鐘塔の上、三人で
「はあ、はあ、はあ、…………うぷっ。……あ、あの!っ、ゴホッ、す、少しだけ、はあ、少しだけでいい、ので、おえっ……きゅ、きゅうけい、を…………。もう、し、死ぬ、死んじゃい、ます…………!」
息も絶え絶え、というよりも半分死にかけながら、わたしは階段を駆け上がる二人に命乞いじみた懇願をする。
先ほどの言葉でようやくわたしの現状に気がついたのか、二人は十数段ほど先の螺旋階段の上で立ち止まり、わたしと同様に疲労を感じさせる声音で言葉を交わし始めた。
「はあ、はあ、ちょ、ちょっと待て、リビア。とばしすぎ、だって。一度、止まろうぜ。…………ふう。こ、ここまで来たら後少しだし、歩いても間に合うだろ。ゆっくり行こうぜ?」
「それもそうね。ここからは歩いていきましょうか」
訂正。リビアは特に何も感じていないようだ。
カルミアからは息切れや頬の上気など、少なからず疲れが感じられるのだが、リビアからはそういったものが一切見えず、平時とまったくといっていいほど変わらなかった。
彼女には疲労という概念自体が存在しないのではないか。わたしはそんな馬鹿げた思いつきを否定する材料を見つけることができなかった。
痛む横っ腹を押さえながら、喉元まで迫り上がっていた酸味と霞む視界を落ち着かせるため、わたしはゆっくりと深呼吸をして息を整える。
そうして、しばらくの間その場で膝に手を当て俯いた姿勢で休憩していると、すぐ前方からいたわるような響きを伴った声が降ってきた。
「あはは、流石に無理させすぎちゃったわね。大丈夫、セツさん?」
「ほれ水だ。ゆっくり飲めよ。…………たぶん、今回ばっかりはセツの方が正常だぜ?なんであんだけ走ってまったく疲れてないんだよお前。体力ゴリラかよ」
「な、何よその言い方!?女の子に向かってゴリラだなんて失礼すぎるでしょ!!」
どうやらわざわざ二人ともわたしのところまで降りてきてくれたようだ。
カルミアが発した言葉にリビアが反応し、傍から聞いている分には愉快な言い争いが始まった。
わたしとしてはカルミアの言い分に加担したいが、その前に呼吸を整えなければ。受け取った水筒を口に運びながらそんなことを考える。
わたしたちは現在、街の外れにある古びた鐘塔、かなり昔に建てられたもので今は使われておらず街の中心部にある新しい鐘塔がその役目を継いだのだとか、の最上階に続く階段をひたすらに登っているところだった。
仮にも街全体に鐘の音を響かせていたということもあって、この建物はかなり高く造られており、加えてここに来るまで他にも何箇所か走って回ってきたため、わたしの体力は完全に底をついていた。
無理やりに体を動かしていたせいか、足が生まれたての動物のようにプルプルしている。
普段から引きこもりがちで身体的に貧弱なわたしが、カルミアでさえ根をあげるような行軍によくついてこれたものだとすら思ってしまう。
さて、なぜわたしたちがここまで大変な思いをしてまでこの鐘塔を登っているのかというと、それはわたしたち三人だけで今日のお祭りのメインイベント、ラーレ送りを観るためだった。
わたしは、他人がたくさんいる場所ではすぐに体調を崩してしまう。そして、そうなったら二人に迷惑をかけてしまう。だから、ラーレ送りの会場には行けないと、二人で楽しんできてと、そう口にした。
けれど二人は、だったら他に人のいないところに行こうと、そこで三人だけで観ればいいのだと、そう言って、わたしが出した答えを否定した。
リビアとカルミアは、わたしを、わたしという違和を受け入れ、尊重し、その上で一緒にいてくれた。わたしが持つ異質を、否定せず、諦める理由にせず、ともにいようとしてくれた。まったく違い、まったく異なる、そんなわたしを、だからどうしたと、笑い飛ばしてくれた。
ああ、わたしはなんて恵まれているのだろう。
目の前で言い争う二人、きっと、彼女たちに今のわたしの気持ちを話したところで、その大部分が伝わることはないのだろう。
彼女たちにとっては当たり前のことで、けれど、わたしにとってはとても大きくて、とても暗いこと。
どれだけ先になるのかもわからないけれど、わたしの心の奥深いところにあるそれを、いつの日にか彼女たちへ話すことができたらいいなと、そう思った。
「…………だぁかぁらー、自分を基準にして他人の体力を測るなっての!ったく、なあ、どう思うよセツ?この脳筋ゴリラ」
「はぁー!?はぁーー!!?脳筋ゴリラってさっきより悪化してるんですけど!?……いいわよ、そっちがゴリラっていうんだったらその力見せてあげるわよ!!」
「お、おい!?手を握るな!いや、ちょ、マジでどんな握力してっ!?いった!いたいいたいいたい!ストップ、悪かった、悪かったから、マジで潰れるって!?」
二人の賑やかで騒々しい、けれどなぜかわたしの心を暖かくしてくれる、そんなやりとりを見て、思わず吹き出してしまう。
「セツ!?ちょっ、セツ!!笑ってないで助けて!マジでこいつゴリラみたいな握力してんだって!って、やべ」
「この、まだいうか!!わたしはゴリラじゃないっていってるでしょ!!」
「いだだだだだだっ!?そういうなら力で訴えかけるのやめろこのバカ!!」
いつまでも二人のやり取りを見ていたいところだが、ラーレ送りを観るためには階段を上らなければならないことに加え、そろそろカルミアの手が本当にまずいことになりそうだったので、笑いながらではあったがリビアを止めに入る。
「ふふ、ふふふ…………。リビアさん、お、屋上についてからでも仕返しはできますし、とりあえず今は、さ、先に進みましょう?」
「確かに、それもそうね。感謝しなさいカルミア、このくらいにしておいてあげるわ!」
「こ、この、ゴリ……ん“ん”っ、この馬鹿力が…………。くっそ、まだいてーし、これ折れてねーよな…………?」
カルミアが自身の右腕をぷらぷらさせながらそう言った。どうやらよっぽど痛かったようで、回復魔法をかけている。
…………これからはリビアを怒らせすぎないように注意しよう。わたしは心の中でそう強く誓う。
そうして、わたしたちは最上階へ向けて歩みを再開した。
「…………あの、ここって勝手に入っても、だ、大丈夫なんですか?」
階段を上りながら、わたしはこの塔に足を踏み入れてからずっと疑問に思っていたことを二人に投げかけた。
というのも、塔の入り口には鍵がかけられており、階段の初めには立ち入り禁止の看板が立てかけてあったからだ。なお、入り口の鍵についてはカルミアがどこからか取り出した針金を使い、ものの十数秒で開けてしまった。
…………いやまあ、わたしとしても、ここまでわかりやすく塔に侵入することを拒まれているのだから決して無断で入っていいわけがないということはわかっている。なのでわたしの意図としては、二人ともこんなことして大丈夫?と、言外に尋ねているのだ。
「ああ、大丈夫よ。普段からここにはそうそう人なんてこないし、それがお祭り中ならなおさら。それに、まずくなったら顔を隠して逃げればなんとかなるでしょ!」
「そうそう。あ、もし捕まるようなことあっても私がピッキングしたことは内緒な。鍵がすでに壊れてたってことでよろしく」
二人は少しも悪びれもせずにそう言った。
…………うーん、これはわたしがずれているのか、それとも彼女たちがずれているのか、どっちなのだろう。
入っては行けない場所に隠れて入るくらいだったら可愛いものだろうが、それでも鍵を無理やりに開けて入るのは流石にギリギリ、というよりも普通にアウトなのではないかと思ってしまう。
――――まあどっちでもいっか。うん、そういうことにしておこう。
このまま考え続けてはドツボにはまる気がして、わたしは深く考えることをやめた。
「お!あれ最上階だよな!」
わたしが脳内に浮かんだ疑問を自己完結していると、不意にカルミアがそう声を上げた。
彼女の視線を追って顔を上げると、そこにはこの螺旋階段の終着点、最上階へとつながる扉が見えた。
「や、やっと、着いた…………!」
「ふふ、お疲れ様、セツさん。うーん、あたしも少し疲れちゃったわね」
リビアは軽く伸びをしながら、まったく疲れなど感じさせない声でそんなことを口にする。
「気のせいだろ…………」
「なにかいった、カルミア?」
「いんや、なにも?…………一番乗りもーらい!」
カルミアがボソッと放った言葉にリビアが反応し、カルミアは逃げるように扉に向かって走り出す。
…………正直わたしもカルミアと似たようなことを考えていたが、それでも声に出してしまうという愚を犯すことはなかった。
「待ちなさいカルミア!もう!セツさん、あたしたちも行きましょ!」
言うが早いか、リビアはわたしの手を取って残り少ない階段を駆け上がり始める。わたしは彼女に引っ張られ、つんのめるようにしてその後ろをついて行く。
なぜ、どうして、そんなものわからない。けど、それでも、わたしは今、とても楽しかった。とても嬉しくて、とても喜ばしくて、とても胸が躍っていた。
わたしがこんな感情を抱けたのは、彼女たち、リビアとカルミアのおかげなのだということだけは、なにがなくともわたしの心が理解していた。
「リビアさん!カルミアさん!」
だから。
「なぁに、セツさん?」
「ん、どうした?」
「――――ありがとうございます!!」
リビアに手を引かれ、カルミアを追いかけて走りながら、わたしは声を張った。二人に、わたしの言葉で、この心に灯る熱を伝えたいと、そう思ったから。
わたしの心には数え切れないだけの想いが詰まっていて、きっとその全てを伝えることなんて出来やしなくて、でも、そんなことはわかっていても、声が勝手に漏れ出した。
なんの変哲もない、ひどくありきたりで、とても短い、感謝の言葉。
なにを感謝しているのか、なにに感謝しているのか。わたし自身それすらわかっていなかった。でも、その言葉を押し留めることなんてできなくて、まるで溢れ出すように湧き出すように、わたしのこの胸を高鳴らせる、そんななにかが口をついて出た。
「こちらこそよ、セツさん!」
「なんだかんだこっちも楽しませてもらってるしな。気にすんな」
そうして露になったわたしの想いの断片を、彼女たちは真っ向から受け止め、その上で自らの想いを返してくれた。
――――ああ、本当に、彼女たちと出会えてよかった。
きっと、今のわたしの表情は締まりなく緩んでいることだろう。鏡で見ることなくとも、触って確かめることなくとも、それくらいはわかった。
だって、この胸の奥が、とても、とても熱いから。
「よっし、到着!!」
カルミアが最上階に続く扉に辿り着き、そう声を上げた。次いでわたしとリビアも到着する。
「ここまでけっこう時間かかちゃったから、ラーレ送り、たぶんもう始まってるでしょうね」
「それならそれでいいさ。たとえ途中からでも、何が変わるわけでもないんだから」
「あら、急にどうしたのカルミア?それらしいこといっちゃって。…………ああ、あなたもお年ごろだもの、格好つけたいときくらいあるわよね」
カルミアが扉の取っ手を掴みながら発した言葉へ、リビアが茶化すように返答する。カルミアは顔をひくつかせると、諦めたようにため息を吐いた。
「こいつ、さっきのことまだ根にもってやがるな…………。まあいい、扉開けるぞお前ら!」
そう声をあげて、カルミアは取っ手を押し込み、外へつながる扉を開けた。
「――――――――」
瞳に飛び込んできたのは、世界を色とりどりに染める、淡く燃えゆく無数の灯火だった。
リビアは、街の中心から四方に定められた範囲内でランタンを飛ばすのだと語っていた。ランタンを飛ばす際は火災などといったいざという状況に備え、各所へ魔法使いを配備しなければならず、そのため人員的な都合で飛ばす場所が制限されているのだと。
一方でわたしたちが現在いる塔は街の外れにあり、ランタンを飛ばす会場とはそれなりに離れたところに位置する。そのため、もしかしたらランタンの明かりがよく見えないかもしれないと、リビアはそんなことを危惧していた。
けれど、そんなものは杞憂だった。
確かに、ここからではランタンの明かりはとても小さく見える。だが、だからこそ、宙を揺蕩う数えきれないほどの淡い灯火、その全てを視界に収めることができた。
人の手から離れていく赤いランタン、ゆっくりと上昇していく青いランタン、曇天に昇る緑のランタン。その他にもとてもたくさんのランタンが、月が隠れた薄暗い夜空を、各々の色彩をもって照らしている。
その様はひどく幻想的で、まるで夜空に煌めく星々が地上に降ってきたかのようだった。
いつの間にか、言葉を失っていた。いや、失っていた、ではない。今も失ったままだ。
この塔から望む景色を前にしては、どのような言葉であろうと足りず、また、何かを口にすることすら無粋に思えてしまう。
それほどに、それほどまでに、わたしは、この瞳に映る世界に心奪われていた。
「――――――――」
そして、それはきっと、わたしだけではなかった。
リビアも、カルミアも、なにも言わない。けれどなんとなく、黙っていようとも二人の想いが伝わってくる。それはきっと彼女たちも同様で、わたしがなにを想っているのか筒抜けなのだろう。
わたしたちはまばたきすら惜しみ、ただただ遠く天へ送られていく灯火を見つめていた。
どれほどそうしていただろうか。一瞬のようにも、とても長い間のようにも感じられる、心地よい刹那の沈黙の後、カルミアが小さく呟く。
「…………スッゲーな。舐めてたわ」
「ふふ、でしょう?まあ、あたしもこんなに綺麗に見えるとは思っていなかったのだけど」
リビアが得意げに胸を張りながら口を開き、さらに続ける。
「いつもラーレ送りは会場で観ていたけれど、場所によってこんなに見え方が変わるのね。それに気づけたのもセツさんのおかげよ!」
突然自分の名前が呼ばれ、小さく驚き、肩を震わす。
なんと言い返せばいいのか一瞬悩み、けれど、今の想いをそのまま言葉に乗せればいいのだと気づく。
「…………い、いえ、二人がわたしを連れてきてくれたからです!だから、その、本当に」
ありがとうございますと、もう一度彼女たちに感謝を示そうとした、その瞬間。
『――――――――――――――――――――――――!!!!』
わたしの背後、遠く遠く空の上、人も動物も、魔物すらも関係なく、生きとし生ける全ての魂を竦み上がらせる、そんな道理を超えた超常の存在の叫声が。
――――龍の咆哮が、聞こえた。
次回は明日17時ごろ投稿予定です。




