運命の、ちょっと前 4
前世の記憶がよみがえったのは、八歳の誕生日を少し過ぎた頃のことだった。
あれから、もう五年になる。
初夏を過ぎたある日、ふとそんなことを思い出して、私はバルコニーに出た。
陽の光に照らされた庭の花々。少し熱を帯びた風の匂い。どこまでも穏やかな午後だった。
私が転生したのは、乙女ゲーム『魔法と恋と運命の糸〜君と結ぶ魔法の絆〜』――通称「まほこい」の世界。
記憶がよみがえったあの瞬間、すぐにそれだとわかった。
そして自分がこの世界で「悪役令嬢フィオナ・エルディア」として生きていると知ったとき、血の気が引いた。
傲慢で、冷酷で、主人公フェリシアを徹底的にいじめる悪役。陰謀、嫌がらせ、婚約破棄、国外追放、魔法犯罪者として処刑……そんなバッドエンドがいくつも用意されていた。
最初はただ、破滅を避けたくて必死だった。
少しでも印象よく見られたくて、笑顔を心がけたり、礼儀正しくしたり。最初は破滅フラグを回避するためだったのに、いつの間にか心からそうしたいと思うようになっていた。目の前にいる人たちが、ただ好きだから。
アレクシス、ユリウス、シルヴァン、カイル、ジュリアン。
攻略対象だった彼らは、ただのゲームキャラなんかじゃなかった。驚くほどまっすぐで、優しくて、時々不器用で。みんな自分の人生を一生懸命生きていて、そんな彼らと過ごす日々は、かけがえのないものになっていた。
仮とはいえアレクシスと婚約した今、ゲームの筋書きからどれだけ外れてきたのか実感する。
正直、このまま何も知らずに生きていけたら、もっと気楽だったかも。
でも、まだ怖いんだ。このままでも、あの悲惨な未来に向かってるんじゃないかって。
あと二年で、魔法学院への入学。主人公フェリシアが登場するそのタイミングが、まほこい本編のスタートラインだ。
未来を変えるためには、どうすればいい? 光魔法を伸ばす? ヒロインを探して先に仲良くしておく?
そんなふうに悩んでいたときだった。
「姉さま、お茶にしませんか?」
部屋のドアをノックして、ジュリアンが顔をのぞかせた。
「……うん。ちょうど一息つきたかったところ」
ふたりでバルコニーのテーブルに向かい、侍女に紅茶を用意してもらう。ジュリアンは相変わらず礼儀正しく、私の向かい側に座った。
「姉さま、何かお悩みですか?」
「んー……ちょっと考えごとをしてただけ」
紅茶の香りに包まれながら、私はぽつりと呟いた。
「光魔法を、もっと上手に使えるようになりたくて」
「それなら、治療院に行ってみますか?」
「治療院?」
意外な提案に、私は思わず聞き返した。
「はい。王都には、民間の治療師さんたちが開いている治療院がいくつかあります。
光魔法じゃなくて、ポーションや薬草を使った治療が中心で……とても評判がいいんですよ。
水魔法で洗浄や冷却をしたり、薬草で炎症を抑えたりして、患者さんに合わせた対応をされてるみたいで。」
ジュリアンは落ち着いた声で説明してくれる。
「魔法そのものより、どう使うか、そういう知識ややり方を知れば、光魔法の扱いももっと良くなる気がしませんか?」
「……うん、それ、いいかも!」
私は素直にそう思った。何でもかんでも光魔法に頼るんじゃなくて、どうすれば体が自然に回復するのか。どうすれば、光魔法なしでも人に寄り添えるのか。
前世で看護師として学んだことが、この世界でも役に立つかもしれない。
「今度、父さまに相談してみる」
そう言うと、ジュリアンはほっとしたように笑った。
「……あ、そうだ姉さま。そのブレスレット、カイルとおそろいじゃありませんか?」
「えへへ、そうなの。いいでしょ?」
私が思わず自慢げに答えると、ジュリアンは微妙な顔をした。
「……いつ2人でおそろいにしたんですか?」
「え?……えーっといつだったかな? あはは……」
「ずるいです! 私だって姉さまとおそろいしたいです!」
「あ! じゃあ今度、帽子に服に靴に……ぜんぶおそろいで揃えちゃおうか!」
「う゛ぇっ……部屋着っ……からでお願いしますっ!!」
「部屋着なら良いの?」
部屋は明るい笑いに包まれていた。