないからな…………」
「…………うん、あたしも、フィナーレまで観れたらなんて思うけど、今年はここまでみたいね」
ああ、よかった。わたしだけじゃない。二人ともこんな終わり方を嘆いてくれている。なら、もう迷うことなんてない。
この塔に来る前、二人がわたしにそうしてくれたように。
今度は、わたしの番なのだ。
わたしはもう一度、思いっきり、声を張り上げる。
「わ、わたしが、空を晴らします!だから、ラーレ送りを観ましょう!わたしたち三人、この特等席で、最後の最後まで!!」
わたしが、良しと、そう思える結末のために。
次回は本日21時ごろ投稿予定です。




