王立魔法学院編、開幕 4
登校二日目の朝。
教室に足を踏み入れた瞬間、昨日までとは違う空気に気づいた。
ざわざわとした話し声。落ち着かない足音。
張り詰めたような緊張が、教室全体を包み込んでいる。
(……やっぱり、今日なんだ)
『魔力測定』
この学院に入学した生徒は、まず最初に、自分の魔力量を測定されることになっている。
「やっぱり、本当にやるんだね」
隣でジュリアンがそっと言う。声のトーンはいつもと同じでも、手のひらが少し汗ばんでいるようだった。
「数値で出るって言っても、まあ、そんな気負わなくても大丈夫だろ」
カイルが軽く言って、ぐいっと背伸びをする。
緊張している様子はまったくない。
その自然体な姿に、フィオナはほんの少しだけ肩の力が抜ける気がした。
それでも胸の奥には小さな引っかかりが残っていた。
光属性。
それだけで、いつも周囲の目が向けられる。
特別なことをしたわけでもないのに、勝手に期待されて、勝手に評価される。
(さらに数値まで高かったら、「やっぱりすごい子なんだ」って――また思われる)
フィオナが大切にしたいのは、そんなことじゃない。
「癒せる力があるなら、それだけでいいんだけどな」
そう思っているからこそ、数字で比べられるのはあまり好きじゃなかった。
力は、人のために使ってこそ意味がある。
高くても、低くても、どっちにしても余計な目がついてくるなら……できれば、目立たずに終わらせたい。この辺は前世の「私」が強く残ってるのかな?
そんな思いを胸にしまい席に着くと、教室の扉が勢いよく開いた。
「よーし、全員席につけー! 測定始めるぞ!」
担任のロイ先生が教室に入ってきた。
焦げ茶色の髪に長めのローブ、分厚い胸板を揺らして前に立つ姿はいつ見ても迫力がある。
「今日やるのは魔力測定だ。順番に前に出てこの水晶に手をかざせ!」
教卓の横に設置された球体の水晶が、淡く光を帯びていた。
中心には複雑な紋様、外縁はうっすらと色を帯びて揺れている。
「魔力を注げば中心に数値、周りに属性の色が出る。火は赤、水は青、風は緑、土は茶、光は白。見りゃわかるな!魔力を丁寧に流せば属性の色もきれいに出るぞ」
先生の声が響くと、教室がすっと静まり返った。
「ちなみにこの水晶――魔力量が五百を超えると測定不能になる。……まあ、該当者がいるとは思えんがな!平均は250ぐらいだ」
「じゃあ、トップバッターは――アレクシス・アルセリオン!」
ロイ先生に呼ばれて、アレクシスが静かに前へ出る。
その背筋は、まっすぐで堂々としていた。
水晶の前に立ち、迷いなく右手をかざす。
数秒の静寂ののち、水晶の中心に数字が浮かび上がった。
「430」
同時に、外縁がゆっくりと赤く染まっていく。火属性の証。
誰もが納得したように息をのんだ。
大きな歓声もない。ただ、教室の空気が一段と静かになる。
(王太子だからじゃなくて、努力してきた姿を知ってるから)
そうフィオナは思う。厳しい訓練や、どこまでもまっすぐな彼の姿を、ほんの少しだけでも知っているから。数字の高さは、その積み重ねの証だと思えた。
アレクシスは表情を変えずに一礼し、席へと戻る。
その動きすらも、余裕と誇りをまとっていた。
「次。ユリウス・ヴァレンハイト」
静かに立ち上がったユリウスが、機械のような無駄のない動作で前に出る。
手をかざした瞬間、すっと現れる数字。
「400」
火属性の赤が、水晶の周囲を染めていた。
フィオナは思わず感嘆の息を漏らす。
(ユリウスの魔法って、ほんと無駄がないな……)
彼はただ、当然のようにそれを受け止めて席へ戻った。
誰とも目を合わせず、静かに視線を前に向けている。
「続いて、シルヴァン・ルクレール」
シルヴァンは、ゆったりとした動きで歩いていった。
手をかざす仕草も、どこか演技のように美しい。
水晶の中心に現れたのは
「350」
青い光が外縁に広がり、水の波紋のように揺らめく。
「おっと、これぐらいかな」
シルヴァンは、そう言って肩をすくめて笑った。
フィオナは思わず目を細める。
(……たぶん、本気じゃないんだろうなぁ)
そんな余裕すら彼らしいと思えた。
「ジュリアン・エルディア」
名前を呼ばれたジュリアンが、背筋を伸ばして立ち上がる。
足取りはしっかりとしていて、緊張を感じさせない。
水晶に手をかざすと、すぐに
「400」
土属性の茶色が、落ち着いた光で周囲を染める。
「おお……」と、小さく声が上がる。
ジュリアンは胸を張ってうなずき、フィオナの方に小さく目を向けた。
フィオナも自然と微笑んでいた。
(頼もしいなあ、ほんと)
「クララ・ブランシェ」
呼ばれた名に、小柄な少女がぴくりと肩を揺らす。
クララはそっと立ち上がり、水晶の前まで歩いていった。
緊張のせいか、足取りが少しぎこちない。
けれど、手をかざす仕草は驚くほど丁寧だった。
数秒ののち、水晶の中心に「200」の数字が浮かび上がる。
周囲は静かに青く光る。
「少ないけど、安定してるな」
ロイ先生が、柔らかい声でぽつりとつぶやいた。
クララはその言葉に、少し目を見開いて、それから小さく会釈して席に戻った。
その背中は、さっきより少しだけまっすぐに見えた。
「ベアトリス・フォルディア」
呼ばれた名前に、教室が一瞬だけざわめく。
ベアトリスは背筋を伸ばし、ゆるやかな動きで前へ出た。
優雅に手をかざすと、すぐに数字が現れる。
「350」
火属性の赤い光が、力強く水晶の外縁を彩る。
「女子では一番じゃない?」 「やっぱりフォルディア家は違うわね」
そんな声があちこちから聞こえた。
ベアトリスは余裕の笑みを浮かべたまま、ちらりとアレクシスの方へ目をやる。
(……誰を見てるんだろう)
フィオナは、その視線の意味を読み切れずにいた。
「カイル・アーディン」
呼ばれると同時に、カイルは元気よく立ち上がり、すたすたと前へ出る。
「よろしくお願いしますっと」
軽い口調で手をかざす――が、その瞬間だった。
水晶が、一瞬ビリリと震えた。
中心の数値は表示されず、外縁だけが強く、まばゆい緑色に輝いている。
騒然とする教室。
「……測定不能、だな」
ロイ先生が額に手を当ててため息をつく。
「お前は加減を覚えろって何回……あ、いや、なんでもない」
「え、やっちゃった? 出しすぎた?」
カイルが困ったように笑い、ざわついた教室の中を気にせず席へ戻る。
(え?カイルってこんなに魔力高かったっけ?ゲームとの差異ありすぎじゃない!?)
フィオナは、あっけにとられていた。
まさかあんな堂々と測定不能を出すなんて、思ってもいなかった。
「最後、フィオナ・エルディア」
自分の名前が呼ばれ、フィオナは椅子から立ち上がる。
教室の空気が、すっと静まり返るのがわかった。
水晶の前に立ち、そっと手をかざす。
光が流れ込むように、白い光が外縁を満たし――
「430」
ざわめきとともに、どこかから「壊れてるんじゃない?」という声が漏れる。
振り返るまでもなく、誰の声かはだいたい分かった。
「カイル様の測定で壊れたんじゃ……?」
取り巻きたちの声に、カイルが後ろからチラリと一瞥を投げた。
「そう思いたいなら、そう思えばいいんじゃない?」
さらっとした軽口。けれど、空気がそれだけで和らいだ。
「おぉ、女子トップだな」
空気を読まないロイ先生の声に、ざわつきがさらに広がる。
フィオナは、水晶をそっと見下ろした。
白く光る球体の中に、数字が静かに揺れている。
(……また、目立つのか)
でも。
(癒せる力があるなら、それでいい)
目立つためでも、比べられるためでもなく。
人を助けられるなら、それだけで十分だ。
測定が終わったあとの教室には、妙な静けさがあった。
みんながそれぞれの数字を意識しているのか、視線を合わせるのを避けるような、少し重たい空気。
「はい、これで全員終了。これからの授業では、この結果も参考にする。……が、いいか?」
ロイ先生が教室を見回した。
「数値は目安だ。それだけでお前たちの価値が決まるわけじゃねぇ。――どこまで伸ばせるかは、今後のお前ら次第だ」
その言葉に、フィオナの胸が少しだけ軽くなった気がした。
「以上、解散!」
先生の声とともに、空気が一気に緩む。
わっと生徒たちが動き出す中、フィオナのもとにカイルとジュリアン、そしてシルヴァンが集まってきた。
「いやー、あれはズルだって。カイル、測定不能とか反則だろ」
シルヴァンが苦笑しながら言うと、カイルは照れたように頭をかいた。
「いやいや、俺も出るとは思ってなかったって。ロイ先生、目めっちゃ怖かったし……」
「姉さまの白い光、すごく綺麗でした」
ジュリアンが素直に褒めてくれる。
「ありがと。でも、ちょっとびっくりした」
ふと、教室の隅でこちらを見ている視線に気づく。
ベアトリスだった。友人たちに囲まれているが、言葉は発さず、ただこちらを見ている。
目が合った――と思った瞬間、ふいっとそらされた。
(何を考えてるんだろう……)
分からない。でも、いつか分かる日が来るかもしれない。
もう一度、手のひらを見つめる。
測定器に触れていた感触は、もう消えていたけれど。
(数字じゃない。大事なのは、この手で、何ができるか)
フィオナはそっと目を伏せて、小さく息を吐いた。




