王立魔法学院編、開幕 1
ついに学院編スタートです
窓から差し込む朝の陽光が、長く伸びたプラチナブロンドを照らし出す。
鏡の中にいる少女は、いつの間にか少女というには少し大人びた表情をしていた。透き通るような白い肌、深い海のようなサファイアブルーの瞳。整った顔立ちは、誰がどう見ても絶世の美少女だろう。
――まさに、『まほこい』の悪役令嬢フィオナ・エルディア。
(……でも、ゲームの中の彼女みたいな迫力は、やっぱりないか)
前世でプレイしていた乙女ゲーム『魔法と恋と運命の糸〜君と結ぶ魔法の絆〜』、通称まほこい。
その中でフィオナは、華やかで、強気で、容赦のない悪役令嬢だった。美しさも、その毒舌も、まるで王族のような威圧感すらあったというのに――。
今、鏡に映る自分は、たしかに美しいけれど……どこか柔らかく、優しさのにじむ目をしている。前世の記憶が、表情にも出ているのかもしれない。
「姉さま、準備できましたか?」
後ろから声がして振り返ると、そこに立っていたのは、双子の弟――ジュリアン・エルディアだった。
柔らかい茶色の髪は、うっすらと赤みを帯びていて光を受けるとつやつやと輝く。サファイアブルーの瞳は私と同じ色だが、彼の方がどこか涼しげで理知的に見えるのは、きっとその落ち着いた物腰のせいだろう。
(……というか、背、抜かれてるんですけど?)
フィオナが無言で見上げると、ジュリアンが微笑む。
「そんなに見つめないでください。制服、似合ってませんか?」
「……似合いすぎてるから言葉が出なかっただけよ」
黒を基調に金の装飾が施された王立魔法学院の制服は、彼のすらりと伸びた体に完璧にフィットしていた。
まるで乙女ゲームの"攻略キャラ"がCGで立ち絵になって出てきたみたい。というか、実際に攻略対象だし。
「さすがは乙女ゲーム……。あれ、このシーン、もしかしてイベントCGだったりする……?」
思わず前世プレイヤーとしての感想が漏れそうになって、慌てて胸の前で手をぎゅっと握る。
「姉さま?」
「ううん、なんでもない!」
フィオナは少しだけ頬を赤らめながら、鏡の前で髪を一振りする。
15歳になった自分。新しい制服に袖を通し、今日からは魔法学院の生徒としての生活が始まる。
♢♢♢
揺れる馬車の窓から、街並みが徐々に姿を変えていく。石畳は広くなり、両脇には整備された並木道。建物も低層から重厚な造りのものへと変わり、やがて、王都でも限られた者しか足を踏み入れられないエリアへと入っていく。
王立魔法学院――
王都の北西に広がる丘陵地に建てられたこの学院は、王国の建国とほぼ同時期に設立され、数百年の歴史を誇る、魔法学の最高峰である。
貴族・平民を問わず、一定以上の魔力と学識を持つ十五歳以上の者のみが入学を許される場所。王族や公爵家の子女から、貴族の子女や実力ある平民の子どもたちまでが集い、同じ教室で学ぶその光景は、まさにこの国の未来そのものだった。
(わたしが、ついにこの門をくぐる日が来たんだ)
胸の奥が、ほんの少しだけ高鳴っている。
緊張というより、どこか現実味のない感覚だった。まるで、前世でプレイしたゲームの本編に、自分が足を踏み入れてしまったかのような――そんな、不思議な感覚。
「姉さま、見えてきましたよ」
隣に座るジュリアンが、すっと窓の外を指さす。
そこに広がっていたのは、想像を超えるスケールの建造物だった。
灰色の石で築かれた巨大な正門。その上には王国の紋章と、五つの魔法属性――火・水・風・土・光を象徴する紋章が整然と並んでいる。闇の印は、ここには存在しない。闇属性は魔族だけが扱えるもの。この学院に、その力を学ぶ者はいない。
(……知ってたけど、現実に見るとやっぱりすごい。ゲームの背景グラフィックなんかじゃ、到底この威圧感は再現できない)
馬車が正門前に止まり、王国の衛士がゆっくりと近づいてくる。入学証を確認した彼は、丁寧に頭を下げて、門を開いた。
重々しい音と共に開かれていく扉の先には、広大な石畳の通路。その奥に見えるのは、いくつもの塔とドームが組み合わさった壮麗な校舎群。噴水のある中庭、ステンドグラスの輝き、そして属性ごとの訓練塔――。
「……本当に、ここから始まるんだね」
フィオナが思わずそう呟くと、ジュリアンも小さく頷く。
「ええ。ここが、僕たちの学び舎です。……でも、始まったばかりですから。焦らずにいきましょう」
馬車を降りた二人は、ゆっくりと石畳を踏みしめながら歩き出す。
王立魔法学院の中庭を歩くと、かぐわしい花の香りが風に運ばれてきた。
足元の石畳には柔らかな朝の光が差し、学院本館の白い壁がそれを反射して眩しく光っている。
(なんて広いの……!)
フィオナは小さく息を呑んだ。
中庭の奥には円形の講堂、その向こうには高くそびえる魔法塔。左右には属性別の訓練棟があり、遠くには、敷地内を流れる人工水路まで見える。どこを見ても、魔法を学ぶためだけに設計された造りで、その洗練された美しさに心を奪われる。
「入学式の会場は講堂です。あちらですね」
ジュリアンが流れるような所作で指さす。その動きに、すれ違う数人の女生徒が思わず視線を送る。
(ああ……もう、攻略キャラすぎる……!)
その隣を歩いている自分も目立っているのは分かっていた。
プラチナブロンドの髪に、サファイアブルーの瞳。黒を基調とした制服に身を包んだその姿は、ただ美しいというだけでなく、どこか浮世離れした異質さをまとっていた。
「エルディア家の令嬢らしいよ」「あれが光魔法の――」
すれ違う生徒たちのささやきが、風に紛れて聞こえる。
(気にしない、気にしない……)
そう自分に言い聞かせながら歩を進めたその時――
「……もしかして、ジュリアンか?」
背後から、どこか懐かしい――けれど、以前よりずっと低くなった声が聞こえた。
フィオナははっとして立ち止まり、肩を揺らす。
ジュリアンが振り返り、少し目を細めて応じた。
「……カイル?」
その名前を聞いた瞬間、フィオナの心臓がどくりと跳ねた。
ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは――カイルだった。
黒を基調とした制服を着崩すことなく、きっちりと着こなしているのに、どこか騎士としての風格すら漂わせていた。ピンク色の髪は肩まで伸び、後ろで軽く束ねられている。髪の先が風に揺れて、陽光を受けて淡く輝いていた。
その顔は……あのときのままの笑顔ではなかった。
少しだけ大人びて、鋭さと落ち着きを帯びた瞳が、ジュリアンの隣――フィオナに向けられる。
「……フィオナ?」
その名前を口にしたカイルの瞳が、ほんのわずかに見開かれた。
「――本当に、フィオナなのか?」
時間が、止まる。
あれから、二年。
魔物との戦いのあと、彼とはほとんど顔を合わせることがなかった。
噂では、父である騎士団長の指導のもとで各地を巡っていたという。武者修行――ゲーム内ではそんな設定、なかったはずなのに。
(なんで……こんなに、変わってるの)
背が伸びた。
子どもっぽさの残る笑顔は、どこか自信に満ちたものに変わっていた。
表情も、仕草も、声も、まるで別人みたいで――でも、やっぱり、カイルだった。
「か……カイル?」
思わず一歩、近づいていた。
彼の瞳が、フィオナを見つめ返したまま、何かを探るように瞬きする。
ほんの半歩の距離をはさんで、ふたりは言葉を失ったまま、見つめ合っていた。
「……なにやってるんですか、ふたりとも」
呆れた声が割り込んできた。
ジュリアンだった。腕を組みながら、あきれ顔でこちらを見ている。
「通行の邪魔です」
「えっ、あ、ちがっ……!」
フィオナが慌てて後ずさると、カイルも照れくさそうに頬をかく。
「わりぃ……つい、見とれて……」
「えっ?」
「……なんでもない!」
バタバタする二人の間に、柔らかな空気が差し込む。
「やれやれ、二年ぶりの再会ってのは、劇的なもんだねぇ」
さらに背後から色気のある声がして、フィオナが振り返ると――そこには、シルヴァンがいた。
サイドに編み込んだ銀の髪が揺れ、長いローブの裾がさらりと風に流れる。
彼の身長はすでに180cmを超えていて、その存在感は周囲の誰よりも際立っていた。
「ふふ、変わらないね、フィオナ。カイルの反応も、期待通りだったよ」
「からかわないでよ、シルヴァン!」
「からかってなんかないさ。ただ――僕の目から見ても、君は本当に、綺麗になったと思うよ」
さらりと口にされる褒め言葉に、フィオナはぐっと詰まり、何も言えなくなった。
「さあ、そろそろ講堂に向かおうか。入学式に遅れると、印象が悪いよ」
シルヴァンが歩き出し、ジュリアンがそれに続く。
ふと、隣に立ったカイルが、ひとことだけぽつりとつぶやいた。
「……会えてよかった」
その言葉に振り向くと、彼は少し照れたように笑っていた。
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