記されてなかった、章のはじまり 8
夜の王城、謁見の間には重々しい沈黙が満ちていた。
灯火の数は最小限に絞られ、揺らめく光が石壁を照らす。その中央に立つのは、王国騎士団長、コンラッド・アーディン。
王国騎士団長としての礼装に身を包んだその姿は、ただの武人ではなく、戦場を知る軍人としての威圧感と、組織を統べる統率力を兼ね備えていた。
その周囲を、王家の重臣や貴族たちが静かに取り巻いていた。王位継承に関わる大貴族、各地方の統治を任された領主、王城付きの魔術師や参謀役……名だたる者たちが、緊張の面持ちで静かに席を占めている。
「討伐は完了しております。魔物は中位種に分類されるものですが、戦闘能力は明らかに上位に近いものでした」
低く、よく通る声が静けさの中に響いた。
列席していた貴族たちの間に、わずかなざわめきが生まれる。
「……変異種、ということか?」
誰かがつぶやくように言った。
「はい。外見・挙動ともに、従来の個体とは異なる特徴を示していました。対応には上位魔物級の戦力が必要でした」
ざわっ、と再び空気が動く。
驚き、あるいは恐れ、警戒。目配せを交わす者もあれば、眉間にしわを寄せて黙り込む者もいる。
そのざわめきが収まりかけた頃、コンラッドはさらに一歩前へ出た。
その動きに、場の空気が再び緊張に包まれる。
「また、この一月ほどで、似たような異常個体の報告が各地で増えております。通常の出没範囲とは異なる場所に現れた例も複数……」
沈黙。
ひとりの老重臣が、重い声で言葉を落とした。
「……まさか、魔族の影ではあるまいな」
その言葉に、誰も応えなかった。
だがその場にいた全員が、確かに空気の温度が一段階下がったことを感じていた。
火の魔法で灯された燭台の光が、まるで誰かの不安に呼応するように、微かに揺れた気さえする。
「……もう一つ、ご報告があります」
間を置いたコンラッドの言葉に、今度は耳を傾ける全員の姿勢が少し変わった。
「現場にて、もう一人の――光魔法の発現者が確認されました」
刹那、全体の空気が硬直する。
「……なんだと?」
「百年に一人のはずでは?」
「まさか、偽物か……?」
動揺がざわざわと広がる。誰もが自分の見識と信じるものの間で言葉を失い、それでも耳はコンラッドの次の言葉を求めていた。
「南東の森にて、発動された光魔法を確認しました。発動の瞬間は私自身が目撃しております」
重く、広く、静かに――王城全体が揺れたような気配があった。
コンラッドは、最後に視線を王へと向けて、静かに頭を下げた。
謁見の間に重く垂れ込めていた沈黙を破ったのは、玉座の奥から響いた、威厳ある王の声だった。
「静まれ」
そのひと言だけで、騒然としかけていた空気が凍りつく。
重臣たちの視線が、一斉に玉座の方へと向けられた。
ガイウス・アルセリオン王。
金糸を織り込んだ黒の礼装に身を包み、毅然とした表情で玉座に座る王の存在は、それだけで空間の中心を制していた。
「真偽の判断を急ぐな。今、確かにすべきは――事実を見ることだ」
言葉は短く、だが重みをもって響いた。
「王国に光魔法の使い手が二人現れた。そのことに疑いの余地はない」
誰も、反論はできなかった。誰よりも先に事実を受け入れたのは、他でもないこの国の王だったからだ。
沈黙の中で、静かに立ち上がったのは、王妃クラリーチェだった。
「まずは、その少女とその母親の素性を確認しましょう。平民であるならば、王宮で保護を」
穏やかな声音だったが、その語尾には揺るがぬ芯があった。
「そして必要に応じて、教育と管理の体制を整えましょう」
クラリーチェの言葉に、数人の重臣が頷いた。王によって沈められた動揺に、さらに明確な方向性が与えられたようだった。
だが、その視線の奥にあったのは、政治的計算ではなく、どこまでも静かな、ひとりの母としてのまなざしだった。
静まり返った空気の中で、ひとりの重臣が口を開いた。
「光魔法の使い手が二人存在するのならば――選定の必要があるのでは?」
その声はあくまで冷静だったが、含まれた意味は重かった。
「どちらが真に相応しいのかを、見極めるべきかと」
その瞬間、場の空気が再びざわついた。
すぐさま反論の声が上がる。
「しかし、どちらも光を発現させたのは事実だ」
「選ぶなどという発想こそ、王国の尊厳を損なう行為では?」
声を上げたのは、ヴェルディア家と関係の深い実力主義派の貴族だった。
「エルディア公爵家の令嬢については、すでにその立場も役割も定まっております。今議論すべきは、新たに現れた少女の扱いについてです。」
「そもそも、前例のない状況に対し、旧来の判断基準を持ち出すことが妥当かどうか……」
中立派からも疑問の声が漏れ始めたそのときだった。
「光の使い手がふたり……前代未聞ゆえに混乱するのも当然だ。だが、だからこそ秩序ある対処が必要だ」
端然と立ち上がったのは、フォルディア公爵、リシャールだった。
「その少女について、詳細が判明していないのであれば……いっそ、我が家で引き取ることも検討しましょう」
一瞬で、空気が凍りつく。
「引き取る、とは……?」
「名を与え、教育し、責任を持って育てる。王家の手を煩わせずとも、我が家で十分に保護と導きを行うことができます」
その言葉の裏にある意図を、誰もが察していた。
光魔法を持つ少女を、王妃の器として囲い込もうとしているのだ。
ざわ……と、再び会議が揺れる。
その空気を、打ち払うように。
「その件は、王宮預かりとする」
低く、だが確固たる声でそう告げたのは、他でもないガイウス王だった。
「光魔法の使い手は、王国にとっての宝である」
重苦しい空気の中、誰もが次の言葉を探して沈黙するなか。
一歩、静かに進み出た男の姿に、視線が集まった。
それは、エルディア公爵、レオナルドだった。
「陛下」
深く頭を下げたのち、レオナルドはまっすぐ前を向いて続ける。
「我が娘、フィオナもまた、ある日突然、その力を得ました。何の準備も、前触れもなく」
「それは、もう一人の少女も同じことでしょう。戸惑い、怯えながらも、自分の中に芽生えた力に向き合わなくてはいけない」
重臣たちの間に、静かな空気が流れ始める。
「ならば、大人である我々がすべきことは、どちらか一方を選んで優劣をつけることではなく、二人をともに支えることではないでしょうか」
「この国に百年ぶりに現れた光の魔法。その力が、もし対となる存在として現れたのだとしたら――」
「二人でしか成せぬ未来があるかもしれない」
沈黙の中、クラリーチェがゆるやかに微笑み、口を開いた。
「必要なのは比較ではなく、調和ですわ」
その言葉が、凍っていた空気を溶かす。
誰かが息をついた気配がして、ようやく、場に安堵の色が戻ってきた。
深夜。会議は暫定的な方針のもと、ひとまずの幕を閉じた。
光魔法を発現した二人の少女については、いずれも保護対象とし、今後の調査と教育方針については王家が責任を持って進めていくことが決定された。




