女子の社交は、予想以上に笑えない 2 ベアトリスSide
アルセリオン王国には、建国の時代から王家とともに歩んできた三つの名門公爵家がある。その名は、エルディア、ヴェルディア、そしてフォルディア。
この三家は「ディア家」と総称され、いずれも王国の礎を支えてきた由緒ある一族だ。多くの王妃を輩出してきた実績と、王妃の器を育てる家としての矜持。フォルディア家は、長きにわたり王宮で特別な存在として語られてきた。
そして今、王太子アレクシスをめぐる噂がささやかれる中――フォルディア家は再び、その名を王宮に刻もうとしていた。
♢♢♢
朝の食堂には、上質なリネンのクロスと銀のカトラリーが静かに並ぶ。優雅な香りの紅茶と果実、焼きたてのパンに、磨き抜かれたグラス。それは、完璧に整えられたフォルディア家の日常だった。
「王太子殿下とエルディアの娘が、最近よく連れ立っているらしいな」
父がフォークを置きながら、穏やかな声で口を開いた。
「光魔法の娘をお気に入りにするなんて……クラリーチェ王妃、ずいぶん用意がいいこと」
母はカップを手にし、冷ややかに微笑んだ。
「昔からそうなのよ。何も望んでいない顔をして、気づけば一番いい場所をさらっていく。あの女のやり方よ」
今の王妃、ヴェルディア家出身のクラリーチェ・アルセリオン。かつて母と同じ学び舎に通い、そして王妃の座を手に入れた女。
「……とはいえ、次の駒があれでは、王妃様も焦っておられるのでしょう」
母は優雅に笑う。
「エルディアの娘なんて、所詮は話題性だけ。光魔法を持っていたところで、それしかない子よ。王妃の器? 笑わせるわ。見た目が少し愛らしいからといって、浮かれている周囲のほうがよほど滑稽だわ」
「皮肉ですね、母上。王妃の座にこだわらなかった方が、今や盤石な立場にいるとは」
兄は静かに微笑みながら言った。
「王妃にとって、次に選ばれる王妃候補は、自らの立場に直結する」
父の声は低く、確信に満ちていた。
「手駒を用意するのは当然だろう」
私はナプキンを丁寧に畳み、真っ直ぐに顔を上げる。
「でも、次代の王妃は私ですわ。……それ以外の選択肢なんて、存在しない」
父の口元に、満足げな笑みが浮かぶ。
「……ベアトリスがその座にふさわしいと、王家に思い出してもらうだけだ。それが、我々フォルディアの責務でもある」
「お茶会の席が良い踏み台になるでしょう。派手な動きは不要。印象さえ残せばいい」
兄の言葉も、当然のように響く。
母はカップをそっとソーサーに戻し、少しだけ目を伏せた。
「……あの時、選ばれなかった私の悔しさ。忘れたことなんて、一度もなかったわ」
「だから、ベアトリス。あなたがあの椅子に座るのよ。――私が届かなかった場所へ、あなたの手で」
私は静かに微笑んだ。
「私が王妃になるの。……それが、この国にとって、正しい選択よ」
♢♢♢
お茶会を終えたあと、私はすぐに自室へ引きこもった。
ガチャリ、と扉が閉まる音がやけに重たく響く。
ひとりになった室内で、私は震える指先を見つめていた。けれど次の瞬間、堰を切ったように感情があふれ出す。
私は手近にあったティーカップを掴み、テーブルに叩きつけた。紅茶の残ったカップは派手な音を立てて砕け、琥珀色の液体が白いクロスにじわりと滲んでいく。
続けざまに、ティーポットも薙ぎ倒した。高貴な香りが一気に立ちのぼり、濃い紅茶が絨毯に広がっていく。
「……なんなのよ、あの子……!」
荒くなった呼吸を抑えながら、私は茶色い染みに目を落とした。
私は完璧に振る舞った。笑顔も所作も、いつも通り。なのに、まるで舞台の主役を奪われたみたいな空気。
――庭園の片隅で、フィオナが誰かを助けたらしい。「さすがエルディア公爵家のお嬢様だ、お優しい」とか、「光魔法まで使えるなんて、もう次の王妃は彼女だろう」とか――今日のお茶会でも、貴族たちはよくもまあ、飽きもせず彼女の噂話に浮かれていたわね。
地味で、挨拶もろくにできない伯爵令嬢ごときを助けたからって、何なのよ。あの娘は、私の役に立たないから、ああなっただけの話。
そこへフィオナ・エルディアが現れて、傷を癒して、優しく微笑んだ ……ヒロイン気取り?冗談じゃない!
見えるところでやったのが、完全に裏目に出た。結果的に、あの子の評判を高めることになったなんて。
「光魔法……百年にひとりの特別な力? だから何よ」
それしかない子でしょう。見た目が少し愛らしいだけで、男の前では甘えたように笑って。
それだけで王妃候補みたいな扱いをされるなんて、納得できるわけがない。
「次は、見えないところでやるわ」
自分の声があまりにも冷たくて、思わず息を止めた。
立ち上がり、砕けた茶器の破片を見下ろす。私は冷ややかに笑った。
「こんな茶器なんて、壊れても明日には新しいものが揃う。誰も気にしない」
私は足元に散らばった破片の一つを、靴先で転がした。
「王妃の椅子も同じ。一時的にフィオナが人気を集めたところで、最後に座るのは私。それがフォルディア家の責務。それが私の運命」
私が王妃になるの。この私、ベアトリス・フォルディア以外に――ありえない。