光魔法は予定外、婚約は想定外 2
薄く差し込む朝の光が、フィオナのまつげをふわりと撫でた。
うっすらと目を開けると、見慣れた天井の模様が目に入る。
「……ん……?」
体はずっしりと重く、頭もぼんやり。
夢と現実のあいだをふらふらと漂う意識の中で、視界の端に見慣れた少年の姿が見えた。
「……ジュリ?」
椅子に座ったままベッドに突っ伏していたジュリアンが、はっと顔を上げる。
目は赤く、頬にはうっすらと涙の跡。寝ぐせまでついていた。
「姉さま……! よかった……ほんとに……!」
彼は涙をこぼしながら、フィオナの手をぎゅっと握りしめた。
「ちょ、ちょっと……顔が近いし、泣きすぎよ……」
フィオナが苦笑しようとしたが、顔をしかめて動きを止める。
「……あれ、体が……重たい……」
「無理しないで!」
ジュリアンが慌てて支えようとし、椅子から半分ずり落ちた。
「裏庭で、僕がちょっと練習しようなんて誘ったせいで……
姉さまは僕をかばって、倒れて……。
三日間も、ずっと目を覚まさなかったんですよ」
悔しさと罪悪感で潤んだ瞳が揺れる。
「僕が、あんなこと言わなければ……。
もっとちゃんと考えていれば、姉さまがこんな目に遭うことなんてなかったのに……!」
フィオナは彼の手をぎゅっと握り返す。
「……ジュリのせいじゃないわ。私が、ちゃんとできなかっただけ」
そのとき、扉が開いた。
「フィオナ!」
駆け込んできたアマーリエが、娘を抱きしめる。
レオナルドも無言で近づいてきて、鋭い目つきのままフィオナの額に手を当てた。
「三日間も眠り続けて……どれだけ心配したか分かるか?」
「ごめんなさい……」
フィオナは小さくつぶやく。
「フィオナ、ジュリアン。二人とも、魔法の扱いを甘く見すぎだ。
適切な知識も準備もなしに使えば、命を落とすことすらある。今回は運が良かっただけだ」
レオナルドの声は、冷静だが確かな怒りを含んでいた。
「はい……。ちゃんと反省します」
フィオナは小さくうなずく。
「私、ちゃんと魔法を学びます。危ないこと、もうしません」
その真剣な眼差しに、レオナルドは少しだけ表情を緩めた。
「先生を呼ぼう。ちゃんとした魔法の基礎を教えられる人物に。
……お前のためにもな」
「ほんとに……? 先生、来てくれるの?」
「ええ。あなたの力を導いてくれる人よ。きっと、大丈夫」
アマーリエの言葉に、フィオナは少し安心したように目を細める。
ジュリアンも横で静かに言った。
「……姉さま。今は、ちゃんと休んで。
僕、ずっと心配でたまらなかったんです。だから……もう無理しないで」
その優しい言葉に、フィオナもようやく微笑みを返した。
♢♢♢
夕暮れの書斎。
レオナルドは机に向かい、重厚な羽ペンを指で転がしていた。
窓の外では夕陽が地平線に沈みかけ、赤い光が静かに差し込んでいる。
ノックの音と共に、執事のウォルターが現れた。
「旦那様。ご用件は?」
「フィオナの件で話がある」
椅子に座ったまま、レオナルドは深く息を吐く。
「まさか、あんな形で光の魔法を発現するとはな……。百年に一人とは聞いていたが、まさか我が子に現れるとは」
「ええ、稀ではありますが確かに存在します。王国の歴史では、そのような力を持つ者は必ずと言っていいほど、王家と結ばれてきました」
「……だろうな」
レオナルドは苦々しく笑った。
「王には報告せねばなるまい。だが、それであの子が政略の駒にされるのはごめんだ」
「お気持ちは察します。ですが、放置すれば噂が先に走ります。早めに正しい手を打つべきです」
「……わかっている」
レオナルドは立ち上がり、壁に掛けられた家系図をちらりと見る。
「まずは、魔法の基礎をきちんと教えられる先生を呼ぼう。力を持つことの責任も含めて、あの子に理解させねばならん」
「候補がひとりおります。マークス教授、現在も魔法学園で教鞭をとっております。光魔法は使えませんが、その理論については王国一の知識を持つ人物です」
「マークス教授……あの偏屈じーさんか」
レオナルドは思わず小さく笑う。
「……まあ、あの人に鍛えられたおかげで、今の私があるんだが……。腕は確かだな」
彼は机の引き出しを開け、羊皮紙とペンを手に取った。
「よし、彼に頼もう。アマーリエにも話しておくか。フィオナに、少しずつ自分の立場を理解してもらわねば」
「お嬢様なら、きっとその力をどう生かすべきか、自分で見つけていかれるでしょう」
レオナルドは言葉には出さなかったが、その想いに深く頷いていた。