女子の社交は、予想以上に笑えない 7 カイルside
いつも通りの午前の稽古。騎士団の先輩たちに混じって、剣を振るうのにも少しずつ慣れてきた。今日は昼から、仲間たちと中庭で集まる予定だった。
稽古を終えて汗をぬぐいながら帰ろうとしたとき、耳に飛び込んできた言葉で、カイルの足が止まる。
「そういえば、王太子殿下とエルディア家のお嬢様、婚約されたそうですよ」
(……は?)
何かの聞き間違いかと疑ったが、先輩たちは真面目な顔で話している。
王太子の婚約者は、エルディア家の娘――それが、もう当然のように広まっていた。
(そんな……いつの間に……)
心臓の音がうるさくて、剣の重みさえわからなくなりそうだった。
訓練場を後にし、中庭へ向かう途中、ふと目に留まったのは、ひとりで歩くフィオナの姿だった。
(あ……)
花壇のそばで誰かに軽く会釈をし、ゆっくりと歩き出したその横顔。遠目には、いつもと同じように見えた。優しくて、明るくて、眩しくて。けれど、ほんの一瞬、視線を伏せたその仕草に、胸がざわついた。
「フィオナ、今日……ちょっと元気ない?」
そう聞きかけたけれど、声は喉の奥に引っかかって出てこなかった。聞いてしまったら、何か壊れてしまいそうで――怖かった。
昼食の時間、いつもの仲間たちが集まる。そこで、フィオナがぽつりと口を開いた。
「……婚約の話、本当なんだ。アレクシスと」
沈黙を破ったのは、アレクシスだった。
「俺の女除け対策に協力してもらっているだけの仮の婚約だ。……フィオナには、この決断で負担をかけてしまった。その責任は重い。だから俺は、全力で彼女を守る」
その真っ直ぐな言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。彼の覚悟が、はっきりと伝わってきたからだ。
少し間を置いて、シルヴァンが静かに口を開く。
「たとえ仮でも、君の自由が奪われてしまう。……これは君が望んだことなのか?」
労わるような声だが、その奥にある微かな痛みに、カイルは気づいた。
ユリウスが眼鏡を押し上げ、淡々と続ける。
「……王家との縁は、形式上のものであっても重責です。王太子のためにも、フィオナ自身のためにも、無理はしないでください」
誰もそれ以上は何も言わなかった。
そしてカイルは――
「そ、そうなんだ……! すごいよ、フィオナ。なんか……ちゃんと、えらいって思う」
心から励ましたかった。役目に向き合おうとするフィオナを、ちゃんとすごいって、思ったから。
でも――
(……なんで俺、笑ってんだろ。めっちゃ悔しいのに)
胸の奥が、ずしんと重たかった。誰にもそれを気づかれないように、いつもの明るいカイルを演じてしまっていた。
夜、訓練場でひとり、剣を振る。
何度も、何度も。月が雲間から覗くたび、剣の影が石畳に長く伸びる。
「……まだ、力不足だな」
背後から低く響いた声に、振り返らずとも誰かわかった。
「わかってるよ。でも……守りたい子がいるんだ」
カイルの声は、少しかすれていた。
「ふむ……エルディア家のお嬢様か。王太子殿下の隣に立つことが決まったのではないか?」
父の言葉に、一瞬だけ剣が止まる。
(仮の婚約だって言えないな…)
けれど、カイルはすぐに肩をすくめて、前を向いた。
「それでも……俺は、あの子を守りたい。隣じゃなくても、遠くからでも、ちゃんと支えられるくらいに強くなりたいんだ」
父はしばらく無言だった。息子の背中越しに月を見上げ、ぽつりと呟いた。
「……辛いだろうが、それが騎士というものだ。自分の想いだけで動くな。相手の幸せを第一に考えろ。それが叶わぬ想いだったとしても、だ」
そして一歩、踏み出してカイルの隣に立つ。
「鍛えるんだな。誰よりも強くなれ。守りたいと願うなら、弱さを捨てろ、カイル。想いを断ち切れなくとも、騎士としての務めは果たせる」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
「……ああ。必ず、ふさわしい男になる」
誓いは、剣よりも重くて、誰にも見えない盾のようだった。
息が切れても、手が震えても、振り下ろす剣は止まらない。
(いつか言うんだ。ちゃんと、俺の言葉で)
いつか、あの子のために――笑って、誇って、「俺が隣にいる」って言えるようになるために。