新学期、デュエルフェスタ開幕 1
夏が、終わった。
朝の空気は、ほんの少しだけ涼しくなっていて、馬車の窓から差し込む光も、どこか柔らかく感じられる。
エルディア家の紋章が入った黒い馬車の中で、フィオナは制服のスカートをそっと整えながら、胸の奥に広がる、少しの寂しさと、少しのわくわくを噛み締めていた。
隣には、きちんと制服に身を包んだジュリアン。開いた本を膝にのせながら、真面目な顔でページをめくっている。
「……夏休み、あっという間だったね」
思わず漏れた独り言に、ジュリアンが本から顔を上げた。
「はい。今年の夏はとても充実してました」
にこりと笑う弟に、フィオナは小さく苦笑いを返す。たしかに、今年の夏は忙しかった。
剣の稽古に励み、治療院を訪れて、ジュリアンとクララと一緒に商会の準備と新しい商品の開発にも挑戦した。
王妃教育がお休みだった分、自分のために、たくさん動いた夏。
窓の外を見れば、同じように学院へ向かう馬車がいくつも並び、制服姿の生徒たちが、門を目指して歩いている。
その光景に、胸がすうっと軽くなった。
(また、みんなに会えるんだ)
夏の間、会えなかった仲間たち。賑やかだったあの日々が、また戻ってくる――そんな気がして、フィオナは小さく笑った。
ジュリアンも、本をぱたんと閉じて言う。
「今日は久しぶりに、みんな揃いますかね」
「うん。楽しみだね」
馬車はゆっくりと学院の門へと進んでいく。
学院の門をくぐると、クラス棟の前にはすでに見慣れた顔ぶれが集まっていた。
真っ先に手を振ったのは、カイルだ。
「フィオナ! ジュリアン!」
元気な声に応えるように、フィオナも手を振り返す。
その隣には、シルヴァンがのんびりした笑みを浮かべ、アレクシスとユリウスも、控えめにこちらに視線を向けていた。クララも、小さな手を胸の前でそっと合わせるようにして、ふたりを見つめている。
「久しぶり!」
自然と輪ができて、あっという間に賑やかな空気が広がった。
「夏休み、どうだった?」
誰からともなくそんな声が上がる。
最初に答えたのは、ユリウスだった。
「変わりなく、勉強していました。もちろん、予定通りに」
胸を張るその顔は、どこか誇らしげで、思わずシルヴァンが吹き出す。
「やれやれ。夏ぐらい羽を伸ばせばいいのに」
「学問より遊びを優先する者の台詞だな」
淡々と返すユリウスに、シルヴァンは肩をすくめた。
「俺はね、避暑地で優雅にバカンスさ。もちろん、勉強はしないに決まってる!」
あっけらかんとした言葉に、今度はアレクシスがため息をついた。
「……俺は、執務漬けだったな」
遠い目をするアレクシスに、カイルが小声で同情する。
「夏休み……って、なんだったんだろうな」
笑いがこぼれる中、クララがそっと手を挙げた。
「あの、私は……フィオナちゃんと薬草研究したりしたよね」
「うん、楽しかったね!」
思わず声を弾ませると、クララははにかみながら笑った。
そんな中、ふとカイルが口を開く。
「……まあ、俺はちょっと、出かけてた」
少しだけごまかすようなその言い方に、フィオナは首を傾げたけれど、カイルはそれ以上は言わなかった。
(後で、聞いてみようかな)
そんなことを考えながら、フィオナは改めて輪の中を見回した。
久しぶりにそろった、大切な仲間たち。
夏を越えて、みんな少しだけ成長したように見える。
そんな中、シルヴァンがふと、クララの頭の上に手をかざしてにやりと笑う。
「少しは背、伸びたか?……ああ、気のせいか」
クララはむっと頬をふくらませ、ぴしっと言い返す。
「失礼ですっ!」
その反応に、シルヴァンはますます楽しそうに笑った。
そんなふたりのやり取りに、仲間たちはまた笑い声を上げた。
わいわいと賑やかだった輪が、ふとした拍子に緩んだ。
みんながそれぞれ別の話題に散った隙に、フィオナとカイルは自然にふたりきりになる。
カイルは、少しだけ気まずそうに頭をかいた。
「……夏休みの後半、王都を離れてたんだ。武者修行みたいなもんで」
「武者修行?」
聞き返すフィオナに、カイルは照れたように笑う。
「うん。強くなりたくてさ。もっと、ちゃんと」
言葉を濁すカイルに、フィオナは静かにうなずいた。
けれど、次に向けられたカイルの視線は、いつになく真剣だった。
「……フィオナ、襲われたって、聞いた」
小さな声だったけれど、その響きには、痛いほどの悔しさがにじんでいた。
フィオナは慌てて首を振った。
「ううん、大丈夫だよ! ちゃんと助けてもらったし、今こうして元気だもん」
「……でも、俺がそばにいたら……って、思った」
ぽつりとこぼれるような声。
フィオナは困ったように笑って、カイルの腕を軽く叩いた。
「そんなの気にしないで! カイルも頑張ってたんでしょ?」
そう励ますと、カイルは少しだけ目を細めた。
「……うん。でも、次は――絶対、守る」
心の底からの、強い誓い。
そのまっすぐな瞳に、フィオナは少しだけ胸が熱くなった。
ふと、カイルの視線がフィオナの髪にとまる。
「……髪、まとめ方、変えたんだな」
その言葉に、フィオナは小さく笑った。
「うん。気分変えたくて」
今日のフィオナは、稽古用の高いポニーテールではない。
首もとでふわりとまとめた、低めのシニヨン。
編み込みを添えたその髪型は、少しだけ大人びた雰囲気を纏っている――と、彼女自身も思う。
カイルは、言葉に詰まったように口を開きかけ、そしてぽつりと呟いた。
「……すげぇ、似合ってる」
不意に、ふわりと甘い香りが漂った。
思わず、カイルは呼吸を忘れかける。
(……あれ? 前より、いい匂い……)
言葉にできないまま、顔がほんのり赤くなる。
フィオナはそんなカイルに気づかず、にこにこと笑っていた。
わいわいと賑やかだった教室に、重い靴音が響いた。
ドンッ!
瞬間、空気が凍る。
入り口に立っていたのは、がっしりとした体格の男――ロイ・バーグ先生。
この学院のAクラス担任にして、実技授業の担当教官。
ロイ先生はゆっくりと教室を歩き、教師用の机の前に立った。
そして、教室中をぐるりと見渡すと、低く、よく通る声で言い放つ。
「夏休みは終わったぞ」
誰もがびくりと身を正す。
「秋には、魔法決闘祭がある。全員、参加だ!」
短く、だが確かな響きの言葉に、教室がぴしりと張り詰めた。
(魔法決闘祭……)
フィオナは心の中で繰り返す。
夏休み前に、説明は受けていた。秋に行われる学院最大の個人戦。実力を示す場でもあり、進級や将来にも影響する大事な行事。
(わかってる。わかってるけど――)
改めて宣言されると、やっぱり胸が少しだけ締めつけられる。
剣の稽古もした。治癒の魔法も磨いた。自分なりに、できる限りの準備はしてきたはず。
それでも、緊張しないわけじゃない。
横を見ると、カイルがぎゅっと拳を握りしめている。アレクシスも、ユリウスも、シルヴァンも。みんな、それぞれに表情を引き締めていた。
(よし、頑張ろう)
フィオナは小さく、心の中で気合を入れた。




