光魔法は予定外、婚約は想定外 1
朝日が差し込む窓辺。レースのカーテン越しに柔らかな光が部屋を包むなか、フィオナは椅子に腰かけ、小さな手のひらを見つめていた。
「……治したんだ、本当に」
昨日の誕生日パーティー。カイルが転んで膝をすりむいたとき、彼女の手からぽわっと光があふれ、傷がみるみる癒えていった――まるで夢のような出来事。
「魔法って……出るときは出るのね。でも、また光魔法が出せるかどうかはわからないわ」
小さく息をついて、本棚から分厚い本を取り出す。
『王国魔法大全—属性の理解』。
父が誕生日の贈り物として渡してくれた本だが、読めば読むほど難解な単語が並び、ページをめくるたび、理解が遠のいていく気がした。
「光属性……癒やしと浄化の力……希少だけど暴走のリスクもある……魔力の過剰使用により一時的に気絶、あるいは魔法が暴走することがあります。――って、え、怖っ」
思わず本を閉じかけたその時、扉がノックされた。
「おはようございます、姉さま」
顔をのぞかせたのは、双子の弟・ジュリアン。茶色の髪に青い瞳の、真面目で、誰にでも優しい弟だ。
「おはよう、ジュリアン」
彼は部屋に入るなり、目を輝かせて昨日の話題に飛びついてきた。
「昨日の魔法、すごかったです! 本でしか読んだことない光魔法が、姉さまの手から!」
「でも、また出せるかどうかはわからないわ」
ジュリアンは少し声をひそめて言った。
「もう一度、裏庭で練習しませんか?」
その瞳に浮かぶ期待に、フィオナは一瞬だけ迷ったものの、頷いた。
「……わかった。でも、お父さまたちには内緒よ?」
「もちろんです! 二人だけの秘密ですから!」
♢♢♢
裏庭は、子どもたち専用の遊び場だった。古い樫の木の下に腰を下ろし、フィオナはそっと息を吸い込む。
(昨日みたいに……光を思い浮かべて……)
手のひらに集中して、ぽわっと出るイメージを思い描く。
……何も起きない。
10分経過。
……沈黙。
20分経過。
ジュリアンは横で、木の枝を拾って地面に絵を描きはじめていた。
「……難しいのね。やっぱり昨日は偶然だったのかしら」
「僕も、試してみます!」
立ち上がったジュリアンが、手を突き出してぎゅっと目を閉じる。
思いきり力んだその顔は――まるで顔だけで魔法をひねり出そうとしてるみたいだった。
「ぷっ……なにそれ、変な顔」
「笑わないでください!」
フィオナが吹き出しても、ジュリアンは真剣そのもの。けれど何度やっても、魔法は出ない。
表情はだんだん曇っていく。
「どうして出ないんでしょう……僕、才能ないのかな……」
「そんなことないわ。きっと、まだ時期じゃないだけよ。私だって偶然だったし、今は使えていないわ」
フィオナが優しく言っても、ジュリアンの視線は地面に落ちたままだ。
「でも、僕たち双子なのに……姉さまだけ……」
胸がちくりと痛む。
「人によって違うのよ。きっとすぐに――」
その言葉を遮るように、ジュリアンが立ち上がった。
「姉さまはいいですよね。もう魔法が使えて」
「でも今は使えていないわ」
「でも、出たじゃないですか! 僕は何も……!」
彼の声が少し震えていた。珍しく、感情的だった。
「ジュリアン……」
「もういいです! 一人で練習します!」
ジュリアンが駆け出す。けれど、足元の石に躓き、あっさり転んだ。
「ジュリっ!」
フィオナが駆け寄ると、彼の膝は擦りむけ、血がにじんでいた。
「だ、大丈夫です……」
そう言いつつ、ジュリアンの目には涙が浮かんでいた。
悔しさ、焦り、嫉妬――いろんな気持ちが混ざった顔だった。
フィオナはそっと膝をつき、彼に向き直った。
「……ちょっと試してみてもいい? 治せるかどうかはわからないけど」
心の底から、癒してあげたいと思った。弟の傷も、心の痛みも――。
するとその瞬間、フィオナの手から、再び光があふれ出した。
「わっ……!」
ジュリアンが顔を背けるほどの光。そのなかで、傷がすっと癒えていく。
けれど、光は止まらなかった。強さを増し、庭を昼のように照らしはじめる。
「姉さま……?」
フィオナの表情が苦しげにゆがむ。
「ダメ……止まらない……!」
魔力が暴走していた。自身の体から、制御できないほどの光が吹き出していく。
「姉さまっ!」
ジュリアンの叫びが響くなか、フィオナはジュリアンの膝が無事なことだけ確認して、意識がふっと遠のいていった。
「ジュリ……ごめんね……」
魔力の枯渇――それは初めての感覚だった。
最後に見たのは、青ざめた弟の顔。
そして、光がふっと消え、フィオナはその場に力なく崩れ落ちた。
「姉さま! 姉さまっ!」
ジュリアンの必死の声が、静かな裏庭に響き渡った――。