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女子の社交は、予想以上に笑えない 3

春の陽射しが差し込む中庭で、フィオナ・エルディアは一冊の薬草図鑑を膝に広げていた。ページの端には細かくメモが書き込まれ、読み込んだ様子がにじんでいる。


「……この葉は、乾燥させると香りが強くなるのか。なるほど」


声に出してつぶやきながら、フィオナはふと、先日の出来事を思い出す。お茶会で出会った、小柄で藍色の髪をした少女——クララ・ブランシェ。あのとき、泣きそうな顔でうつむいていた彼女が、少し笑ってくれたことが、今でも心に残っていた。


(あの後、どうしてるかな……もう、元気になったかな)


ページをめくる手が止まり、空を見上げたフィオナのもとへ、一人のメイドが静かに近づいてきた。


「お嬢様、ブランシェ伯爵家よりお届け物とお手紙が届いております」


「え?」


差し出された封筒には、端正な筆跡で書かれたクララ・ブランシェの名。思わず胸が高鳴るのを感じながら、フィオナは封を切った。


『先日は、本当にありがとうございました。あのとき、助けていただいたことを、ちゃんとお礼が言いたくて……。もしご迷惑でなければ、改めてご挨拶に伺わせていただけませんか? ——クララ・ブランシェ』


「クララが……お礼を?」


思わず顔が綻ぶ。あの控えめな少女が、勇気を出して書いてくれたことが嬉しくて、手紙を胸にそっと抱きしめた。


「よかったわね、フィオナ」


柔らかな声に振り返ると、アマーリエが日傘を差しながら中庭へ降りてきていた。娘の手元の封筒に気づいたのか、優しい微笑みを浮かべている。


「わざわざ挨拶に来てくれるなんて、素敵なお嬢様ね。きちんとお迎えする準備をしましょう。フィオナ、あなたも嬉しいでしょう?」


「……うん!」


フィオナは笑顔で頷いた。


(今度は、ちゃんと友達になれるかもしれない)




数日後の午前、フィオナは玄関ホールでそわそわと落ち着かずにいた。三歩歩いては振り返り、また三歩。「どうしてこんなに落ち着かないんだろう…緊張?いや、きっと楽しみすぎるせいね」と、自問自答しながら何度もスカートの裾を整える。


春色のワンピースに身を包み、胸元にはジュリアンが選んでくれたリボンをつけている。今日はほんの少し、髪型にも気を遣った。


「まだかな……あっ!来た!馬車の音だわ!」


窓の外に、ブランシェ家の紋章を掲げた馬車が見えた瞬間、フィオナの顔がぱっと明るくなる。


馬車から降りてきたのは、薄緑の包みを胸に抱いたクララ。藍色の髪が春風に揺れ、少し緊張した面持ちで立っていた。


「ようこそ、クララ。来てくれて嬉しいわ」


「い、いえ……今日は、その……」


クララは胸元の包みを差し出した。薄紙に包まれた丁寧なそれは、見ただけでは中身は分からないが、ほんのり甘く爽やかな香りが漂っている。


「……その、お気に召さなかったら、すみません。我が家の庭で採れたハーブを使った焼き菓子なんです。あと、季節の香り袋も少し……」


「嬉しい!ありがとう!」フィオナは満面の笑みで包みを受け取り、クララの緊張がほんの少しほぐれる。


「それと……フィオナ様。あのときは、本当に……ありがとうございました。フィオナ様が声をかけてくれなかったら、きっと、あのまま……」


フィオナはそっと首を振った。


「『様」はやめよう。……言ったら、ちょっとくすぐるからね?友達だったら助けるのは当たり前だし、お礼なんていらないよ。クララって呼んでいい? 私のことは、フィオナって呼んで! ……敬語もなしで、ね?」


クララはぱちぱちと瞬きをし、


「……うん。『フィオナちゃん』でも良いかな?」


クララは少し不安そうに、でもどこか嬉しそうに、こちらを見上げてくる。


「もちろんだよ!」

「ふふっ、ありがとうフィオナちゃん」


「じゃあ、せっかくだし……お茶しよう? 春の日差しがぽかぽかで、お茶するのにちょうどいい場所があるの」


「うん、行きたい……!」


ふたりは並んで歩き出す。やわらかな風が庭を抜け、香り袋と同じハーブの香りがふわりと鼻先をかすめた。




フィオナが案内したのは、中庭の一角。春の花が咲き誇るその場所には、白い小さなテーブルと椅子が並んでいる。日差しはやわらかく、鳥のさえずりと紅茶の香りがふわりと空気に溶けていた。


「ここ、すごく素敵……」


クララが目を輝かせてそう言ったのを見て、フィオナは誇らしげに笑う。


「でしょ? 春になると、ここがいちばん気持ちいいの。風も優しいし、ハーブの香りも届くし……ほら、あれ、レモンタイム」


「……ほんとだ」


フィオナはお茶を注ぎながら、ふと話題を切り出した。


「ねえ、クララ。薬草のこと、すごく詳しかったよね。ポーションも作ってるって言ってたし。もっと、教えてくれない?」


クララは一瞬、驚いたような顔をしたあと、すぐに恥ずかしそうに目を伏せた。


「……お姉さまの方がすごいんだよ。魔法も勉強も、いつも一番で…… 私は、魔力も少ないし、うまく魔法も使えなくて。でも、ポーション作ってるときだけは、なんだか……安心するというか、楽しくて」


「それって、すごく素敵なことだよ」フィオナはすぐにそう言って、まっすぐクララを見つめた。


「魔力が強いとか、目立つとか、それだけがすべてじゃないよ。クララが自分の得意を見つけてるって、私はすごいと思う」


クララは目を丸くして——それから、静かにほほえんだ。


「……ありがとう。誰かにそう言ってもらえたの、初めてかもしれない」


「じゃあ、これからは私が言う係になるね」


フィオナがにっこり笑うと、クララも、今度は心からの笑みを浮かべた。




午後の日差しが少し傾きはじめたころ、ブランシェ家の馬車が屋敷の前に戻ってきたと侍女が知らせに来た。それを聞いた二人は名残惜しそうに庭から戻ってくる。


「……今日は、本当に楽しかった。あんなに笑ったの、久しぶりかもしれない」


「私も。クララとおしゃべりできて、すごく嬉しかった」


玄関前に立ち、フィオナはクララの手をそっと取った。その手は小さくて温かく、けれどしっかりと握り返してくれる。


「また、遊びに来てね。今度は私がクララの好きなお菓子とお茶、用意しておくから!」


「うん。ぜったい、また来る」


クララの頬が少しだけ赤くなり、小さな笑顔が浮かぶ。


「じゃあ、次に会うときは……また、たくさん薬草のお話しよう!」


「うん! 今度は、私もクララに負けないぐらい頑張って勉強する!」


馬車の扉が開き、クララが一歩乗り込む前に、ふと振り返った。


「……フィオナちゃん。あのとき、声をかけてくれて、ありがとう。私、本当に嬉しかった」


フィオナは胸の奥がじんと温かくなるのを感じながら、静かに頷いた。


「こちらこそ。クララと出会えて、本当によかった」


クララが馬車に乗り込み、ゆっくりと動き出す。フィオナは手を振りながら、春風に揺れる藍色の髪が遠ざかっていくのを見送った。


(女子の社交って、予想以上に笑えない時多いけど——)

(でも、今日みたいな日があるなら、ちょっと頑張ってもいいかも)


フィオナはそう思いながら、柔らかな日差しのなか、静かに微笑んだ。



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