夏休み、予想外の大騒ぎ! 6
風がざわりと吹き抜けた瞬間――フィオナの本能が、全身に警鐘を鳴らした。
――来る!
相手が何者かはわからない。ただ、その動きの中に敵意と明確な目的があることだけは、確信できた。
だからフィオナは、一歩も引かずに、手を前へ。
胸の奥に静かに魔力を集めながら、唇を開いた。
「光よ、盾となって――守れ《光盾》」
その声に応じるように、空間がわずかにきらめく。黄金色の光が、彼女たちの前に壁となって現れた。
新たに習得した、守りのための魔法。実戦で使うのは、これが初めてだった。
襲撃者が、足元の地面に手を向ける。
次の瞬間、小石が地面から跳ね上がり、魔力によって弾丸のように撃ち出された。
ばしん――!
光の盾に当たった石は砕け散り、辺りに飛び散る。フィオナは両手を構えて身をすくめるも、盾は崩れなかった。
(……効いてる)
ほっとしたのも束の間、すぐに次の魔法が飛ぶ。今度は小石が複数の弾丸になって襲い掛かる。
それでも――光の盾はきらめきを絶やさず、彼女たちを守っていた。
(……負けない!)
足を踏みしめて、魔力を送り続ける。
男は言葉ひとつ発することなく、ただ石を操り、攻撃を繰り返してくる。
(こっちは防ぐだけで精一杯……)
歯を食いしばりながら、フィオナは光盾を維持する。少しでも魔力が乱れれば崩れてしまう。
(早く、誰か……)
――その瞬間だった。
鋭い水の衝撃が、横から襲撃犯を弾き飛ばす。
どん、と鈍い音と共に、男が壁際に叩きつけられた。
「フィオナ?」
聞き慣れた声に、フィオナははっと顔を上げる。路地の入口に立っていたのは、銀の髪を揺らす少年――シルヴァンだった。
手をゆるりと下ろした彼の周りには、まだ水の魔力が微かに揺らめいていた。どうやら先ほどの衝撃は、彼の魔法によるものだったらしい。
「誰か襲われてるっぽいなーと思って来てみたら、まさかのフィオナ……びっくりした」
軽い調子の口ぶりに、一瞬だけ肩の力が抜ける。けれど、次の言葉で、フィオナの心は再び凍った。
「殺しとく? こいつ」
さらりと、何気ないように。けれどその瞳は、氷のように冷えていた。
フィオナはごくりと息をのむ。その目を、彼女は今まで一度も見たことがなかった。
(こんなシルヴァンの表情……見たことない)
飄々としていて、どこか掴みどころがなく、優雅な物腰で冗談ばかり言うシルヴァン。
けれど今、彼は確かに怒っていた。
フィオナは慌てて、声をあげる。
「こ、殺しちゃダメ! 警備隊に引き渡さないと!」
シルヴァンは彼女の言葉に、ちらりと目を向ける。その視線が、ほんの少しだけ和らいだように見えた。
彼はゆっくりとフィオナに歩み寄る。その距離が縮まるたびに、なぜか心臓の鼓動が速くなっていく。
そして――フィオナの手を、そっと取った。
彼女の指先が、小さく震えているのに気づいて。
「……やっぱり、殺そうか?」
低く呟いた声には、先ほどよりもずっと感情がこもっていた。
「だ、だめーっ!!」
フィオナは慌てて手を引っ込め、両手を振る。
「こっちは無事なんだから、落ち着いて!ちゃんと警備隊にお願いしよう!」
その言葉に、ようやくシルヴァンの口元に微かな笑みが戻る。
「……冗談だよ?」
そう言った彼の笑顔は、いつもの調子を少しだけ取り戻していた。
駆け足の足音が、路地の奥に近づいてくる。
「お嬢様!」
戻ってきた護衛が、状況を見て目を見開いた。
「申し訳ありません、すぐに戻るつもりが……!」
「いいの、大丈夫。こっちは無事だから」
フィオナがそう言って振り返ると、襲撃者はシルヴァンの魔法で拘束され、地面にうつ伏せになっていた。
駆けつけた警備隊が手際よくフードの男を取り押さえ、先ほどのひったくり犯と共に連行していく。最後まで男は何も語らず、ただ伏せたままだった。
「本当に、ありがとうございました!」
ひったくりに遭った女性が涙ぐみながら何度も頭を下げる。フィオナは小さく笑って、「ご無事でよかったです」と優しく返した。
すべてが片付いたころ、通りには穏やかな空気が戻っていた。
夕暮れの光が、石畳の上に柔らかく差し込む。あれほど強張っていた身体から、少しずつ力が抜けていくのがわかった。
(怖かった、けど……ちゃんと守れた)
自分の足で立っていられることに、小さな誇りが芽生える。
そして、隣を見ると――
「行こっか! 屋敷まで送るよ」
いつの間にか、シルヴァンが普段の表情に戻っていた。その笑みはどこか柔らかく、あの冷たい目の名残を感じさせなかった。
フィオナはこくりとうなずき、彼の隣に並んで歩き出した。
エルディア邸の門の前。見慣れた場所まで来たところで、フィオナが足を止めた。
「ここで大丈夫。ほんとにありがとう、シルヴァン」
「気にしないでいいよ……じゃあ、またね」
いつものようにひらりと手を振って、彼は背を向ける。フィオナの「またね」という声が、門の中へと消えていった。
誰もいない帰り道。街のざわめきも少し離れて、辺りには静けさが戻っていた。
歩きながら、シルヴァンはふと足を止める。
その表情から、笑みはすっかり消えていた。
「……あれは、偶然じゃない」
淡々とした口調で、誰に向けるでもなくつぶやく。
「タイミングも場所も、できすぎてるな。狙われてたのは、間違いなくフィオナだ」
そして、目を細める。
「――さて、誰の差し金だろうね」
風がひとつ、すっと通り抜ける。
その音だけを連れて、シルヴァンは再び歩き出した。
今回も読んでくださりありがとうございます。
ブクマ&評価、いつも励みになっています。




