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悪役令嬢、チュートリアル担当の騎士と結婚したら破滅回避できました 〜攻略難易度★☆☆☆☆の彼が最高の旦那様でした〜  作者: 梅澤 空


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王家の声明

エルディア邸の静かな一室。寝台に腰掛けているフィオナは、包帯の巻かれた腕をそっと撫でながら、ぼんやりと庭を眺めていた。


魔法決闘祭(デュエルフェスタ)から数日。学院の医務室から戻されて以降、フィオナはしばらく療養に専念していた。


「……急に涼しくなったからかな。なんだか、落ち着かない」


ひとりごちたその瞬間、扉の向こうから控えめなノックが聞こえた。


「姉さま。入ってもいい?」


ジュリアンの声。続いて、母アマーリエの優しい声が重なる。


「フィオナ、ちょっとお話があるの。いいかしら?」


話? なんの?


不思議に思いながらも「どうぞ」と答えると、扉が開かれた。


入ってきたのは、ジュリアン、アマーリエ、そして父レオナルド――その並びに、フィオナは一瞬息を呑む。


その場に立ったままのジュリアンと目が合う。けれど、彼はいつものようににこりともせず、どこか沈んだ目をしていた。


アマーリエが、そっとフィオナの手を取る。


「体調は、少し落ち着いたかしら?」


「……うん。もう大丈夫。まだ少しだけ痛むけど」


頷くと、アマーリエはひとつ息を吐き、表情を引き締める。


「それならよかったわ。……本題に入るわね」


そう前置きして、手にしていた封筒をフィオナの前に差し出した。王家の紋章が封蝋に押された、格式ある手紙。


「これは……?」


「王家からの声明文よ。先に読んでちょうだい」


促されるまま、フィオナは震える指先で封を切った。広げた文面に、目を走らせる。


『アレクシス・アルセリオンとフィオナ・エルディアの婚約は、両家の合意により円満に解消されたことをここに報せる。婚約解消に至る事情については、すべて王家が責任を負う。フィオナ・エルディアは王家にとってかけがえのない友人であり、その人格と功績を深く信頼している。今後、いかなる中傷や侮辱も、王家への不敬と見なされるであろう』


文字が、視界の中で揺れた。


「……え?」


何度読み返しても、そこに書かれている意味が理解できなかった。


「婚約、解消……?」


ぽつりと呟いた声は、ひどく遠くに聞こえた。アマーリエがそっと娘の肩に手を置く。


「アレクシス殿下との婚約は、正式に解消となったの」


その言葉を聞いた瞬間、フィオナの思考が、ふっと止まった。


「……そんな」


喉の奥から、かすれた声が漏れる。


「わたしが、ちゃんとできてなかったから……?」


――私は王太子妃候補として足りなかった。


――私が完璧であれば、波風は立たなかった。


――だから、これは私のせいだ。


けれどその言葉に、誰よりも先に反応したのは、ジュリアンだった。


「違います」


はっきりと、ぴしゃりと言い切る声。フィオナが驚いて顔を上げると、ジュリアンは真っ直ぐこちらを見ていた。いつも穏やかな彼の表情に、珍しく怒りの色が宿っている。


「姉さまが傷ついたのは、姉さまが悪いからじゃない。……誰がどう見たって、あれは一方的な暴力です」


静かに、けれど凛とした声だった。


「それを止める立場にいた人が何もしなかった。それだけの話です。姉さまが、我慢しなきゃいけない理由なんて、どこにもありません」


アマーリエがフィオナの手をぎゅっと握りしめた。


「あなたを責める者がいるなら、私はそのすべてを敵に回すわ。だって、あなたはまだ守られるべき子供だもの」


言葉を選ぶように、ひとつひとつをしっかり噛み締めながら、アマーリエは娘を見つめる。


「母として、あんな目に遭ったあなたを『足りないから』なんて、絶対に言わせない」


そして最後に、レオナルドが重く口を開いた。


「お前は、何も悪くない」


硬い声音。父がここまではっきり言うのは、めずらしい。


「……ただ一つ、私が甘かった」


レオナルドは苦々しく唇を噛む。


「王太子妃候補としての重圧は、覚悟していた。けれど、殿下が……婚約者として、お前を守ってくれると信じていた。だが、まさかここまで何もしないとは思わなかった」


一瞬、言葉を切る。


「いや、言い訳にもならんな。娘が、苦しんで、倒れるまで耐えて。それでも守られるどころか、踏みにじられる。そんな婚約に何の意味がある」


そう言い切ってから、ほんの少しだけ声を和らげる。


「結局、お前を一人で耐えさせてしまった。……本当にすまなかった」


言葉のひとつひとつが、フィオナの心の奥に染み込んでいく。視界が滲んだ。涙があふれそうになるのを、必死でこらえた。


「……でも」


ぽつりと、フィオナは呟いた。


「私、何もできなかった」


握りしめた拳が、小刻みに震える。


「自分で声を上げることも、逃げることも、何も……できなくて。結局、家族に助けてもらって、王家に守ってもらって」


悔しさと情けなさが、喉の奥で絡まり合う。


「……これじゃ、私、ただの子供じゃない」


その言葉に、アマーリエが静かに微笑んだ。


「そうよ。あなたはまだ子供だもの」


「でも――」


「でも、何も。あなたは十分に頑張ったわ。誰も責めないし、あなた自身が自分を責める必要もない」


そっと娘の頬に手を添える。


「これから、ゆっくり強くなればいいのよ。今日じゃなくていい。明日でも、来年でも。焦らなくていいの」


レオナルドが頷く。


「今は、ただ休め。それでいい」


家族の温かさに包まれて、フィオナはようやく、ほんの少しだけ肩の力を抜くことができた。


そして、もう一度、手の中の声明文に目を落とす。


『フィオナ・エルディア嬢は王家にとってかけがえのない友人であり――』


友人。


その言葉が、不思議と胸に響いた。婚約者ではなく、王太子妃候補でもなく。ただの、友人として。


「……ありがとう」


小さく呟いた言葉は、家族にも、そして遠く離れた誰かにも、届いてほしいと願ったものだった。


♢♢♢


その日、王都を中心に、各地の貴族邸へと一通の声明が届けられた。


差出人は、アルセリオン王家。


「……これは、かなり踏み込んだ表現だな」


王立学院の教員控室で、ロイ・バーグは静かに眉を上げた。受け取った文書を読みながら、他の教員たちがざわついている。


「エルディア公爵家に対する明確な擁護ですか。なるほど……なるほど」


別の者がつぶやく。


「これ、うかつにフィオナ嬢に嫌味のひとつでも言えば、王家に睨まれるってことだよな」


重い沈黙。王家がここまで公式に踏み込むのは異例だった。そして、その異例さは――王都中の貴族たちをも、静かに黙らせた。


一方、学院に通う子女たちの間でも、噂は瞬く間に広まっていた。


「……あの子、婚約破棄されたって聞いたけど?」


「解消でしょ? 王家の文書に『かけがえのない友人』って書いてあったわよ。……うかつに何か言うと、まずいかも」


口に指をあて、少女たちは目を見合わせる。下手に言葉を滑らせれば、王家への不敬として処分されかねない。どれほど陰で反感を抱こうとも、王の意志には逆らえないのだ。

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