女子の社交は、予想以上に笑えない 4 アレクシスside
春の風が庭園を抜け、満開の花々の間をさらさらとすり抜けていく。あちこちに置かれた白いテーブルの上では、紅茶の香りと貴族子女の笑い声が満ちていた。
「……今日は、やけにうるさいな」
アレクシスは不機嫌そうにため息をつきながら、高価なティーカップを優雅に、しかし退屈そうに傾けた。隣に立つユリウスが、いつものように冷静に答える。
「王子の初参加ですから。皆さん本気で印象を残したいんでしょうね」
「俺にはどうでもいいことだ。ただのお茶会だって聞いてたんだけどな」
「お茶会です。ただ、裏の目的がないとは言ってないですよ」
ユリウスの淡々とした口調に、アレクシスは軽く肩をすくめる。周囲に目をやれば、着飾った少女たちがちらちらとこちらを伺い、笑い合いながらも、どこか刺すような視線を向けていた。その視線に気づきながらも、当然のように無視を決め込む。
そんな空気に辟易していたアレクシスの視線が、ふと少し離れたテーブルに移る。
そこにいるのは、いつもの顔ぶれ——エルディア公爵家のフィオナ、その弟ジュリアン、騎士団長の息子カイル、魔術師団長の息子シルヴァン。華やかだが、どこか落ち着いた空気をまとった小さな輪。
(……あっちの方が、よっぽど居心地よさそうだ。行けばみな喜ぶだろうが)
思ってはみるものの、わざわざ自分から席を移動するという選択肢はなかった。王族という立場上、そう簡単に動けるものではない。そう割り切り、余裕ある態度でただ眺めていたそのときだった。
「……あら、ブランシェ家の次女って、あなただったわね」
花壇の向こう。数歩先のテーブルのそばで、数人の少女が小柄な一人の子を囲んでいた。
藍色の髪の少女。表情は見えないが、どこか怯えたように身をすくめている。囲んでいるのは、ベアトリス・フォルディアと、その取り巻きたち。
「あなたのお姉さまは王立魔法学院に主席で入学したっていうのに……ねえ、あなたは?」
「……私は……」
そのときだった。取り巻きの一人が、まるで何気ないふりをしながら、足を伸ばす。少女——クララの身体がふらりと揺れ、そのまま植え込みへ倒れ込んだ。
「きゃっ……!」
小さな悲鳴。周囲のテーブルが一瞬だけ静まりかえる。だが——誰も動かない。目を逸らし、ティーカップを持ち上げる仕草ばかりが並ぶ。
アレクシスの眉が不快そうにひそめられる。
(弱いものいじめか。下品な真似だ)
アレクシスが思わず立ち上がりかけた、その瞬間。
「大丈夫? 」
フィオナだった。ドレスの裾をはためかせて駆け寄り、地面に膝をつきながら、クララにそっと手を差し伸べる。
「 痛いところ、見せてくれる?」
その姿に、アレクシスは思わず目を細めた。
(……変わらないな、あいつ)
そういうところだけは、妙に安心できる。どんなときでも、ためらわずに動ける——あいつは、そういうやつだ。
自分ならもっと違った形で介入しただろうが、フィオナの行動に静かな敬意を抱く。
けれど。
「……まぁ、そんな使えない子と親しくすると、あなたの評判にも傷がつくわよ?」
ベアトリスの笑みが、花の香りの中で、やけに冷たく感じられた。
それに呼応するように、取り巻きたちの笑顔も、ぴたりと温度を失っていく。
(……こういう戦いこそ、俺には理解できん)
庭園の華やかな空気が凍りついたように感じた。手にしていた紅茶の味が、妙に苦く感じられた。
♢♢♢
お茶会の翌日、アレクシスは父に呼ばれ、王宮の奥にある応接室へと足を運んでいた。
堅苦しい儀礼の場ではないが、空気には確かに重みがある。
ガイウス王は椅子にもたれ、静かに紅茶を啜っていた。その隣ではクラリーチェ王妃が茶器を整え、穏やかな仕草でお茶を淹れている。王は妃の手元を見つめ、柔らかな表情を浮かべていた。この二人の間にある微かな空気は、公の場では決して見せない親密さを感じさせる。
「先日の茶会はどうだった?」
父の問いかけは、他愛ない会話のように聞こえた。だが、その目の奥には冗談を許さない色がある。
「……どうと申されましても。私には、少々退屈な催しでした」
「そうか。だが王子としての初参加だった。気になる子の一人くらいは、いたのではないか?」
「……気になる子、とは? てっきり、ただの社交の場かと思っておりましたが」
アレクシスが肩をすくめるように言うと、クラリーチェがふっと微笑んだ。
その笑みは、言葉にしなくても全てを見抜いていると伝えてくるようで、
「そうやって、とぼけるのね」とでも言いたげな、母らしい優しさと余裕がにじんでいた。
「あなたの周りは、だいぶ騒がしかったものね。きっと戸惑ったでしょう」
「……女子という存在の複雑さを、改めて知った気がします」
その答えに、ガイウスが笑った。まるで昔の自分を見るような、懐かしさを含んだ眼差しだった。
「正直でよろしい。さて、本題に入ろう。アレクシス、お前の婚約についてだ」
静かながら、確信に満ちた声だった。
「光の魔法を持つフィオナ・エルディア。彼女が第一候補だと、私は考えている」
「……やはり、光属性ゆえに、でしょうか」
「家柄、人柄もあるぞ。だがやはり、光は王家と共にあるべきもの。これは、王国の過去の歴史が物語っているからな」
アレクシスは黙して応じた。その言葉の重さを、無視することはできない。
「ベアトリス・フォルディアの名も挙がっていますわ」
クラリーチェの言葉に、ガイウスがわずかにうなずく。そこには妃の発言への敬意が見て取れた。いかに頑固で威厳ある王といえど、妃の意見には特別な重みを置いているようだ。
「あの子か……。王妃としての自覚は出来ている」
「ええ、あの年であれだけの立ち居振る舞いができるのは立派ですわ。でも……」
クラリーチェはカップを置き、静かに言葉を選んだ。ガイウスの視線が彼女へと向けられる。
「フォルディア家は伝統を重んじる貴族派の中心。彼女を王妃にすれば、古い価値観を守る勢力が力を増すことになるでしょう」
「そうだな。ヴェルディア家を中心とする実力主義派とのバランスを崩しかねない」
ガイウスは妃の実家の名を出し、彼女の方をちらりと見た。
クラリーチェは小さく息をつく。
「派閥、ですか」
アレクシスは言葉を繰り返した。知識としては耳にしたことがある。だが、具体的な構図には深く関わってこなかった。
「ええ。この国には、大きく分けて三つの派閥があるの」
クラリーチェが紅茶に一息ついてから、続けた。
「フォルディア家のような伝統貴族派は血筋と格式を重視する。一方で、私の生家のヴェルディア家は、実力があれば家柄に関係なく認めるべきだという考えよ」
「そして」
ガイウスが妃の言葉を継ぐように言う。
「エルディア家のような中立派もいる。どちらの派閥にも与せず、王家と適度な距離を保つ立ち位置だ」
二人の息の合った説明は、長年連れ添った夫婦ならではのものだった。
「なるほど……思ったより、ずっと複雑なのですね」
「ええ、だからこそ、王妃選びは慎重にしなければならない。たった一つの決定が、王宮全体の空気を大きく変えるのよ」
「お前の選択は、単なる個人の問題ではないということだ」
ガイウスが厳しい口調で言った後、クラリーチェが彼の腕に軽く触れた。
「あら、陛下?」
クラリーチェは意図的に公式な呼び方で、微かな皮肉を滲ませる。
「当時はそんなふうにお考えではなかったのに」
「ぐっ」
ガイウスは一瞬言葉に詰まり、アレクシスには気づかれないよう小さく溜息をついた。
かつて自分もまた、同じ立場に立たされていた。フォルディア家派閥の令嬢と、実力主義のヴェルディア家のクラリーチェ。先代の王は当時の情勢から国の安定を考え、前者との結婚を強く勧めたが、ガイウスはクラリーチェへの想いを捨てられず、あらゆる反対を押し切って彼女を王妃にした過去がある。
今、息子に厳しい言葉を投げかける自分に、皮肉な運命を感じずにはいられなかった。
アレクシスは視線を落とす。
思い浮かぶのは、昨日の光景。転んだクララに手を差し伸べたフィオナの姿。誰かに見せるためではない、自然な行動。正しさを疑わない、まっすぐな目。
(……フィオナと一緒にいると、女子が怖くない)
(でも……それは婚約者としての感情とは違う気がする)
(あれは……男友達みたいな、妙な安心感だ)
そんな自分の考えに、アレクシスは内心で苦笑した。
その様子を静かに見つめていたクラリーチェが、そっと声をかける。彼女の目には、かつて自分もガイウスに抱いた戸惑いを思い出すような色があった。
「けれど、選ぶのはあなたよ。誰の意向でもなく、あなたが本当に幸せになれる道を選びなさい」
それは王妃としてではなく、一人の母の言葉だった。
ガイウスは反論しようとして口を開きかけたが、妃の決然とした横顔を見て、そっと口を閉じた。
自分がかつてクラリーチェを選んだときの情熱を、彼は今も鮮明に覚えている。息子にもまた、同じ強さで選べる相手が現れることを、王は密かに願っていた。




