王立魔法学院編、開幕 2
講堂に近づくにつれ、生徒たちのざわめきが徐々に熱を帯びていく。
重厚な石造りの円形建築。その扉の前では、すでに何人もの新入生たちが列をなしており、噴水の縁や柱の影で談笑する姿も見える。
この学院の一年生は、約百人。上級貴族も、地方の優秀な平民も、みな一様に選ばれた者としてこの場に集っていた。
「わぁ……天井、すごい……!」
講堂の扉が開き、中へと足を踏み入れた瞬間、フィオナは思わず声を漏らした。
天井は高く、ドーム型に広がっている。その内側には淡く光る魔法紋と王家の紋章が刻まれ、正面の壇上には王国の旗が掲げられていた。
壁際には大理石の柱が並び、所々に魔力灯が設置されている。古びた装飾の中にも魔法学院らしさが息づいていて、重厚な空気が満ちている。
「新入生は中央席らしいですよ」
ジュリアンが手元の紙を見ながら、迷いなく歩き出す。
カイルとシルヴァンもそれに続き、フィオナも後ろから歩みを進めようとした――そのとき。
「ようやく見つけた」
落ち着いた声が届いた。
そちらに目を向けると、黒髪の少年が静かに歩いてくるところだった。
きっちり整えられた短髪に、冷静なグレーの瞳。眼鏡越しに、視線がまっすぐ向けられる。
制服の着こなしは端正そのものだが、どこか近寄りがたい空気を纏っている。
「……ユリウス!」
カイルが真っ先に声をかけた。懐かしさをにじませた笑みに、黒髪の少年――ユリウスも、わずかに口角を上げる。
「久しぶりですね。アーディン家のわんこ殿は、健在のようで」
「わんこ言うな!……でも、お前、全然変わってねぇな。いや、ちょっとだけ大人っぽくなったか?」
「あなたほど急成長した例も珍しい。身体的には……随分伸びましたね。かつては確かに、ちびと呼ばれても反論できない程度でしたから」
「もうちびじゃねぇし!」
二人のやりとりに笑みを浮かべながら、フィオナもユリウスに一歩近づいた。
「ユリウス。元気そうでよかった」
そう言ったわたしに、ユリウスがほんの少し目を細める。
「あまり変わらないと言われるだろうとは、予測していました」
「うん、変わってない。でも、ちゃんと大人っぽくなってるよ」
「……どちらとも取れる評価ですね」
「両方、いい意味」
「……なら、問題ありません」
フィオナはふと、ユリウスの整った顔立ちを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……宰相様そっくりね。びっくりするくらい」
その言葉に、ジュリアンとシルヴァンが小さくうなずく。
その空気の中で、ユリウスはふっと一息ついたように眼鏡を押し上げた。
「そろそろ入るか。始まるぞ」
カイルの声に全員がうなずき、それぞれ講堂の席へと歩を進める。
まもなく、入学式が始まる――新たな日々の、第一歩が。
フィオナたちが席に着くと、ドーム型の天井に刻まれた魔法紋が、次第に淡く輝き始めた。
静まり返った講堂に、突如、澄んだ鐘の音が響き渡った。
魔法の効果で、音は天井から降るように響いた。静かなのに、どこまでもよく通る。
音の余韻が消えると同時に、講堂全体に緊張が走る。
荘厳な空気に包まれ、生徒たちは思わず背筋を正した。
壇上に現れたのは、深い紫のローブに身を包んだ人物。
白髪混じりの長髪をひとつに結い、その眼差しは鋭くも穏やかで――誰もが息をのむような、圧倒的な存在感を放っていた。
「……これより、アルセリオン王立魔法学院 入学式を執り行う」
高名な魔術師にして現学院長。
その開式の辞が告げられた瞬間、空気が一段と引き締まる。
学院長が学院の理念を簡潔に述べ、司会が「次は、新入生代表の挨拶です」と告げると、講堂に再び鐘の音が響いた。
それは、次の進行を告げる合図だった。
誰からともなく視線が集まる中、壇上の中央へと歩み出たのは、一人の少年だった。
制服の白シャツに金ボタン。隙のない着こなし。
陽光を受けて淡く輝く金髪。
まっすぐ前を見据える碧の瞳には、一片の迷いもなかった。
誰もが彼の名を知っていた。
だが、ざわめきは起きない。静かな注目が、講堂を包む。
王太子、アレクシス・アルセリオン。
彼の立ち姿には、その肩書を越えた誇りと気迫があった。
アレクシスは静かに一礼し、演壇に設けられた魔導石へと手を添える。
淡く光る石に魔力を流し込むと、彼の声が講堂の隅々まで届くように響いた。
「私は、アレクシス・アルセリオン。
王太子としてではなく、一人の魔法使いとして、ここに立っています」
その言葉に、思わず息を呑んだ新入生もいたかもしれない。
けれど、アレクシスの声には無理な強調も虚勢もなく、ただまっすぐに思いが込められていた。
「アルセリオン王立魔法学院は、王国の建国と共に誕生した、我が国最古の魔法教育機関です。この由緒ある学院に入学できたことを、まず、心から誇りに思います」
アレクシスは静かに学院長と教授陣に向かって一礼し、再び新入生たちに視線を戻した。
「私たちの先には、すでに偉大な先輩方が築いてきた道があります。その道を継ぎ、さらに広げていく責任が、私たちにはあります。学院長をはじめとする先生方から学べることに感謝し、謙虚な姿勢で知識と技術を吸収していきたいと思います」
彼の声は、講堂の隅々まで届くように、しかし押し付けがましくなく、響いていた。
「この場には、立場も生まれも関係ありません。私たちは魔法の才能を持つ者として平等です。出自ではなく、努力と才能が評価される場所——それがこの学院です。私は皆さんと共に学び、時に競い合い、そして助け合いながら成長したいと思います」
アレクシスは両手を軽く握り、声に力を込めた。
「我々が学ぶ魔法は、ただの力ではなく、この国と人々を守る盾となり、新たな道を切り拓く剣ともなるでしょう。いつの日か、私たちがこの学院で学んだことが、アルセリオン王国の明日を支える礎となることを信じています」
言い終えると、アレクシスは深く一礼した。
アレクシスのスピーチが終わると、講堂に静かな拍手が広がる。
その中で、フィオナはそっとまばたきをひとつした。
(……堂々としてるなぁ)
まっすぐに前を見据え、言葉を選んで話すその姿は、まぎれもなく王太子だった。
誰よりも強い責任を背負いながら、真正面からそれに向き合っている。
その誇りと覚悟を、ずっと大切にしてきたのだと――改めて感じさせられる。
(……背筋が伸びた気がした)
ほんの少し距離を感じたのは、彼が遠くに行ったからじゃない。
先に進もうとしているからだ――と、フィオナは思う。
「……すごいな」
ついこぼれた声は、どこか誇らしくて、少しだけくすぐったかった。
フィオナは拍手を送りながら、まっすぐに立つその背中を見つめていた。
入学式の残りの式次第も滞りなく進み、全てが終わると生徒たちは一斉に立ち上がり始めた。講堂の出口に向かって歩き出す中、フィオナの背中を誰かが叩いた。
「――おつかれ!」
講堂を出た瞬間、カイルの元気な声がフィオナの背中を叩いた。
そのまま彼は後ろからのぞき込むように顔を出す。
「ねえねえ、どうだった? アレクシスのスピーチ。すっげーかっこよかったよな!」
「うん、立派だったわね」
フィオナが笑いながら答えると、すぐ後ろからジュリアンとシルヴァンも合流した。
そのあとを追うように、アレクシスとユリウスもゆっくりと歩いてくる。
「さすが王太子殿下!さすがのスピーチだったよ!」
カイルが感心したように言うと、アレクシスはふっと肩をすくめた。
「当然だろ。俺は王子としても魔法使いとしても、誰よりも優秀でなければならない……まあ、今日のはただの挨拶程度だ」
「やっぱ俺様だなー……」とカイルが笑いながら頭をかく。
一行はそのまま廊下を抜け、教室棟の中へと進んでいく。
「ねぇ、クラスってどうやって分けられるのかしら?」
フィオナがふと口にすると、ジュリアンが入学案内をめくりながら答える。
「入学試験の成績順です。成績上位から番号が振られて、順に各クラスへ振り分けられる。僕たちはAクラスなので、もっとも成績が良かったグループですね」
「おお~! なんかすげー!」
カイルが素直に目を輝かせると、ユリウスが淡々と付け加える。
「当然の結果です。……この程度の成果に満足しているなら、いずれ失速する可能性は高いですね」
「うわー、毒舌メガネだ。なつかしい〜」
「カイル。もう少し言葉を選びなさい」
そんなやり取りに笑いながら歩いていくと、目的の教室が見えてきた。
重厚な扉の奥には、広々とした講義室が広がっていた。
整然と並ぶのは、よくある木製の机と椅子ではない。
段差のあるフロアに、円弧を描くように配置された長机と椅子――まるで大学の講義室のようなつくりだ。
黒板の代わりに、正面には淡く光を放つ魔導石の板が設置されている。
「自由席だってさ。好きなとこ座ろーぜ!」
そう言って真っ先に駆けていったのは、やっぱりカイルだった。
フィオナは少し後ろから教室を見回し、入口近くの列に席を選ぶ。
その隣にジュリアン、後ろにアレクシスとユリウス、最上段にはシルヴァンとカイルが並ぶ――自然と、いつものメンバーが同じ空間に集まっていた。
「……始まるんだね」
フィオナがぼそりとこぼしたその瞬間。
教室の扉が、静かに音を立てて開いた。
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