八歳の誓いと初冬の告白
午後の礼儀作法の授業が終わった直後、フィオナとクララは廊下を並んで歩いていた。窓の外では、早い日暮れの空が茜色に染まり始め、初冬の冷たい風が木々の最後の葉を揺らしていた。
「今日の先生、やけに厳しかったよね……」
「うん。でもフィオナちゃんの立ち居振る舞いは、いつもすごくきれいだよ」
クララがふっと微笑む。その笑みに安心して、フィオナは制服の袖を少し引っ張りながら、ふと心に浮かんだ疑問を口にした。
「ねえ、クララ……恋って、どんな感じなのかな?」
クララはきょとんとしたあと、にこっと笑った。
「それ、フィオナちゃん……もう知ってるんじゃないかな?」
「え……」
「ただ隣にいるだけで心が満たされて、でも離れると心に小さな穴が開いたみたいな感覚。その人の幸せを願う気持ちが、自分の幸せよりも大きくなる——それが恋の始まりじゃないかな」
(心に小さな穴が開いたみたいな感覚——)
心にひとつ、何かが落ちた気がした。
♢♢♢
学院の門を出ると、冷たい空気が頬を撫でた。首にマフラーを巻き直しながら、ジュリアンが馬車寄せの方へ歩きながら振り返った。
「姉さま、帰りますよ。馬車はもうすぐ来るそうです」
「うん……でも、ちょっとだけ。先に行っててくれる?」
ジュリアンは一瞬きょとんとしたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「分かりました。では、お気をつけて」
そのまま馬車乗り場へと去っていく弟の背を見送りながら、フィオナは小さく息を吐いた。
「フィオナ!」
声に振り向けば、カイルが駆けてくるところだった。冷たい空気のせいか、頬が赤く、息が白い霧となって広がっている。
「ちょっと……いい? 話したいことがあるんだ」
「うん……」
門の外、落ち葉の敷き詰められた、人気の少ない並木道へ。足元から微かな音が響き、薄い白い息が二人の間に漂った。
二人でしばらく並んで歩き、少し沈黙が続いたあと、カイルが立ち止まった。
「……昔さ、初めて会ったときから、ずっと思ってたんだ。フィオナは光みたいな子だって。あの日、フィオナの誕生日会で怪我した俺を、光の魔法で癒してくれた。八歳のフィオナは、本当に光そのものだった……」
「……」
「でも、それだけじゃ足りなくなった。フィオナとアレクシスの婚約が決まったって聞いたとき、胸が張り裂けそうだった……」
声がかすれる。けれど、それでも彼は言葉を紡ぐ。目をしっかりとフィオナに向け、深く息を吸い込んだ。
「フィオナ、俺はフィオナが好きだ。ずっと好きだった。ただ守りたいってだけじゃなくて……一緒にいたいんだ。フィオナが笑ってると、俺も嬉しくて、泣きそうだと苦しくなる。もう隠せない。婚約が解消された今、はっきり言わせてほしい——俺はフィオナを愛している」
フィオナは、その場に立ち尽くしたまま、拳を胸元で握りしめた。突然の婚約解消で投げ込まれた混乱の中、自分の本当の想いさえ見失いかけていた。
(知ってた。知ってたのに、言葉にされたら、こんなに……アレクシスとの婚約が突然解消されて、今までとは変わってしまって、どうしていいかわからなくて……)
瞳が潤む。声が震える。でも、言わなきゃ。
「わたしも……」
そう口にしたとき、自分の声があまりに小さくて驚いた。
もう一度、唇を結び、彼をまっすぐに見つめた。
フィオナは小さく息を飲み、そして――震える声で返した。
「……わたしも、そう思ってた。でも、言えなくて……アレクシスとの婚約があったし、それが解消されても、何もかも混乱して、自分の気持ちさえも整理できなくて……でも、今、はっきりわかった」
カイルの目が見開かれる。そして、やさしく笑った。
「他の子と話してるの見ると、変な気持ちになって……。でも、それがなんなのか、怖くてずっとわからなくて」
その瞬間、カイルの顔が、ふっと緩んだ。安堵と喜びが入り混じったような、柔らかな笑みだった。
フィオナの手に、あたたかなものがそっと触れる。何よりも温かい、彼の手。
「手……つないでも、いい?」
「うん……」
重なる指。ぎゅっと、握られたその手は、冷たい空気の中でほんのりと温かく、指先から伝わる温もりがフィオナの胸を満たしていった。繋がれた指先から広がる感覚は、彼女の体の芯まで温め、長い間凍えていた何かを溶かしていくようだった。




