新学期、デュエルフェスタ開幕 7
次の試合の開始を告げる鐘が鳴っても、アリーナに出場者の姿は現れなかった。
観客席に、さざ波のようなざわめきが広がっていく。
「……どうしたの?」「ジュリアン・エルディアの試合じゃないの?」
控室の扉に視線が集まるなか、ようやく重い音を立てて扉が開く。
姿を現したのは、黒の制服を隙なく纏った一人の少年――ジュリアン・エルディアだった。
彼は無言のままアリーナへと歩み出る。
その表情には、揺るがぬ決意の色が浮かんでいた。
観客が息を呑む中、ジュリアンは審判の前で立ち止まり、静かに宣言する。
「ジュリアン・エルディア、当試合を棄権します」
一瞬、空気が止まった。
続いて、観客席からどよめきが起こる。
「棄権……?」「なんで!?」
ジュリアンは騒ぎに動じることなく、はっきりとした声で続けた。
「《デュエルフェスタ》は、すべての学院生に参加を求めていますが、
攻撃魔法を持たない者への配慮が、あまりに不足していると私は感じています。
この形式が公平であるとは言えません」
その言葉に、観客も審判団も、静かに耳を傾けるしかなかった。
「よって、私はこの制度に異議を唱え、棄権という形で意志を示します」
会場内がざわつく。
学院の教員席でも、幹部たちが顔を寄せ合い、小声で議論を始めていた。
「まさか、あの優等生が……」
「でも、言っていることは筋が通っている。攻撃魔法を持たない者たちの立場を考えれば」
「設立以来の伝統ですよ。一学生の意見で変えるわけには」
「伝統より大切なものもある。彼の言葉には耳を傾けるべきだろう」
その背中に、迷いは一切なかった。
優勝候補の一角であるジュリアンの静かな抗議は、確かに学院全体を揺らし始めていた。
ジュリアンの棄権による動揺が冷めきらない中、次の試合の準備が進められていた。
闘技場の中心、アリーナに立つ、ピンク色の髪を束ねた少年。カイル・アーディン。
その対面には、フィオナを傷つけた貴族派の二年生男子が待ち構えていた。
試合開始の合図が鳴った瞬間、アリーナの空気がピリリと緊張する。
男子はすぐさま剣を構え、同時に短く詠唱を唱えた。
「我が剣に灼熱を宿せ《火刃》!」
魔力をまとった剣が、赤く揺らめく。
観客席がどよめく中、カイルは一切表情を変えなかった。
彼の周囲にも、微かに風が渦巻きはじめる。
剣速を上げるための、風魔法の補助。
派手な詠唱など必要ない。極限まで削ぎ落とした、最小限の魔力操作。
火を纏った剣が、勢いよくカイルに振り下ろされる。
だが、カイルは一歩も退かない。
風の加護を受けた滑らかな動きで、紙一重でかわした。
続けざまに放たれる火球。
それらを風の一撃で弾き飛ばす。
その隙に一気に距離を詰め、剣を振るう。
相手の剣ごと叩き落とす勢いで一撃。
剣が弾かれ、男子の手から滑り落ちる。
目を見開く相手の喉元へ、剣先を突きつけて静止する。
完全な、勝敗だった。
観客席に、沈黙が落ちる。
普段の快活なカイルを知る者ほど、その冷徹な強さに息を呑んだ。
審判が慌てて試合終了を告げる。
カイルは剣を引き、振り返ることなくアリーナを後にした。
カイルの勝利が宣告されたあとも、闘技場の空気は冷えたままだった。
そんな中、観客席の一角。
貴族派の令嬢たちが、わざとらしく笑い声をあげる。
「まったく、みっともないわね」
「攻撃魔法もろくに使えないくせに、よく参加したものだわ」
皮肉たっぷりに言い放ったのは、ベアトリス・フォルディア。
その声に呼応するように、周囲の取り巻きたちも、上品な仮面をかぶったまま嘲笑を漏らす。
「怪我をして倒れるなんて、王太子妃にはふさわしくないわね」
「治癒しかできない令嬢が、学院で何を学ぶのかしら?」
悪意のこもった言葉が、観客席のあちこちに広がっていく。
観客席の一角で、その様子を黙って見つめていたアレクシスは拳を握りしめた。
フィオナは、もうこの場にはいない。
試合中に倒れ、すでに医務室へ運ばれている。
彼女は必死に戦った。それなのに今も侮辱され続けている。
いない者を嘲る。
何も反論できない相手に、好き勝手な言葉を投げつける。
アレクシスの胸の奥に、静かに怒りが燃え上がった。
(フィオナは……あんなにも、必死に……)
(それなのに――)
王太子という立場が、彼を縛っていた。
今ここで怒りを爆発させれば、立場を危うくする。
だが、頭ではわかっていても、心が許さなかった。
声を上げることもできず、ただ、悔しい思いが胸を占めていた。
♢♢♢
控室に、澄んだアナウンスが響いた。
『これより、決勝戦を開始します。
対戦カード――アレクシス・アルセリオン対カイル・アーディン!』
アレクシスは静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
決勝戦の相手は、カイル――仲間であり、今、目の前に立つ彼だ。
だがそのカイルは、ただの仲間の顔ではなかった。
怒りを隠そうともしないまなざしで、歩み寄ってくる。
一直線に、アレクシスの前へ。
「……殿下は、知らなかったかもしれない。でもな」
低く押し殺した声で、カイルは言った。
「フィオナは、ずっと影でやられてたんだ。ベアトリスたちに、何度も」
アレクシスの心が、大きく揺れる。
シルヴァンとユリウスが慌てて止めに入ろうとするが、カイルは止まらない。
拳を握りしめ、怒りを噛み殺しながら続けた。
「今回だって、そうだ。王太子の婚約者って肩書きのせいで、狙われたんだ」
アレクシスの喉元がひりつく。
言い返せる言葉など、どこにもなかった。
そして、カイルは一歩、アレクシスに詰め寄る。
「守るって、言っただろ。なら、ちゃんと守れよ!」
その叫びは、痛烈だった。
そして――カイルはきっぱりと言い放った。
「お前に勝って、フィオナは俺が守る!」
まっすぐな瞳。
まるで、それ以外に選択肢などないとでも言うような、強い意志。
言い捨てるように背を向けると、カイルは迷いなく歩き出す。
これから始まる、決戦の場へ。
残されたアレクシスは、拳を握りしめたまま、その背中を見つめていた。
アレクシスもまた、静かに歩き出す。
闘技場、アリーナへと向かって。




