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推しとの邂逅

邂逅かいこう:思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。

「キール……キールなの?」


 周囲を車がやかましく行き来する中、あたしは蚊の鳴くような声で訊く。


 目の前の光景を望んではいたけど、信じることはできなかった。だって、キールは死んでいるはずだから。


「君は、俺が見えるのか」

「見えるよ。ずっと、ずっと会いたかった……!」


 そう言ってキールへ駆け寄る。


 間違いない。目の前にいる人は、あたしの愛したキールその人だった。


 涙が溢れてくるけど、そんなの関係なかった。あたしは最推しに抱きつこうと、全力で飛び込んだ。


 ――だけど、キールの体には感触が無くて、勢いをつけたあたしは思いっきり顔からアスファルトに倒れ込んだ。


「痛い。痛いマジ痛い」


 不幸中の幸いにして歯は折れていなかったけど、それにしても打った顔面と上半身がお本当に痛かった。


 だけど、痛がっている場合じゃない。軽く鼻血を出しながら、あたしはすぐに立ち上がる。


「大丈夫か、おい……」


 鼻血をしたたらせるあたしを見て、キールはドン引きしていた。


「あたしは大丈夫。っていうかキール、ここで何をしているの?」


 本音を言えば全然大丈夫じゃないけど、鼻血なんて放っておけばいつか止まる。今はそれよりも遥かに大事なことがある。


 キールはいまだにドン引きしたままだったけど、あたしの必死さに気圧されたのか、質問に答える。


「いや、なんか気付いたらここにいてさ。ライブでも見たことのある人が次々と来るんだけど、話しかけても俺が見えてないみたいでさ」

「それって……」


 やっぱりキールは死んでいるってことなんだろうか。どうしてあたしにだけ彼が見えるのかは分からないけど。


 だけど、変なことを言って最推しを動揺させたくない。思っていることはあるけど、それとは別のことを訊く。


「あたしのこと、憶えてる?」

「そりゃあ憶えてるさ。いつもライブに来てくれてありがとう」


 キールの言葉が尊すぎて、あたしはそのまま気を失いそうになる。だけど、少なくとも今は気絶している場合じゃない。


「ねえキール。ここで、一体何があったの?」

「ああ、それか? それはなあ……」


 そう言って、キールはバツが悪そうに頭を掻く。


「武道館ライブが決まってさ、すごい嬉しくてしこたま酒を呑んでたらテンションが上がっちまってな。それでワーイって道路に飛び出したら、どうも俺は轢かれて死んだらしい」

「えっ……」


 あたしは思わず言葉を失う。


 キールの死因に関してはいくつもの憶測が流れていた。自殺だったとか、薬物をやっていたとか。どれも微妙に本当っぽくて、それらの情報がいちいちあたし達クリエクのファンを傷付けた。


 それなのに、いざ蓋を開けてみたら、酔っぱらってトラックに轢かれたの?


 あまりにもアレな死に方に、あたしはなんてリアクションをしていいか分からなかった。あたしの表情を読み取ったキールが口を開く。


「まあ、平たく言えばよっぱらってトラックに轢かれて死んだってことだ。はは、笑いたきゃ笑え」

「笑えないって……」


 思わずツッコむ。


 ロックスターらしい豪快さって褒めてあげたいところだけど、それで死んじゃったら元も子もないよね……。そんなこと、さすがに言えないけど。何やってるんだよ。


「みんな、悲しんでる」

「……だろうな。ずっと見てたよ」


 キールはまたバツが悪そうに頭を掻く。


 ここまで献花に来たファンたちはきっと悲しみに暮れていただろうし、泣き叫んでいた人だっていたんじゃないかと思う。そんな光景を見せられたら、キールだってつらいだろうな。


「だからさ、俺はここにいるって一生懸命アピールしたんだ。だけどなにぶん幽霊の存在は分からないみたいでよ。途方に暮れていたんだ」


 何となくだけど、キールがそうしている場面が思い浮かんだ。あたしでも知り合いのファンが何人もいるけど、その人たちが泣いているのにどうしようもないっていうのは、たしかに無力感がすごそうな気がする。


「そんな時に君の声がテレパシーみたいに聞こえてさ。どうにかなるんじゃないかって思って、自分でもよく分かっていない潜在能力をすべて引き出して呼んだ」

「そうだったんだね」


 仕組みは分からないけど、あたしがキールへ送ったDMはテレパシーみたいに伝わっていたみたい。だからあんな妙な返信が来たのか。


「なあ、なんで君には俺が見えたんだ?」

「分からない。強いて言えば、愛?」

「よく言うよ」


 キールが失笑する。幽霊を失笑させる場面なんて、そうないかもしれない。


「でも、本当だもん」


 あたしは口を尖らせ、そのまま続ける。


「悪いけど、キールを愛している度合いだったら、あたしはどれだけ歴の長いファンにだって負けない。さっき会ったおバンギャさんよりも、他の廃人レベルのファンよりもキールが好き。それじゃダメなの?」

「それだけ愛されていれば、本望だよ」


 キールが思わず笑った。それを見たあたしは、なんだか誇らしい気持ちになった。


「それだけ愛してるってはっきり言ってくれる人がいれば、俺も童貞のままで死なずに済んだのにな」

「うん……って、は?」


 一瞬だけ流したあたしは、直後にちょっとしたパニックになる。


「え? 嘘でしょ? キールって、童貞だったの?」


 あたしが思わず訊き返すと、キールが渋い顔になった。余計なことを言ってしまったと後悔しているような、そんな顔だ。こういう表情をする人間は、少なくとも嘘をついていない。


「だって、キール。あなたは死ぬほどモテたじゃない」

「ああ、そうだ」

「そしたら、なんで……?」

「うーん。強いて言えば、どうしようもなく不器用だったっていうか」

「えええ?」


 あたしは思わずマスオさんみたいなリアクションで驚いた。そんなバカな。だって、クリエクのヴォーカルって言ったら、その界隈では一番モテる人のはずだよ?


「不器用って言ったってさ、誰かしら来るでしょ? その……バンギャとか」

「信じられないかもしれないけど本当なんだ。だからこそ、歌でしか伝えられなかったっていうか」

「はあ……」


 あたしはその先の言葉を失った。


 たしかに、世に天才と言われる人は何かに恵まれているよりも、普通の人より足りていないところがあるのではないかという説がある。それに基づけば、キールは誰かに「愛してる」って伝えるために、いちいち曲を作らないといけなかったのかもしれない。


 でも、本当にそんな感じの人は初めて見た。バンドマンって基本的にクズが多いって聞くし、キールがセフレを何百人と所有していても傷付かないようにしようなんて思っていたのに、それがまさかの童貞だとは……。


「幻滅した?」


 沈黙したあたしに、キールが複雑な表情で微笑む。本音を言えば墓場まで持っていきたい話だったのかもしれない。


「いや、全然」


 現実に引き戻されたあたしは、そのまま言葉を続ける。


「キールって世界の誰よりもカッコいいって思ってたからさ、そんなことはありえないって思考が止まったの」

「だろうな。実際にヤリまくってそうに演出してたからな」

「でも、逆に言えばさ、キールってすごく純粋だってことじゃん?」

「え? まあ、そう……なのか?」

「そうだよ。だって、毎晩女の子の方から『抱いて~』って来るはずなのに、それでも誰とも寝なかったんでしょ? それって、逆にすごいなって」

「そんな大層なもんじゃないさ。ただ、臆病だっただけだよ」


 キールが寂しそうに言う。なんか変な空気になって、しまったと思う。


「それじゃあさ」


 湿気った空気をなんとかしようと、あたしはわざと明るいトーンで続ける。


「キールが元に戻れたらさ、あたしが……その、初めての相手になってあげる!」


 言ってから、顔が死ぬほど熱くなった。自分で言っておいて死ぬほど恥ずかしい。


「そうか」


 キールはフッと笑った。なんだか鼻で笑われた気がしないでもないけど。


「キール、死んじゃったかもしれないけど、あたしは変わらずにキールを愛してるよ。あたしだけじゃなくて、みんなも」


 自分で言っていて思わずジワっとくる。


 みんなが悲しみに暮れている中、こんなに幸せな思いを出来るのはあたしだけなのに。


「ありがとう」


 キールも心なしか目が潤んでいるように見えた。シルエットがぼやけている以外、それは普通の人間と変わらないと思う。キールだって人間なんだ。


 ここで、あたしはあること決める。


「ねえキール」

「なんだ」

「このままここで献花をしにくるファンを見守るのもいいんだけど、何とか生き返る方法を考えない?」

「そうは言ってもな。俺の体、焼いちゃってるだろうし」


 たしかにキールの死後何日か経っているので、さすがに遺体は火葬しているはず。そうなると、もうどうしようもないのか。


 でも――


「あたしは、キールにこんな所で地縛霊みたいになってほしくない」


 あたしはなるべく力強い声で、途方に暮れているキールへ声をかける。


「キールは気高くて、カッコ良くて、世界を魅了するロックスター」

「うん」

「だから、細々と幽霊で暮らしていくなんて、ファンのあたしが許さない」

「厳しいな」


 キールが思わず笑う。あたしも自分で言っておいて少しだけ笑ってしまった。


 だけど、冗談抜きにキールにはどうにかなってほしい。


「とりあえずさ、何かやってみようよ。あたしとはこうやって話せるわけだし」

「まあ、そうだな」

「とりあえず、あたしの家に来る?」

「いいのか?」

「いいのいいの。どうせあたし以外にはキールの姿なんて見えないんだからさ」

「はあ、まあ……。それじゃあ、ちょっと厄介になるか」


 そう言ってキールはあたしの家へ来ることになった。


 これってお持ち帰りってやつなんだろうか?


 なんだか妙な感じだなとは思いつつも、幽霊でも推しと暮らせる生活なんて夢みたい。そう考えたらウキウキしてきた。


 推しのロックスターと密かに愛を育む――なんか、聴いただけで素敵な響きだ。いや、浮かれている場合じゃない。


 ともかくキールとは本当に再会できた。


 これからどうするかは……とりあえず、帰ってから考えよう。

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