てくてく寄り道、カフェ時間
「皆さん、今日の放課後は……特に予定、ありませんよね?」
学院の門を出たところで、ジュリアンがふと立ち止まり、周囲を見渡しながら声をかけた。
「ないけど……どうしたの?」
首をかしげるフィオナの隣で、クララがぱちぱちとまばたきする。
「少しだけ、寄り道していきませんか? 天気もいいですし、街もにぎわっているようですから」
「行きます!」
一番に返事したのはクララだった。
「薬草のお店、新しい入荷があったって聞いたの。どうしても見ておきたかったんだよね!」
「じゃあ、決まりだな」
カイルがにっと笑い、フィオナの方に目を向ける。
「フィオナも行くだろ?」
「もちろん。私も見たいの、いっぱいあるから」
「はあ……みんな、元気だね」
やれやれといった風にシルヴァンが肩をすくめるも、笑みはどこか楽しげだった。
「いいよ。どうせなら、噂の新しいカフェにも行かない? 街角にできた……名前は、たしか花の名前だったような」
「ミモザガーデン?」とクララ。「ケーキが可愛いって話題になってるよね」
「じゃあ薬草屋さんと雑貨屋さんと、そのあとカフェってルートだな!」
カイルが勢いよく手を打ち、自然と歩き出す。
学院の制服姿のままの五人が、わいわいと談笑しながら石畳の通りへと向かっていく。午後の陽射しは柔らかく、街には菓子屋の甘い香りと、焼きたてのパンの匂いがほんのり漂っていた。
薬草屋は、街のはずれの路地にひっそり佇む、小さな専門店だった。木の棚にずらりと並んだ乾燥薬草や瓶詰めのオイル、天井から垂れ下がるハーブの束。扉を開けた瞬間、かすかに漂うラベンダーとミントの清々しい香りに、フィオナとクララは同時に目を輝かせた。
「わあっ……この香り、やっぱりラベンダーとミントの組み合わせだね!」
「見てフィオナちゃん、この乾燥ルベル草! 葉の縁がピンとしてて、すごくきれい! ちゃんと低温で乾燥されてる!」
二人であっちへこっちへと動き回り、棚の前でしゃがんだり、瓶を手に取ったり、まるで宝探しのような騒ぎぶりだ。
「すごいなぁ、薬草でこんなにテンション上がるんだな」
カイルがぽつりと呟く。
「まったく、目を離すとすぐこれですから。……まあ、楽しそうで何よりですけど」
ジュリアンが肩をすくめながらも、表情はどこか優しい。
「薬草の何がそんなに楽しいんだか……」
と言いつつ、シルヴァンは店内に吊るされたラベンダーの束に興味をひかれたようで、指先でそっと触れている。
「……これは、香水に使えそうだね。トップノートは微かに甘くて、でも後から清涼感がくる……ふーん、悪くない」
「シルヴァン、それ欲しいの?」
フィオナが振り返って声をかけると、彼はひらりと手を振った。
「俺は見てるだけ。でも君がそれを使って新しい香りを作るっていうなら……少しくらい協力するよ?」
「ふふっ、それは頼もしいなあ、今度お願いしてもいい?」
シルヴァンは柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
「君のお願いなら」
「お会計はまとめてで大丈夫ですかい?」
店主のおばあさんが笑顔で声をかけてくる。
「はいっ、これと、これと、それから……あっ、フェルゼ根もください!」
フィオナとクララは夢中で籠に詰め、ジュリアンが「保管庫の整理が必要ですね……」と静かに頭を抱えた。
薬草屋で大満足したフィオナとクララが「ふぅ」と満ち足りた笑みを浮かべたころ、一行は通りの角にある洒落た雑貨屋に立ち寄ることにした。
ショーウィンドウには、万年筆や栞、魔法道具の小物入れなどが見事に陳列され、店内には木の香りとインクの芳香が絶妙に溶け合っている。
「……これ、可愛い」
クララが指さしたのは、細身で持ちやすそうな魔力反応ペン。軸の色は種類豊富で、それぞれ微かに光を帯びていた。
「わあ、色のラインナップがきれい。これ、魔力でインクが出るんだ……!」
フィオナが感心して手に取る。
「おそろいで買って、使うときに"あ、これ○○のだ"ってなるの、ちょっと楽しいよね」
クララが笑顔で振り返ると、カイルが「それ、いいじゃん!」と乗ってきた。
「だったら、俺はこの赤っぽいのにしようかな。炎っぽい色ってカッコよくない?」
「カイル、それなら君の属性カラーで選ぶのが自然じゃない?」
シルヴァンは水色のペンを手に取りつつ、からかうように笑う。
「風は緑か青だと思ってたけど……あれ? 俺ってそういうの似合う?」
と悩み出すカイルに、フィオナとクララが笑う。
「姉さまは、白金のような色が似合いそうですね」
ジュリアンが迷いなく選んだのは、真っ白に近いシンプルな一本。
「あ、それ可愛い」
「じゃあこの濃い青はアレクシス様の分にしておきましょうか」
ジュリアンがさらっと提案する。
「ユリウス様には……黒、か紺?」
クララが棚を覗き込むと、シルヴァンが即座に「間違いなく黒だね。本人は機能性重視とか言ってこだわりそうだけど」と笑った。
「よし、これで七本そろいっと!」
カイルが手を広げて並べたペンを見て、満足げに笑った。
「なんか、七つの伝説の武器みたいになってる……」
「わぁ、かっこいい!」とフィオナ。「あっ、でもユリウスに"武器じゃなくて筆記具です"って真顔で言われそう……!」
しばし店内は笑い声に包まれ、カウンターで会計を済ませたあと、一行は次の目的地――人気のカフェ《ミモザガーデン》へと歩き出した。
雑貨屋を出て、カフェへ向かう道は、予想以上に人でにぎわっていた。噂の店というだけあって、入口にはすでに行列ができており、通りも買い物客や観光客でいっぱいだ。
「混んでるな……こりゃ、列に並ぶだけでも時間かかりそうだな」
カイルが顔をしかめて立ち止まる。
「でもせっかくだし、ちょっと覗いてみましょう」
ジュリアンが言い、先頭を歩き出す。
五人は人波の中を縫うようにして進み始めた。けれど、通りの角を曲がったところで、フィオナの歩みだけがほんのわずかに遅れた。
(あれ、クララたち……)
人の背で視界が遮られた一瞬、前を歩く皆の姿がふっと見えなくなった。
「あっ」
立ち止まったフィオナの前に、見知らぬ青年二人組がするりと割って入ってくる。歳は二十歳前後。貴族らしい仕立ての良い服に、軽薄そうな笑み。
「おや、お嬢さん。こんなところでひとり? 迷子かい?」
「もしよかったら、俺たちが案内するけど――ね?」
片方がにじるように距離を詰めてきて、フィオナはすっと半歩、後ずさった。
「いいえ、友達がすぐそこにいますので」
「えー、そんな警戒しなくてもいいじゃない。ねえ、名前くらい――」
その時だった。
「……おい」
低く、鋭い声が背後から響いた。
カイルだった。
群衆を割って飛び出すように現れた彼の顔には、普段の陽気な表情はなく、瞳は刃物のように冷たく光っていた。一瞬、彼の指先が震えるのが見えた。怒りを抑えているのだろうか。フィオナの前にすっと立ちふさがり、片腕をさりげなく彼女の肩に添える。その仕草は柔らかいのに、声だけは凍てついたように冷たかった。
「この子に近づくな」
ただそれだけ。それだけなのに、背筋がぞくりとするような迫力があった。彼の周囲の空気が、わずかに震えているように感じられた。
ナンパ男たちが一瞬たじろいだところへ、クララたちが駆け寄ってくる。
「フィオナちゃん! ごめんね、混んでて――えっ、なに?」
ジュリアンは即座に状況を把握し、「もう行きましょう」と一歩前に出て、冷静に間を断つ。
青年たちは気まずそうに笑って、雑踏の中へと消えていった。
ほっと息をついたフィオナに、カイルが小声で尋ねる。
「……怖かった?」
「……ちょっとだけ。でも、来てくれて安心した」
その言葉に、カイルは照れくさそうに頭をかいた。
「フィオナのそばにいるよ」
そのひとことに、フィオナは思わず小さく笑ってしまう。
と――
「はいはい、カイルは守るとかそばにいるとか、そういうのしか言わないよねぇ」
背後からシルヴァンが現れた。銀色の長髪を指で軽くかき上げながら、半分あきれたような笑みを浮かべて肩をすくめる。
「語彙力、育てようか?」と彼は涼やかな声で言った。
「う、うるさいな!」カイルは耳まで赤くなって反論した。
ようやくたどり着いた《ミモザガーデン》の店内は、黄金色のミモザの花々が活けられた花瓶が点在し、淡いクリーム色と花柄のクロスが敷かれたテーブルが並ぶ、洗練された空間だった。制服姿の店員たちは忙しなく立ち働き、年配の紳士淑女や若いカップル、友人同士のグループなど、様々な客層で店内は賑わっていた。柔らかな光の中に、焼き立てのスイーツとハーブティーの甘く心地よい香りが漂う。
窓際の席に五人で並んで腰かけると、窓から差し込む午後の柔らかな陽光に包まれ、まるでさっきまでの騒動が嘘のように、心がふっと和らいでいく。テーブルの上の小さな花瓶に挿された一輪のミモザが、金色に輝いていた。
「ローズミルクティーと、チーズケーキをひとつくださいっ」
クララが元気よく注文すると、店員のお姉さんが微笑んでメニューを確認していく。
「私はカモミールのハーブティーを。あと……この、桃のタルトが気になります」
フィオナもメニューを見ながら目を輝かせる。
「じゃあ俺は、エルダーフラワーソーダ。きれいな名前だしね」
シルヴァンはさらっと言いながら、ちらとカイルを見る。
「カイルは? まさかフィオナと同じとか言わないよね?」
「言わないってば!」
耳まで赤くなったカイルが、あたふたしながら答える。
「……えっと、じゃあ、オレンジジュースと、このでっかいチョコケーキ!」
「甘っ!」
全員がそろって突っ込んだ。
「お疲れなんですよ、彼は」
ジュリアンが静かにフォローするように言い、続けて自分の注文も告げる。
飲み物とスイーツがテーブルに並ぶと、自然と会話も弾み始めた。
「フィオナちゃん、大丈夫だった……?」
クララがそっと尋ねる。
「うん、平気。ちょっとびっくりしたけど……皆がすぐ来てくれたから」
「フィオナのことになると、カイルは全力出すからねぇ」
シルヴァンがやれやれと肩をすくめる。
「……うるさいっての」
ぶつぶつ言いつつ、カイルはフィオナの方を見て、ちいさく笑った。
その笑顔を見て、フィオナもつられて笑みをこぼす。
カップの縁から立ちのぼる、やさしいハーブの香り。にぎやかで、あたたかくて、ちょっと騒がしくて――でも確かに、心地いい時間だった。




