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悪役令嬢、チュートリアル担当の騎士と結婚したら破滅回避できました 〜攻略難易度★☆☆☆☆の彼が最高の旦那様でした〜  作者: 梅澤 空


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記されてなかった、章のはじまり 6

「フィオナ、伏せろ!! 今、俺が……!」


カイルは叫ぶように詠唱を始める。


「風よ、鋭き刃となれ。我が意に従い、空を裂け――《風刃ふうじん》!」


空気が切り裂かれ、風の刃が生まれる。だが、魔物の突進を止めるには至らなかった。傷は刻めても、勢いは衰えない。

フィオナも、少女も、もう立ち上がる余力がない。


だから――


「行かせるかよっ!!」


叫びとともに、カイルは全身でフィオナたちの前に飛び出した。

剣を横に構え、身体全体で魔物の攻撃を受け止める構え。

衝突の直前、魔物の爪が振り下ろされた。

鋭い風を纏った刃で防御するが、重たい一撃に弾かれ、カイルは地面を転がった。

痛みと衝撃に顔をしかめながら、再び立ち上がる。足が震える。でも、逃げるわけにはいかなかった。


もう一度、剣を握り直す。だが、風はもう応えようとしない。魔力が切れかけている。

魔物が口を開き、唸り声とともに跳びかかろうとする。

その動きに、もはや対応する余裕はなかった。


(……間に合わない。くそ、俺は……)


自分の無力さが、全身を貫く。


――そのときだった。


風が震えた。


空気が、一瞬で変わった。


まるで、吹き荒れる嵐がその場に「降り立った」かのような、そんな圧倒的な気配が、森を支配した。



その瞬間、吹き荒れる風が森全体を貫いた。

耳をつんざくような風鳴り。木々が大きくしなり、瘴気を巻き上げる。

さっきまでのカイルの風とは、まるで違う。重く、鋭く、空気そのものを支配する風。


「――誰……?」


フィオナが顔を上げたとき、視界の向こうに、ひとつの影が現れた。

風をまといながら、大地に叩きつけるように降り立った男――褐色の肌に鋭い眼差し、大剣を携えていた。

その構えは、重さを感じさせないほど自然だった。


「団長……父さん……!」


カイルが驚愕の声を漏らす。

その男――コンラッド・アーディンは、ちらりとも息子を見ず、魔物と対峙していた。

魔物もまた、これまでと違う敵意に気づいたのか、一瞬足を止めて唸る。


「――こいつは、まだお前には早い。だが、よく持ちこたえたな」


静かな声。それだけで、カイルの全身から力が抜けそうになる。

厳しく、冷たく、それでいて、どこかに確かな信頼が込められていた。

フィオナはその背に目を見張った。

ただ立っているだけで、風が集まっている。空気が、剣を握るその手に自然と沿っていくように。

まるで――風そのものが、彼に従っているかのようだった。


魔物が吠えた。怯えではない。獣の本能が、目の前の存在を「危険」と判断したのだ。

黒く濁った巨体が跳躍する。

疾風のような突進。フィオナの目にはそれが、まるで空気を引き裂く刃のように見えた。

けれど――。


「風よ、悪を断て――《烈空斬れっくうざん》」


たった数語。それだけなのに、風が震えた。

次の瞬間、目に見えない風の刃が奔った。

まるで空間そのものが裂かれたような音が響く。地を、瘴気を、そして魔物の胴体を、一撃で。

魔物の動きが止まった。斜めに、深々と走った風の軌跡――。


ぐらり、と揺れた魔物が、次の瞬間、地に崩れ落ちた。

瘴気が、風に巻かれてどこかへ消えていく。


「…………っ」


誰もが、声を出せなかった。

ただ、コンラッドの一振りが、全てを終わらせていた。

それでもなお、倒れた魔物の身体がびくりと痙攣する。

完全に絶命していないことを悟り、コンラッドが無言で近づく。


再度の詠唱はなかった。ただ、剣を振り下ろす。

風が走り、魔物の頭部が吹き飛んだ。

ようやく、すべてが静かになった。


カイルはその場に膝をついた。

悔しさと安堵、そして絶望と敬意がないまぜになったような表情で、地面を見つめる。


「……俺じゃ、守れなかった」


ぽつりと漏らした声に、誰も何も言わなかった。

その背に、コンラッドが静かに歩み寄る。

父は息子の肩の前で立ち止まり、しばらく無言のまま、風の音に耳を澄ませていた。

やがて、低く、しかし確かな声が落ちる。


「胸に残った悔しさは、消すな。……それを背負って強くなれ」


それだけだった。

けれど、その一言に、カイルは大きく息を吸い込み、顔を上げた。

鋭いまなざしで、父の背を見つめていた。



森に、静けさが戻り始めていた。

瘴気は風に流され、地面には倒れた魔物の痕跡だけが残されている。

誰もが言葉を失い、ただその場に立ち尽くす。

カイルはうつむいたまま、拳を固く握っていた。

震えるその手に、いまの戦いが何を残したのか――誰の目にも、明らかだった。

フィオナはそっと歩み寄ると、カイルのすぐ隣で足を止めた。


「……ありがとう、カイル。あなたが前に立ってくれたから……私も、最後まで頑張ろうって思えたの」


言葉を飲み込むように、カイルは唇を噛んだ。

……その頬を、一筋の涙が静かに伝った。


ふと視線を落とすと、あの少女がフィオナの裾を握ったまま、しゃくり上げていた。


「お母さん……助かるよね?」


弱々しく揺れる声に、フィオナは静かに頷いた。

少女の目に、希望の光が灯る。

そのとき、森の奥から騎士たちの足音が近づいてきた。


「団長、先行しないでくださいよー! ……って、もう片付いてるし!?」


騎士たちが呆れと驚きをないまぜにした声で駆け寄ってくる。

フィオナは少女の手をそっと握り直し、静かに歩き出した。

風が、またそっと吹いた。

さっきまで瘴気に沈んでいた空気に、夏の匂いが戻っていた。

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