王立魔法学院編、開幕 6
風が吹き抜ける訓練場に、詠唱の声がいくつも響いていた。火の玉が空を裂き、水の刃が地面を走る。対峙する生徒たちは、汗ばむ額をぬぐいながらも、真剣な表情で構えていた。
「次!全力で来いよ!」
声を張ったのは、担任のロイ・バーグ先生。がっしりとした体格にローブを羽織り、腕を組んで訓練場の中央に立っている。彼の声が飛ぶたびに、生徒たちはびくりと背筋を伸ばし、場の空気は緊張を帯びていく。
その喧騒から少し離れた日陰に、フィオナ・エルディアは座っていた。
膝の上には小さな記録帳。開かれたままのページには、今まさに実技を行っている生徒たちの魔法の軌道や発動の様子、詠唱のくせなどが細かく書き留められている。フィオナは静かにそれを見つめ、書き加えながら、今日も自分の役目を果たしていた。
(わたしは……今日も見学か……)
教師からも「お前は補助に回れ」と言われている。理由は単純明快。フィオナの光魔法は攻撃には使えないからだ。
「……補助要員って、便利な言い方」
誰にともなく、呟いた。
光魔法は希少な力。私が出来るのは治癒のみだ。怪我人が出れば、治癒のために駆け寄る。それ以外の時は、ただ傍観するしかない。
仲間たちが必死に魔法をぶつけ合うその中で、自分だけが蚊帳の外にいる感覚。
慣れているはずだった。でも、こうして騒がしい訓練場の中でじっとしていると、ふと置いていかれたような気持ちになる。
「お前の役割は、戦いが終わったあとに本領を発揮する。……恥じることは何ひとつない」
以前、ロイ先生に言われた言葉を思い出す。厳しいけれど、まっすぐで嘘のない人だ。だからこそ、彼の言葉には力がある。
それでも、心がざわつくのは仕方ない。自分にできることが誰かの怪我を前提にしているという現実が、どうしようもなく虚しかった。
(わたしじゃなきゃダメな場面は、いつか来るのかな……)
ページの端に目を落としながら、フィオナはそう思った。
「ふふっ、やっぱり今日も見学なのね」
軽やかにした足音と一緒に、意地の悪い声が届いた。振り返らなくてもわかる。ベアトリスの声だ。
「怪我人が出ないと、単位ももらえないんですって? 運任せなんて、大変ね」
「それって、誰かが傷ついてくれないと自分の存在意義がないってことじゃない?」
取り巻きの令嬢たちがくすくすと笑う。フィオナは顔を上げず、記録帳を見つめたまま、ペン先を止めた。
「……わたしは、わたしの役目を果たしているだけです」
ようやく返したその声は、少しだけかすれていた。
「そう? でも、軽傷ならポーションで十分よね。わざわざ光魔法の出番なんて、そうそうあるものじゃないわ」
その言葉に、心の奥がちくりと痛んだ。
確かに、間違ってはいない。この世界では、怪我や病気にポーションが使われるのが一般的で、光魔法を必要とする場面は限られている。だからこそ、誰かが本当に苦しんでいるときでないと、出番は回ってこない。
――そんな場面を、願っているわけじゃないのに。
「誰か!!先生!」
突然の声に、生徒たちの動きが止まった。
「マズい、暴発だ!」
訓練場の一角。小柄な男子生徒が、片膝をついて苦しそうにうずくまっている。魔法の熱をまともに受けたのか、頬には赤く腫れた跡が浮かび、右腕には火傷のような赤みが走っていた。
「治療が必要だな。フィオナ・エルディア!」
ロイ先生の声が飛ぶ。
「はい!」
フィオナは立ち上がり、すぐに走り出した。あの嫌味がまだ耳に残っていたけれど、それよりも、今はこの子を助けなければ。
しゃがみこみ、そっと手を添える。肌は見た目以上に熱を持っていて、触れるとじんわりとした痛みが伝わってくるようだった。
フィオナは一度、息を吸い込み、目を閉じる。
「癒しの光よ、小さき痛みを包み込んで――治癒」
手のひらから、やわらかな光がにじみ出す。その光は、淡い膜となって少年の腕を包み、じんわりと染み渡るように広がっていった。
彼の表情が少しずつやわらぎ、呼吸が落ち着いていくのがわかる。見守っていた周囲から、小さな驚きの声が漏れた。
「……すごい……」
「いまのが、光魔法……?」
ベアトリスの方を見なくても、視線の変化は感じた。でもその中に、称賛や羨望ではなく――評価の物差しを持つ目があることも、フィオナにはわかっていた。
「軽傷なら、ポーションで十分」たしかに、そうかもしれない。
治療を終えて、フィオナは怪我をしていた子に微笑みかけた。彼は小さく「ありがとう」と言い、照れくさそうに視線をそらした。
授業が終わり、ざわついていた訓練場に静けさが戻る。生徒たちは談笑しながら道具を片付け、広場から徐々に引き上げていった。
フィオナは、一人で残っていた。訓練場の端、荷物置き場の陰。人目につかないその場所で、小さく息を吐いた。
(わたしの魔法って……結局、誰かが怪我しないと意味がないんだよね)
さっきの生徒は、「ありがとう」と言ってくれた。でも、ベアトリスたちの言葉が胸に残る。ポーションでも治る傷。
ノートの端に手を添えながら、徐々に背中が丸くなる。
「――落ち込むなって」
声をかけられて、びくりと肩が揺れた。
顔を上げると、カイルがそこにいた。頬に土埃がついたまま、にっと笑っている
「さっきの、見てたよ。フィオナの魔法」
彼の声はいつもより、ほんの少しだけ柔らかかった。
「フィオナの魔法って、あったかいんだな。……見てて、そう思ったんだ。治すって、ただ傷がふさがることじゃなくて―― もう大丈夫だって、そう思えることなんだなって。
あいつ、めっちゃ痛そうな顔してたのに、フィオナが手をかざしたら……ふっと安心した顔してさ。
きっと、治るっていうより、救われるって感じなんだよ。……俺、そういうの、すごいって思う」
フィオナは言葉も出せず、ただ瞬きを繰り返した。胸の奥が、じんわりと温かくなる。
(カイルは……わたしの魔法を、ちゃんと見てくれてたんだ)
「……ありがとう」
ようやく絞り出したその声は、ほんの少し震えていたけれど、フィオナの顔には、自然と笑みが浮かんでいた。
陽が傾き、訓練場には長い影が伸びていた。
フィオナは、ゆっくり立ち上がる。足元に落ちた自分の影が、少し軽くなったような気がした。
「なあ、フィオナ」
隣から声がして、顔を向けるとカイルが立っていた。
「……みんなでさ、帰りにちょっと寄り道しない? 街の方に新しい焼き菓子屋ができたってジュリアンが言ってたんだ」
「……みんなで?」
「うん、みんなで。今日も頑張ったし、ご褒美ってことでさ」
少しだけ間をあけて、カイルは肩をすくめる。
「……ほんとは、フィオナとふたりきりのほうが、ちょっと嬉しいけど? ……って言ったら、困る?」
冗談めかした言い方だったけれど、その声はどこかやさしくて、目はまっすぐだった。
「え……あ、えっと……」
不意を突かれたフィオナの頬が、ぽっと赤く染まる。返す言葉が見つからず、目を泳がせてしまう。
そんな様子を見て、カイルはふっと笑った。
「ま、今のフィオナには、みんなとワイワイしてたほうが元気出るかなって。……しょーがない、みんなに譲ってやるよ」
おどけたように言って、ひょいと先に歩き出す。
「……もう、なんなのよ」
フィオナは小さくつぶやくと、足を踏み出した。
カイルの背を追いながら、気づけば肩の力が抜けていた
ほんのり微糖ですかね。
最後のあのやり取りで、ふっと笑ってもらえたら嬉しいです。




