夏休み、予想外の大騒ぎ! 3
午後の陽射しが、白いティーカップの縁を照らしていた。エルディア邸のテラスにて、ジュリアンと過ごす久しぶりのひととき。
「この香り……クララ特製のハーブティーですね。とても落ち着きます」
優雅にカップを口に運びながら、ジュリアンが静かに微笑む。
「うん。クララが夏はミントを少し強めにするとすっきりするって」
「なるほど。確かに、暑い日にはぴったりの調合です」
「最近、父さまもあの香りのお茶がいいって言うんですよ」
自分たちの研究が、誰かの日常に小さな彩りを添えている――そのことが、なんだか嬉しかった。
そんな穏やかな空気の中、ジュリアンがふと思い出したように話題を変える。
「そういえば、学院から秋の予定が届いていました。魔法決闘祭という行事があるそうです」
「……デュエルフェスタ?」フィオナは手元のカップを見つめ、ゆっくりと瞬きをした。
「はい。魔法を使った模擬戦形式の行事で、成績にも反映されるとのこと。全生徒参加だそうです」
「……え、それってわたしも?」
思わずそう聞き返すと、ジュリアンは静かにうなずいた。
「はい。特例は認められていないようです」
しばし沈黙が流れる。
フィオナはテーブルの上のティーカップを見つめたまま、ぽつりとつぶやいた。
「……今のわたしじゃ、すぐに負けてしまう」
「負けるのは仕方ないとしても、ぼろ負けは……ちょっと、嫌かも」
声は小さかったが、その中には確かな意思が込められていた。
「これから先、また誰かを助けたいって思ったとき……守られてばかりじゃ、だめだと思うの」
「ちゃんと、自分の力で立っていたい」
ジュリアンはその言葉を、真剣なまなざしで受け止めた。
「その気持ちは、よく分かります」
「実際、何かあったときに自己防衛ができるかどうかは、状況に大きな差を生みますから」
「僕が姉さまを護れたら一番いいのですが、常にそばにいられるとは限りません」
穏やかな口調に、フィオナはそっと頷いた。厳しさではなく、現実を見据えた優しさが、そこにはあった。
お茶の時間が終わっても、フィオナの心には言葉が残っていた。
守られるだけじゃ、だめ。誰かの手を取るためにも、自分の足で立てるようにならなくちゃ。
翌日、フィオナは早速行動に移すことにした。思い浮かんだのは、いつも冷静で、魔法も学問も得意な弟――ジュリアンだった。
「ジュリ、あの……少し、剣を教えてもらえないかな?」
屋敷の図書室で資料を読んでいたジュリアンが、ゆっくり顔を上げる。
「剣、ですか?」
「うん。デュエルフェスタのことを考えてて……少しでも戦えるようになりたいの。魔法じゃどうにもならないなら、せめて剣くらいはって」
ジュリアンは短く考え込み、申し訳なさそうに首を振った。
「姉さまにお願いされるのは、とても嬉しいです。でも今は領地関連の対応と日々の管理で手一杯で…時間が作れなさそうなんです」
「けど――」と、そこで言葉を区切り、少しだけ口元をゆるめた。
「カイルにお願いしてみてはいかがですか?」
「カイルに……?」意外な名前に、フィオナは瞬きをする。
「はい。彼なら剣術に長けていますし、姉さまのこととなれば、きっと断る理由はないでしょう」
「むしろ、喜んで教えてくれると思いますよ」
「う、うん……でも、忙しくないかな。訓練とか、任務とかあるだろうし……」
「それは大丈夫です。あの様子では、きっとスケジュールをどうにかしてでも時間を作ってくれるでしょうから」
ジュリアンがさらりと言うので、思わず吹き出してしまいそうになる。でも、心の中で何かが軽くなった。
「……じゃあ、手紙を書いてみる」
「はい。伝えれば、すぐにでも飛んでくるかもしれませんね」
そのやり取りの後、フィオナは筆を取った。――そして数日後、届いたカイルの返事には、まっすぐな言葉が綴られていた。
♢♢♢
エルディア邸の中庭に、風がそよぐ。
いつも薬草を干している陽だまりの一角が、今日は小さな稽古場になっていた。カイルは普段と変わらない笑顔でやってきて、軽く礼をしてから剣を構える。
「今日はよろしくね、フィオナ」
「まずは構えから。剣を持つのは慣れてる?」
「ううん、ほとんど初めて」
そう答えると、カイルは頷き、柔らかい声で続けた。
「うん、大丈夫。ゆっくりやろう」
「最初は振ることより、立つこと。剣を構える前に、ちゃんと地に足をつけるんだ」
そう言って、フィオナの立ち位置に近づく。足元の幅を見て、軽く肩に手を添えてバランスを直すと、その動作ひとつひとつが思いのほか丁寧だった。
「重心、右に寄りすぎてる。こっちの足でしっかり支えて。……うん、そう」
「それから――腕の角度。もう少しだけ肘を曲げて」
言葉は優しい。でも、指導はまっすぐだった。いつもの明るさは少し控えめで、教えることに集中しているのが伝わってくる。
(こんなふうに真剣な顔、あまり見たことなかったかも)
風が吹き抜け、汗に濡れたカイルの前髪が、額に張りつく。その横顔に、ほんの一瞬だけ視線が釘付けになった。
カイルの剣さばきには、迷いがなかった。動きひとつひとつが的確で、日々の鍛錬の積み重ねが感じられる。それは美しいとさえ言えるほどだった。
「よし。じゃあ、ちょっとだけ振ってみようか。力は入れなくていい。姿勢を崩さないように意識して」
カイルの声に頷いて、フィオナは木剣を握り直した。手に伝わる重さと、指先に滲む汗。それでも――剣の先は、不思議とまっすぐ前を向いていた。
稽古を終え、ふたりは中庭の木陰に腰を下ろしていた。夏の陽射しはまだ強かったけれど、草の匂いを含んだ風が頬をなでていく。汗ばんだ額を袖で拭いながら、フィオナはほっと息をついた。
「はい、これ。冷やしておいたよ」
そう言って、カイルが差し出してくれたのは、涼しげなガラス瓶。中にはレモンとハーブが浮かんだ、水色のドリンクが入っている。
「……ありがとう。カイルが作ったの?」
「いや、屋敷の人に頼んでおいた。練習って、けっこう汗かくからさ」
そう言って笑う顔は、すっかりいつものカイルだった。
「……今日はありがとう。すごく、わかりやすかったし……教えてもらえて、本当に嬉しかった」
フィオナがそう伝えると、カイルは照れたように後頭部をかいた。
「そ、そんな……オレの方こそ。フィオナが頑張りたいって言ってくれたの、なんか、嬉しかったんだ」
「……え?」
「だって、ずっと守ってあげたいって思ってたけどさ。こうして並んで戦える日がくるかもって思ったら……なんか、それもいいなって」
笑いながらそう言うカイルの声は、いつも通りのはずなのに――どこか、胸の奥にぽつんと残る。
(……なんで、だろう)
(さっきまでの稽古より、こっちの方が――息が苦しい)
フィオナはグラスを手にしたまま、そっとカイルの横顔を盗み見た。




