夏休み、予想外の大騒ぎ! 1
一学期の終業式が終わり、学院から戻った日の夕方。
制服を脱いで、ようやく夏休みだと実感したフィオナは、真っ先に薬草棚の整理に取りかかった。
春に採取して乾燥させた葉、クララが分けてくれた珍しい草花、王宮の薬草園から分けてもらった選りすぐりの薬草。
瓶の蓋を開けた瞬間、乾いた草の香りにまじって、ほのかな甘さが鼻をかすめた。
指先に触れる葉はかさりと音を立て、長く眠っていた香りが部屋の空気をやわらかく満たしていく。
(せっかくだし、これを使ってなにか作ってみよう)
そう思うのは、ごく自然なことだった。
久しぶりに開けた薬草瓶から、ふわりと香りが立ちのぼる。
その瞬間、ふとある記憶がよみがえる。
(そういえばこの世界って、化粧水ってないのかしら?)
彼女が普段使っているのは、侍女たちがポーションを薄めて用意してくれるお手入れ液だ。
無香料で効果はあるものの、少し薬品っぽい匂いが気になり、肌あたりもやや強い。
(どうせなら、香りがあって、優しい使い心地のものがあってもいいのに)
思い立ったら早い。
翌日、フィオナはクララを公爵邸に招いた。
手紙には「薬草の抽出実験をしたい」とだけ書いたが、クララはすぐに「行きます!」と返事をくれた。
こういうことに真っ先に付き合ってくれるのが、クララの優しいところだった。
「この乾燥ローズペタルと、カモミール。香りを引き出してみたいの」
「わかった、じゃあ水はわたしが魔法で出すね」
クララが詠唱を唱えると、手のひらからすうっと湧き出した透明な水が、瓶の中へと静かに注がれていく。
薬草が水になじんでいく様子を、二人は息を詰めて見守った。
「すごく澄んでる……。薬草が溶けていくの……きれい」
「えへへ、魔力量は少ないけど、こういうのは得意なの」
何度か配合を変えながら試していき、香りと使い心地のバランスがとれたところで、フィオナは瓶に手をかざした。
「少しだけ、光魔法を込めてみよう」
やさしく、やさしく――肌を包みこむような癒しの魔力を、ほんの少しだけ。
液体の表面が一瞬だけ淡く光り、落ち着いた透明感の中に、ほのかにきらめきが残る。
「……わあ」
クララが思わず声を漏らした。
フィオナも指先で試してみる。
水分がすうっとなじみ、あとにはしっとりとした肌触りと、ふわりと広がる優しい花の香りが残った。
カモミールのやわらかさと、ローズの気品。
まるで、心までほぐしてくれるような香りだった。
そっと瓶の蓋を閉めたとき、フィオナの口から自然と言葉がこぼれる。
「……フローラルウォーター、って感じね」
その響きに、彼女は一瞬だけまばたきをした。
ああ、そうだ。前の世界でも、たしかそう呼ばれていた。
「それ、いい名前!」
クララがぱっと顔を輝かせる。
「かわいくて、ぴったりだよ」
完成した《フローラルウォーター》は、澄んだ色合いの中にほんのりと煌めきを帯びていて、小さな瓶に詰めて並べると、それだけで小さな宝石のようだった。
翌日から、二人はさっそく自分の肌で試すことにした。
朝、洗顔後にコットンで軽く肌にのせると、ほんのりとバラとカモミールの香りが広がり、気分までやさしくなる。
夜は寝る前に、肌を整えるように手で包み込み、深呼吸。
「クララ、どう?肌の調子」
「すべすべしてるかも……!なんかね、いつもより頬がやわらかい気がするの!」
二人でこっそり実験を続けて数日――。
変化は、思いがけないところからやってきた。
ある朝、髪を結いながら控えていた侍女の一人が、ふと小さくつぶやいた。
「お嬢様、最近……なんだか、お肌がつややかで、いい香りが……」
続けて別の侍女も、ちらりと彼女を見てそわそわと口を開く。
「あの……出過ぎたことかもしれませんが……お嬢様のお手入れの秘訣を、わたくしたちにも少しばかり教えていただけませんでしょうか……」
予想外の反応に戸惑いながらも、フィオナは小さく笑ってうなずいた。
「使ってみる?感想を聞かせてほしいわ」
棚から小さな試験瓶を取り出し、丁寧に言葉を添える。
「まずは腕の内側、柔らかいところに少しつけて様子を見て。赤くなったり、かゆくなったりしないか、ちゃんと見てからね」
「はいっ……!」
「光の魔力が、少しだけ入ってるから。体質に合うかどうか、気をつけてね」
嬉しそうに会釈する侍女たちの姿に、フィオナはなんだか少しだけ誇らしい気持ちになった。
そしてクララが再び遊びに来たとき――彼女もまた、開口一番、困ったように言った。
「フィオナちゃん、ちょっと大変かも。母達に『何を使ってるの?』って聞かれちゃって……」
聞けば、ブランシェ伯爵家でも同じように、母や姉が彼女の肌の変化に気づいて詰め寄ってきたらしい。
「それでね、我が家の母と姉が、目をキラキラさせて『それ、分けていただけないかしら』って……」
「わたしの母さまもよ……」
二人は思わず顔を見合わせ、同時に笑いがこぼれた。
「まさか、ここまで反響があるとは思わなかったわね」
「ね。でも、ちょっと嬉しいかも」
小さな好奇心から始まった、夏の自由研究。
けれどそれは少しずつ、周囲を巻き込み、思わぬ波紋を広げ始めていた。
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