新学期、デュエルフェスタ開幕 3
クララが体調不良で休んだその日、礼儀作法の授業は、まるでフィオナを品定めするかのような冷たい空気に満ちていた。集まったのはほとんどが貴族派の令嬢たち。教室に一歩足を踏み入れた瞬間、フィオナは肌を刺すような視線の集中砲火を浴びた。
「あら、エルディア公爵家のお嬢様。今日もお忙しそうね、貴族の娘が商会をやってるとか?」
教室の最前列を占めるベアトリス・フォルディアが、扇子で口元を隠しながらわざとらしく言う。彼女を取り巻く令嬢たちは、微笑みの仮面の下にある嘲笑をもはや隠そうともしない。
「王太子殿下の婚約者というだけで、自分が特別な存在だとお思いなのかしら」
「中立派なんて、結局どちらにもいい顔をする日和見主義ですものね」
ひそひそと、しかし確実にフィオナの耳に届くように計算された悪意。フィオナは何も言わず、背筋を伸ばして指定された席へと向かった。動揺を見せれば、相手を喜ばせるだけだ。
授業が始まっても、嫌がらせは続いた。
講師が目を離した隙に、隣の令嬢がわざと水差しを倒し、フィオナのノートと制服の袖を濡らす。
「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまって」
心にもない謝罪に、フィオナは静かにナプキンで机を拭くだけだった。怒りも悲しみも、今は心の奥に仕舞い込む。それがエルディア家の娘として、彼女が選んだ戦い方だった。
そして、デザートを使った実技の時間。
フィオナの前に出されたプディングに、一口食べてすぐに気づいた。――塩辛い。
教室のあちこちから、くすくすという笑い声が漏れる。ベアトリスは扇子の向こうで、勝ち誇ったような目をしていた。
フィオナは一瞬だけ目を伏せたが、次の瞬間、顔を上げてにっこりと優雅に微笑んだ。
「まあ、これは……なんと革新的な味付けでしょう。甘味と塩味が織りなす、予想外の味わいですこと。わたくし、こういう挑戦的な試みは嫌いではございませんわ」
彼女は平然と二口目を運び、そして、意地悪くこちらを見ている令嬢たちに、天使のような笑顔を向けた。
「よろしければ、皆様もいかが? 新しい味覚の扉が開くかもしれませんわよ」
その一言に、教室の空気が凍りついた。嫌がらせをしたはずの令嬢たちは言葉に詰まり、顔を赤らめる。ベアトリスは扇子を握る手に力を込めたが、その表情は悔しさに歪んでいた。遠巻きに見ていた他の中立派の生徒たちの間では、「すごい……」「格が違うわ」という囁きが静かに広がっていた。
フィオナは、誰にも気づかれないように、そっと小さく息を吐いた。
(大丈夫。誰が何をしても、わたしはわたしだ)
♢♢♢
教室を出たフィオナを、ジュリアン、カイル、シルヴァンが待っていた。
「姉さま!」
真っ先に駆け寄ったジュリアンは、フィオナの濡れた袖に気づき、眉間に深いしわを寄せた。
「……制服が濡れています。すぐに着替えましょう」
「うん。ありがとう、ジュリアン」
フィオナは微笑み、彼に導かれるまま歩き出した。
その背中を見送ったカイルとシルヴァンは、教室から出てきたベアトリスたちの前に、無言で立ちはだかった。
カイルの顔から、いつもの快活な笑みは完全に消えていた。その瞳は冷ややかに、底知れぬ静かな怒りを宿している。
「……おい」
低く、地を這うような声に、令嬢たちがびくりと肩を震わせた。
「フィオナが優しいのをいいことに、調子に乗ってんじゃねえぞ」
静かな声。だが、その一言一句に込められた怒りは、誰の耳にも明らかだった。
「もう一度あいつに何かやってみろ。その時は、お前ら潰すからな。覚えとけ」
シルヴァンは、その隣で口角だけを上げて見せた。しかし、その目は全く笑っていない。
「哀れだね。自分たちだけじゃ何もできないからって、群れなきゃいけないなんて。……ああ、でも心配しないで。僕たちは、一人を寄ってたかって虐めるような真似はしないから。正々堂々、正面から潰させてもらうよ」
その静かな宣告に、ベアトリスたちは恐怖で顔を引きつらせ、逃げるように足早にその場を去っていった。
♢♢♢
着替えを済ませたフィオナが廊下に戻ると、先に待っていたカイルたちは、何事もなかったかのように彼女を迎えた。
「おかえりなさい、姉さま」
ジュリアンが穏やかに微笑み、フィオナの荷物をさりげなく持ってくれる。
「よし、次! 魔法理論だろ? 行こうぜ!」
カイルがぱっと明るい声を上げる。その隣で、シルヴァンが軽く口元を緩めた。
「どうせなら、髪型も変えてみる? きっと、今より可愛くなるよ」
「シルヴァンがやってくれるの?」
「いいよ? 任せて」
その瞬間、カイルが慌てたように飛び出す。
「ダメダメダメダメー! 絶対変な髪型にされるって!」
くだらないやり取り。けれど、その何気ない優しさが、ささくれ立っていたフィオナの胸に静かに沁みた。
秋の風が、制服の裾を優しく揺らす。
フィオナたちは、軽やかな足取りで次の教室へ向かっていった。




