女子の社交は、予想以上に笑えない 1
「……今日は、女の子のお友達を作るんだ」
鏡の前で、フィオナ・エルディアは小さく呟いた。胸の奥で、不安と期待が混じった鼓動がとくとくと跳ねている。
この世界では、王宮主催のお茶会デビューは十歳からと決まっている。もちろん、それまでも貴族の子どもたちは誕生日パーティーや式典などで顔を合わせる機会はあった。でも――
(気がつけば、いつも男の子たちとばかり一緒だったなぁ)
思い浮かぶのは、アレクシス王子の姿。その縁で、ユリウスやシルヴァンとも仲良くなり、ジュリアンやカイルも含めて、いつしか六人で遊ぶのが当たり前になっていた。
もちろん、それが嬉しくないわけじゃない。
「やっぱり、おしゃべりしたり、一緒にドレスを選んだりできる、女の子のお友達がほしいなぁ」
同じくらいの年の子たちは、最近読んだ物語の話で盛り上がったり、新しい髪飾りやお菓子の話で笑いあっている。そういう輪の中に、自分がいた記憶は……ない。
(でも、今日なら。きっと、誰かと仲良くなれるはず!)
今日はそのお茶会デビュー。王城の東庭園で行われる、十歳の子どもたちだけが招かれるガーデンパーティーだ。
♢♢♢
(これって……わたし、浮いてる?)
春の風に花びらが舞う庭園の中で、フィオナはそっと視線を落とした。男子たちと自然に話す自分が、他の女の子たちの輪の中でどう映っているのか——うっすらと、その空気が伝わってくる。
「騎士団長に宰相家、魔術師団長の子息たち……まるで王女様の護衛隊ね」
「……あそこまで囲まれて、恥ずかしくないのかしら」
「ふふ、そういう子って、きっと私たちとは話が合わないのよ」
花壇の向こう、飾り立てたドレスの少女たちが、こちらをちらりと見ては笑っている。
笑っているけれど、笑っていない目。それが、なぜかすごくよく分かってしまった。
「……これが、女の子同士の社交ってやつ?」
胸が少し苦しくなる。けれど、後ろを振り向くわけにはいかなかった。
「姉さま」
すっと隣に現れたジュリアンが、いつもの落ち着いた声で話しかけてくる。
「飲み物、取ってきました。……ラズベリーティー、お好きでしたよね?」
「ありがとう、ジュリ。助かるわ」
そっと受け取ったカップの中で、赤い液体が揺れている。ふんわり甘酸っぱい香りが鼻をくすぐった。
「フィオナ、もし困ってることがあったら言ってね!」
カイルが、にこっと笑ってサンドイッチを持ってくる。
「男の子ばっかじゃつまんないって思われてたら嫌だしさ。あ、でも俺、女子トークも頑張って聞くし話すよ!」
「ふふ、ありがとう。カイルは……そのままでいいと思う」
カイルの明るさと、ジュリアンの気配り。その二人に囲まれていると、少しだけ胸の痛みが和らいでいく。
けれど——
(ほんとは、今日こそ、女の子の友達がほしかったんだよ)
うまくいかない現実に、ほんの少しだけ心が沈んだそのとき。
「あら、ブランシェ家の次女って、あなただったわね」
花壇の向こうから、甘ったるい声が聞こえてきた。フィオナが目を向けると、三人の少女が藍色の髪の小柄な女の子を取り囲んでいる。
「確か、お姉さまは王立魔法学院に主席で入学したっていうのに、あなたは……」
少女の一人が意地悪く笑った。藍色の髪の子は俯いたまま、頑なに黙っている。
「ブランシェ家の鼻つまみ者って本当なの?」
「いいえ……」
か細い声が風に消されそうになる。
「でも、ブランシェ伯爵が『次女は魔法の才がないなんて家の恥』って嘆いてたって噂よ?」
「わたしは……わたしは……」
「あ、それとも何か違う特技があるの?ブランシェ家の名に恥じない才能が?」
藍色の髪の子が口を開こうとしたとき、少女の一人が意図的に足を伸ばした。バランスを崩したクララは、植え込みに向かって転んでいった。
「きゃっ——!」
「あ!」
フィオナは思わず駆け出そうとした。
「姉さま、待ってください」
ジュリアンが静かに腕を掴む。フィオナは驚いて彼を見た。
「今は行かない方が良いかもしれません。あの中心にいるのは……フォルディア公爵家の令嬢です」
「……ベアトリス・フォルディア」
シルヴァンが、軽く眉をひそめて名を口にした。
「『ディア』の名を持つ公爵家の一つ。エルディアと並ぶ名門だ」
「そう、家格ではうちと同じ。あそこの家は……いつも張り合ってくる」
ジュリアンの声には、わずかに苦味がにじんでいた。
フィオナは植え込みの向こうで膝を抱えるクララを見つめた。そして少女たちを。
(敵にはなりたくない。でも……)
(あんなの、見て見ぬふりなんて——できない)
「ジュリ、皆……ごめんなさい」
フィオナは静かに言った。
「でも……私は見過ごしたくない。あんなの、間違ってるよ」
ジュリアンの手を優しく振り解き、フィオナはクララへと歩いていった。彼女の背後で、少女たちがくすくすと笑い声を上げる。その意味を、フィオナは痛いほど理解していた。
♢♢♢
「大丈夫? 痛いところ、見せてくれる?」
膝を抱えて俯くクララに、フィオナは優しく声をかけた。彼女は驚いたように顔を上げ、藍色の髪が風に揺れた。目には涙が浮かんでいる。
「……え……?」
「あなたが怪我してるみたいだから。よかったら、治してあげられるけど」
クララはしばらく無言だった。そして、かすかに首を振った。
「……わたしなんかのために、あなたまで……」
「あなたまで」という言葉に、フィオナの胸が痛んだ。
「私は……フィオナ・エルディア。あなたは?」
「……知ってます」クララはかすかに言った。「光の魔法所持者で公爵家の……」
「そうじゃなくて」
フィオナは微笑んで、彼女の隣にそっと腰を下ろした。
「わたしはフィオナ。あなたは?」
クララは一瞬、呆然とした表情をした。そして、初めて小さく笑った。
「……クララ。クララ・ブランシェです」
「クララ。少しだけ 膝、見せて」
おずおずとスカートの裾をあげるクララ。膝には真っ赤な擦り傷があり、血がにじんでいた。
「痛そう……ちょっとだけ我慢してね」
フィオナはそっと手をかざした。
「『癒しの光よ、小さき痛みを包み込んで』……治癒」
かすかな光が彼女の手からこぼれ、クララの傷を包み込むように照らす。
「わぁ……」
クララが息を呑んだ。赤みが引いていくのを見ながら、彼女は小さな声で言った。
「わたし、魔法の才は……ないんです。家族みんな優秀な魔術師なのに、わたしだけ……」
「でも、他に好きなことや得意なことがあるんでしょう?」
クララは驚いたように目を見開いた。
「どうして……わかるんですか?」
「さっき、言いかけてたでしょ? 何か特技はあるのかって聞かれて」
「あ……」クララは少し恥ずかしそうに笑った。「薬草の調合が……好きなんです。ポーション作りを勉強してるんですけど、家族には『地味すぎる』って」
「えっ、それってすごいことだよ!」フィオナは目を輝かせた。「私、この前読んだ本に、弱い魔力でも、知識と技術次第で優れた効果を生み出せるって話を読んだわ」
「……本当ですか?」
クララの顔に、初めて本物の笑顔が浮かんだ。
「その本、私にも貸してくれますか?」
「もちろん! あ、それとクララが知ってる薬草のことも、いっぱい教えて欲しいな」
遠くから二人を見つめる少女たちの目が冷たく光っている。でも、もうフィオナには関係なかった。
クララの瞳に浮かんだ光と、二人の間に芽生えた小さな信頼。それが、今日という日の真の収穫だとフィオナは感じていた。
(やっと、わたしにも——女の子の友達ができた)