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エンジェルズゲートの恋

作者: しずく
掲載日:2025/12/13

 俺はその日、仕事が定時で終わってからあてもなく書店に立ち寄った。

「30代から人生が楽しくなる……?」

 その本を手にとってはすぐ棚に戻した。こんな本を読んでいることが妻に知られたらばつが悪いからだ。

 外は軽く吹雪いていた。1月末の外気温は俺の心の中よりも寒い。

「ただいま」

 答える人はない。妻の友梨香はディズニーランドで週5で夜まで勤務していて、精力的な女だが、子どもができたら引退する気はあるのだろうかと思う。

 カップラーメンにお湯を注ぎながら、今夜は何をしようかと考える。

 そうだ、Facebookに通知が来ていたはずだ。俺にリアルの友達はいないが、Facebook上には5年の付き合いの男性がいたり、SNSをそこそこ楽しんで使っていた。

 通知はグループの紹介だった。何気なくスクロールしていると、あるグループ名が目に留まった。

「30代のお悩み相談室……?」

 俺は何気なく参加ボタンをクリックした。それが全ての始まりだった。

 翌朝、管理者からのメッセージが届いた。週末なので気兼ねすることなく対応できる。友梨香はまた仕事だ。ディズニーランドは土日祝日が稼ぎ時なのだそうだ。

「ようこそ、境智博さん! 私は管理者の瀬川晴美です。このグループでは30代に限定して悩みを聞き合っています。どんなお悩みでもお気軽にどうぞ」

 その文面を見た瞬間、勝手に指がキーボードを叩いていた。まるで抑圧していた思いが噴き出すかのように。

「私は30歳の既婚男性です。平日は市の職員として働いています。もう大学受験を最後に、ここ10年以上何にも生きがいを感じられません」

 カウンセリングでもしてくれるのかと思いきや、瀬川さんにはどうやら霊感があるらしく、いきなり思いもよらなかったことを言われた。

「境さんは出版に携わると運が開けてきますよ」

「出版ですか、何の?」

「私は今、自作の詩を集めて同人誌を作ろうかと思っています。よかったら境さんもご一緒にどう?」

 瀬川さんは京都市在住の独身女性だった。そんなわけで、週末には京都と千葉を行き来する生活が始まった。

 瀬川さんと初めて会ったのが、京都駅のカフェだった。Facebookの画像が顔写真ではなかったため、探すのに苦労するかと思いきや、その場に来た瞬間彼女だということが直感で分かった。

 予定の14時にカフェの一番奥の席でコーヒーを飲んでいる女性。真冬なのにコートの下は白いワンピース、その一角だけ独特な雰囲気を醸していたのだ。

「こんにちは、境です。瀬川さんですか?」

「初めまして。これから同人誌に載せる作品を選びましょう。詩は書いてきてくださいましたね?」

「短いですけどね」

 俺は瀬川さんの前の席に腰掛けた。

溜息をつきたくなるような日常

毎日同じことの繰り返し

伴侶はいるがほとんど顔を合わせない

充実していた日々に戻りたい

「良いじゃないですか!」

 瀬川さんの顔が輝いた。彼女は笑うととても可愛い。

「でもこれって何か、詩というより文章みたいな?」

「俺に詩の才能はないので」

 彼女の前で、俺も軽く笑って見せた。

「瀬川さんはどんな詩を書くんですか?」

 瀬川さんは大きなバッグの中からファイルを取り出した。

「『太陽と月』というタイトルよ」

海の底から這い上がる

光のような魂

輝き出すその瞬間に

あなたと出会った

絶望を乗り越え

優しい眼差し

まだ此処にあるから

「へぇ~……」

 その詩的な文面と綺麗な字に思わずうっとりした。

「何で太陽と月なんですか?」

「男性は太陽、女性は月で表されるからよ」

 分かったような分からないような説明をして、瀬川さんはカップに残ったコーヒーを飲みほした。

 平日は瀬川さんとメッセージを送り合い、休日は妻の目を盗んで京都駅で落ち合うという生活が始まった。

 俺は彼女にぞっこんだった。仕事中も彼女のことを考えてしまうほどだった。俺の退屈な日常に舞い降りた、瀬川さんは女神のような存在だった。

 瀬川さんが言うには、1月下旬から2月上旬にかけてエンジェルズゲートという扉が開いているらしく、この期間中は遠くの友人と交流することができるタイミングなのだそう。

「遠くの友人、かぁ」

 白装束の瀬川さんの放つ雰囲気を思い出すと体が震え、背徳感で喜びとも哀しみともつかない感情が湧いてくるのだった。

 そうだ、と手を止めた。Facebookで5年交流している男性、彼も確か30代ではなかったか。グループを勧めてみよう。友達の欄から、河野孝を選び取り、グループの紹介ボタンを押した。

 河野さんが京都市に住んでいたことから、瀬川さんと俺との3人で京都駅で会うことになった。河野さんとは初対面だ。

「初めまして。境です」

「よろしく」

「それでは河野さん、詩を書いてきてくださいましたか?」

 3人で座るカフェの一角は賑わっている。

「詩は書いてないんだけど、君、可愛いね。よかったら俺と付き合わない?」

「えっ何ですって」

 俺はその場は丸く収めたが、千葉に帰ってから瀬川さんにメッセンジャーで文句を言われたのは言うまでもない。

「あの河野さんって人、失礼ね。悪いんだけど、グループを強制追放させてもらいます」

 翌朝Facebookを開くと、30代のお悩み相談室のグループが消えていた。

「ちょっと待って、何で俺まで!?」

 いつも通りメッセンジャーで瀬川さんに連絡を取ると、何とブロックされていたのだ。

 2月中旬のことであった。彼女が言うエンジェルズゲートはもう閉じたのか。

 物思いに耽っていると、河野さんからのメッセージが来た。

「おはよう! 今日もお仕事頑張ってね!」

 全く返す気になれず、メッセージを見ずにパソコンを閉じた。

「彼女はエンジェル……」

 短かった瀬川さんとの交流を思い出していた。また何の変哲もない日常が始まるのだ。体を引きずって出勤の準備をした。俺は皮肉なことに、今なら良い詩が書けるような気がするのだった。


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