光魔法は予定外、婚約は想定外 6
薄暗い部屋に、夕陽の橙色の光が差し込んでいた。窓際の机の上には薬草辞典が広げられ、その挿絵がやわらかな光に照らされている。
フィオナはペンを持ち、葉のスケッチを丁寧に写していた。隣には効能をまとめたメモ帳があり、辞典に目を移しては、自分の言葉で書き直していく。
──この世界には、傷や病、毒を癒すための「ポーション」が存在する。
魔法が使えない者でも扱える便利な回復手段で、光魔法ほどの即効性はないものの、その手軽さから人々に広く使われていた。
傷を癒す「ヒールポーション」、病を治す「キュアポーション」、そして毒を中和する「毒消しポーション」。
それぞれに、効果の強さに応じた下級・中級・上級の等級が存在し、使用者の状態や目的に応じて使い分けられている。
フィオナが今取り組んでいるのは、それらのポーションに必要な薬草についての勉強だった。まだ誰かに習っているわけではない。自分の力で少しずつ、本を頼りに学んでいる。
「この薬草は、下級ヒールポーションに使う……けど、採るタイミングを間違えると品質が落ちるんだよね」
図鑑には夜明け前の摘み取りが最適と書いてある。つまり、朝に起きなければならないということだ。
フィオナはそこで、心の中で深くうなずいた。
(つまりこれは、早起き推奨型の薬草…っと)
ペンを置いて「よし」と一人でうなずいたその直後、静かなノック音が響いた。
「入っていいか?」
父――レオナルドの声だった。
「あ、父さま。どうぞ」
扉が開き、堂々とした姿の父が現れた。けれどその表情は穏やかで、机の上の辞典に目をやると、ふっと微笑んだ。
「ずいぶん熱心だな」
「うん。ポーションって奥が深くて面白いんです。同じ薬草でも、採る時期や保存の仕方で品質が全然違うんですって」
父は黙って娘の話を聞いていた。
口調も表情も、昔とそう変わらない。けれどその瞳の奥にだけ、時折、年齢にそぐわない静かな光が宿っている気がした。
「そうか……」
少し言葉を選ぶようにして、父は続けた。
「……明日、王城に一緒に行かないか」
フィオナの手が止まる。
「え? 王城?」
「ああ。王家の庭園がちょうど見頃らしくてな。陛下が、お前にも見せてやってはどうかと仰っていた。アレクシス殿下もちょうど庭に出るそうだ」
その名を聞いた瞬間、フィオナの表情がわずかにこわばった。
(この展開……もしかして、ゲームでフィオナが殿下に一目惚れして婚約したって語られてた過去って、これのこと?)
(そんなのイヤ。私は、あんな未来には絶対進まない)
『魔法と恋と運命の糸〜君と結ぶ魔法の絆〜』。前世でプレイしていた乙女ゲームでは、フィオナは“悪役令嬢”として描かれていた。
アレクシスに惚れ込み、父に頼み込んで婚約、そして破滅の道へ。
ヒロインの恋路を邪魔して、最後は追放か処刑――。
「……行かなくちゃ、ダメ?」
フィオナは慎重に声を出した。
父は少し驚いたように娘を見つめる。
「陛下からの招待だ。断るのは……難しいな」
フィオナは小さくうなずいた。
「……そっか。わかりました。行きます、父さま」
避けられないなら、自分で道を選ぶ。それがフィオナの覚悟だった。
*
翌朝。
フィオナの部屋では、母が娘の支度を手伝っていた。
「こちらの淡い黄色のドレスはどうかしら? 庭園の青い花とも綺麗に引き立て合うわ」
鏡の前で、フィオナはドレスを当ててみる。派手すぎず、でも礼を欠かない。そんな装いを探していた。
「……うん、これがいいかも。明るすぎないし、優しい感じがして」
少しほっとした声でつぶやいたあと、ぽつりと漏らす。
「母さま……ほんとは、あまり行きたくないんです」
「緊張してるのね?」
「それもあるけど……理由はうまく説明できないけど、アレクシス殿下と親しくなるのは、ちょっと怖いの」
母はそっとフィオナの肩に手を置き、やさしく微笑んだ。
「大丈夫よ。今日はただのご挨拶だもの。誰かと顔を合わせたからって、すぐに何かが始まるわけじゃないわ」
「……うん」
「あなたはあなたらしくいればいいの。見た目じゃなく、どうありたいかが大事。無理に誰かに合わせなくてもいいのよ」
その言葉は、心の中にそっと灯るあかりのようだった。
「ありがとう、母さま」
「さあ、行ってらっしゃい。きっと大丈夫。自分のままでいればいいのよ」
母の温かな抱擁に包まれながら、フィオナは小さくうなずいた。
もう誰かに流されて破滅するような未来は、選ばない。自分で選ぶ――そう決めたのだ。
(アレクシス殿下……私は、距離を取らせてもらいます。挨拶だけで終わらせてみせる)
その答えは、きっと今日、王城の庭園で見つかる。
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