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悪役令嬢、チュートリアル担当の騎士と結婚したら破滅回避できました 〜攻略難易度★☆☆☆☆の彼が最高の旦那様でした〜  作者: 梅澤 空


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夏休み、予想外の大騒ぎ! 5

早朝の中庭に、ぴしゃりと木剣の音が響いた。


「っ……はっ!」


フィオナの掛け声とともに、一歩踏み込んだ突きが繰り出される。それを軽くいなしたカイルは、ふっと笑みを浮かべた。


「おおっと、なかなか鋭いな。朝から気合い入りすぎじゃない?」


冗談めかした口調に、フィオナは肩で息をしながら木剣を構え直す。


「気合いじゃないわ。……ただ、やらなきゃって思ってるだけ」


その目は真っすぐに前を見据え、言葉以上の覚悟がにじんでいる。いつものふわふわした笑顔はそこにはなく、ただ静かに、真剣なまなざしだけがあった。

カイルは木剣を下ろし、額の汗をぬぐうふりをしながら、ちらとフィオナの顔を見た。


「……無理すんなよ、フィオナ。あんまり飛ばすと、バテちまうぞ」


心配するような、でもそれを軽くごまかすような口調。

フィオナはわずかに微笑むと、木剣を腰の位置に戻し、深く呼吸を整えた。


「午後は治療院に行くの……そっちでも、手は抜けないから」

「ったく、がんばりすぎだっての」


カイルは苦笑しながらも、その言葉の裏にある自分の可能性を広げたいという願いをちゃんとわかっている。



午後の陽射しが少し和らぎ始めた頃、フィオナはいつもの治療院に足を踏み入れた。


「いらっしゃい、フィオナちゃん。今日も来てくれてありがとう」

「こんにちは。お手伝い、させてください」


フィオナが白衣を羽織って準備に取りかかる姿を見ながら、治療師はふと微笑む。


「もう二年になるのね。でも、あなたは最初から手つきが落ち着いていて、なんというか……経験がある人みたいだったのよ」

「……そう言われると、ちょっと恥ずかしいですね。でも、最初は心の中でドキドキしてたんですよ」

「そうだったの? じゃあ、やっぱり才能かしらね」

「あはは……」


フィオナは苦笑するが、誰にも語れない前の人生がひっそりと隠れていた。治療院での手伝いは、貴族としての肩書や義務から離れて、素の自分でいられる時間だ。

その日、最初に彼女が声をかけたのは、小柄な体を椅子に預けていた老婦人。優雅な雰囲気をまといながらも、汗を拭き取る仕草に夏の厳しさがにじんでいる。


「こんにちは。今日は、どうしましたか?」

「ええ、暑くて、つい冷たい水ばかり飲んでしまってね。お腹が変な感じがするの」


老婦人がそう言って笑うと、フィオナは静かにうなずいた。


「冷たいものは美味しいですけど、取りすぎると冷えて体の働きが悪くなるんです。常温のお茶を少しずつ取るのが、一番体に優しいですよ」

「まぁ、そうなの? 冷やしたほうが楽になると思っていたわ」

「そう思ってしまいますよね。でも、身体の中から冷えてしまうと、かえって体力を奪われやすくなるんです。少しずつでいいので、常温の水分を、こまめに摂るようにしてください」


フィオナの言葉は、まるで優しい風のように老婦人の心に染み込んでいく。

老婦人が軽く笑いながらうなずいた後、フィオナはそっと隣の診察台に目を向けた。そこには、指を切ってしまった少女が、痛みに顔をしかめている。


「こんにちは。少し見せてもらえる?」


フィオナがしゃがみ込み、そっと少女の手を取る。

……視界の中で、傷口がほのかに光った。フィオナにしか見えない患部が光って見える現象――それは、彼女の魔力と看護の知識が結びついたときに現れる、特異な感覚だ。

傷は浅く、出血も少ない。汚れもすでに拭き取られていた。


「すぐに良くなるからね」


フィオナは目を閉じ、小さく息を吸う。


「癒しよ、痛みを包み込んで――《治癒》」


淡い金の光が、指先からふわりとこぼれ落ちた。その光が少女の傷にそっと触れた瞬間、痛みが和らいだのか、緊張していた肩がすうっと下がった。


「……もう、痛くないかも」

「よかった。まだまだ暑い日が続くから水分と休憩を忘れずにね。今日はよくがんばりました」


最後に軽く手を握って、目を合わせて微笑んだ。

少女は照れくさそうに笑って「ありがとう」と小さく答えた。

治療師の視線がフィオナに向けられる。


「ほんとに、頼もしくなったわ」

「いえ、まだまだ……」

そう言いながらも、フィオナの心の中には、ほんの少しだけ、自分への誇りが芽生えていた。


治療院の扉が、静かに閉まる音を立てた。淡い陽射しが斜めに差し込む午後の通りに、フィオナはひと息ついて振り返る。


「フィオナちゃーん!」


すぐ近くにある小さな飲食店から、おばちゃんが手を振ってきた。後ろでくるっとお団子にした茶色の髪に、小柄な体。いつも元気いっぱいなその人は、このあたりの名物のような存在だった。


「こんにちは。今日もお店、にぎわってましたか?」

「そりゃもう! ……って、そんなことよりちょっと耳貸しておくれよ!」


ひそひそと声を潜めるおばちゃんに、フィオナはきょとんと目を見開く。そして次に返ってきた言葉に、思わず足が止まった。


「最近ね、この辺りで若い女の子をつけ回す変なやつが出るって噂があってさ。気をつけるんだよ」

「え……」


思わず素の声が漏れた。


「そんな話、初めて聞きました」

「 お客さんの娘さんがね、何度か見かけたらしいんだわ。フード被ったような格好の変な男が、こそこそと後ろを歩いてたって」


おばちゃんの声は軽く、まるで世間話の延長のようだった。けれどフィオナの心の奥には、ほんの小さな針のような違和感が刺さる。


「わたし、あんまり目立ってるつもりはないんですけど……」


そう言いながら、思わず自身の姿に目をやる。清潔な淡い色のワンピース。プラチナブロンドの髪。周囲から見て目立つのは、きっと避けられない。

「目立つよぉ。あんた、髪もお顔も、そりゃもう目を引くからねぇ。気品ってやつ? うん、まさにそれ」


おばちゃんの茶目っ気のある口調に、フィオナは少しだけ頬を染めて小さく会釈した。


「でも、大丈夫です。今日は護衛も一緒にいますし」

「そうかい?それならいいけど、気ぃ抜かないでよ。世の中、変なやつはどこにでもいるからね」


フィオナはもう一度礼を言い、その場をあとにした。

午後の陽射しはまだ強く、石畳には小さな熱気が漂っている。けれど、吹き抜ける風の中に混じるほんのわずかなざらざらした感覚が、どこか心を落ち着かなくさせた。

(変な人……?)

軽く流せばそれまでのこと。だが、妙に具体的なフードを被った男という情報が、頭の片隅に引っかかった。

フィオナは、視線を周囲に一度だけめぐらせる。特に不審な気配はない――そう思いながらも、彼女の足取りはいつもよりほんの少しだけ、早くなっていた。


通りに出た瞬間、前方からこちらに向かってくる女性がいた。足取りはふらつき、顔には怯えの色が浮かんでいる。


「すみませんっ、誰か……っ!」


フィオナが反応するより早く、女性は走り寄ってきた。


「鞄を、ひったくられて……あっちに……!」


肩で息をしながら指さす先は、細い裏路地の奥――ちょうど死角になるような位置だった。

フィオナはすぐさま護衛を見上げる。


「行ってください。急いで」

「ですが、お嬢様を一人にするわけには!」


ためらいを見せる護衛に、フィオナはまっすぐに目を向けた。


「大丈夫です。ここから動きません。お願い、捕まえてあげて」


その声には、いつものやわらかさではなく、確かな意志があった。

護衛はわずかに口を引き結び、「すぐ戻ります」とだけ告げて走り出す。ブーツの音が石畳を叩き、すぐに遠ざかっていった。

残されたのは、フィオナと、まだ息の荒い女性――だけだった。


「もう大丈夫ですよ」


そう言って女性を壁際に座らせると、フィオナは周囲に意識を向けた。通りには人通りがなく、ただ、どこか遠くで蝉の声と――カラスの、かすれた鳴き声が混じる。

張り詰めたような静寂。空気の質がふと変わったような気がした。

――何か、いる?

肌をなぞるような気配に、フィオナはゆっくりと振り返った。

通りの奥。日陰になった路地のさらに奥まった場所に、ひとつの影。

黒いフードを被った人物が、壁際に立っていた。

それが気配の主であることは、疑うまでもなかった。

フィオナは目を細め、警戒を隠さず言葉を投げる。


「……なにか、ご用ですか?」


返事はない。代わりに、ゆっくりと――まるで距離を測るかのように、その人物が歩を進めてくる。

その動きには、急ぎもせず、迷いもなかった。まるで最初から、ここを目指していたかのように。

心臓が、ひとつ、脈を打つ音だけがやけに大きく響いた。

(この人……何者?)

脚がすくむほどの恐怖ではない。けれど本能が危機を告げている。

誰かが来てくれることを信じて、けれど、もしもに備えて。フィオナは、そっとスカートの裾を小さく手で握りしめた。

今日も読んでくださりありがとうございます。


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