幕間:君の隣に立つために
アーディン家の裏庭にある稽古場では、木剣の打ち合う音がリズミカルに響いていた。
小柄な少年――カイル・アーディンは、真剣そのものの表情で父の攻撃を受け止めている。
「カイル、腕の力に頼るな!剣先が安定していない!」
騎士団長――コンラッド・アーディンの雷のような叱咤が飛ぶ。
けれど、カイルはひるまない。ぐっと歯を食いしばって、再び構え直した。
「もう一回!まだいけます!」
汗でぐしゃぐしゃになった髪の下、瞳はまっすぐ。
夕陽が差し込み、彼の姿をあたたかな光で包んでいた。
「今日はここまでだ」
「まだ!もっと強くならないと、僕……!」
木剣を手放さないカイルに、父は苦笑しながら手を伸ばした。
「体を壊しては元も子もない。休むのも訓練のうちだ」
その言葉に、カイルはようやく息をついた。そしてぽつりと尋ねる。
「……父さん。フィオナ様って、アレクシス様と婚約しちゃうの?」
コンラッドは目を細め、カイルの表情を静かに見つめた。
「……噂は確かにあるな。だが決まった話ではない」
「そうなんだ……」
カイルは、木剣の先で地面をコツンと突いた。唇を噛みしめてから、拳を握る。
「でも、僕、フィオナ様を守れる騎士になります! 絶対に!」
その目には、子どもらしい無邪気さと、まっすぐな情熱が輝いていた。
父は一瞬だけ目を丸くし、そして頷いた。
「……そうか。その意気だ。なら明日も容赦はしないぞ、覚悟しておけ」
「はいっ!」
カイルはぱっと笑顔になった。子どもらしい天真爛漫な笑顔には、きらきらとした決意が宿っていた。
それは半年前のことだった。
フィオナ・エルディアの誕生日を祝う小さな祝宴。
貴族の子息たちが集まる中、カイルは息を切らして駆け込んできた。
「ごめんなさーい!遅れちゃった!」
遅刻の理由は――ケーキの誘惑に負けたから。
「美味しくてつい、一切れ……いや、三切れ!」
息を切らして現れたカイルの姿に、その場の空気が一瞬だけざわついた。
プラチナブロンドの髪を揺らして、柔らかな笑みを浮かべていた少女――フィオナ。
光の下で輝くその姿を見た瞬間、カイルの時は止まった。
「フィオナ・エルディア嬢……?」
言葉が飛び出す前に、心臓がドキンと跳ねた。
「ぼ、僕!カイル・アーディンです!えっと、お誕生日、おめでとうございます!」
ガチガチに緊張しながらも、必死に手を差し出す。
「ありがとう、カイルくん」
差し出された小さな手を、彼は思わず強めに握り返してしまった。
「フィオナ嬢って、噂よりずっと可愛いいんだね!てっきり、目が合うと石になるレベルかと!」
……という勢いで、思っていることが口から全部飛び出していく。
傍らのジュリアンが引きつった顔でこちらを見ていたが、もはや気づく余裕はない。
その後の祝宴で、事件(?)は起きた。
バルコニーに出ようとして、足元の飾りに引っかかったカイルは――
「うわっ!」
手すりに手を伸ばすも間に合わず、膝からゴロンと石床にダイブ!
「いてて…っ!」
目に涙を浮かべながらうずくまっていると、誰かがすっと駆け寄ってきた。
「大丈夫?ちょっと見せてね」
優しい声と一緒に、そっと膝を覗き込むフィオナ。
(え、近い!)
痛みも忘れそうな距離感にドキドキしていると、彼女の手が自然に傷口に伸びてきた。
その瞬間――
フィオナの指先から、ふわっと眩い光があふれ出す。
柔らかな輝きがカイルの膝を包み、赤く腫れていた傷がみるみるうちに癒えていく。
「……あ、あれ? もう痛くない……」
信じられない思いで膝を見つめていると、フィオナが少し驚いたようにこちらを見ていた。
「治った……!これ、治癒魔法?エンジェル?いや、むしろ女神……?」
カイルの勢いに、フィオナはぽかんとした顔で固まり――
次の瞬間、ふっと照れたように笑った。
それがもう、カイルの心を撃ち抜いた。
王宮の稽古場での練習後――
王宮の庭園で、一人ベンチに座っていたフィオナの姿を見つけたカイルは、胸がドキドキして落ち着かなかった。
(よし、行くぞ。今度こそ、ちゃんと伝えるんだ!)
小さく深呼吸してから、足を前に出す。
「フィオナ様ーっ!」
声を張り上げて駆け寄ると、フィオナが顔を上げて、ふわりと笑った。
「あ、カイルくん。こんにちは。おさんぽ中?」
「えっ、あ、はい!いや、違くて……ちょっとだけ、お話しても、いいですか?」
「うん、いいよ。こっち来る?」
フィオナがぽんぽんと自分の隣を軽く叩く。
その仕草に、カイルの心臓がボンッと跳ねた。
(やばい……それ反則……)
カイルはこくこくと無言で頷いて、そろそろと隣に座る。心臓の音がうるさくて会話が聞こえないレベル。
「あのっ、そのっ……噂、聞いたんです」
「噂?」
「フィオナ様と……アレクシス様が……こ、こ、こ、こ、婚約するかもしれないって!」
フィオナは目を瞬かせ、少しだけ視線を落とした。
「大人たちが話してるのは知ってる。でも、私はまだ誰かと結婚するって、よく想像できなくて……」
「……そ、そうなんですね」
ちょっとだけ安心して、でもその分、ぐっと拳を握る。
「でも!ぼ、僕……ぼくは、あきらめませんからっ!」
「え?」
フィオナがこてんと首をかしげた。
「ぼ、僕は、騎士になります!ちゃんと強くなって、頼れる男になりますからっ!」
カイルは勢いのままに叫んだあと、急に恥ずかしくなって、わたわたする。
「えっと……つまり、その……が、がんばります!」
フィオナはぽかんとして、それからふっと笑った。
「カイルくん、なんだか一生懸命で、見てると元気出るね」
「えっ……そ、そうですか……?」
ほめられてるのか照れられてるのか分からず、顔が一気に赤くなる。
フィオナはくすくす笑いながら、そっと手を差し出し、カイルの手を軽く握った。
「じゃあ、ケガには気をつけてね。ちゃんと食べて、ちゃんと寝ること。あと、あんまり無理しないこと」
「そ、それって……フィオナ様の『キュンとさせちゃう呪文』ですか……!?」
フィオナは少しきょとんとして、それから照れたように笑った。
「……ただの生活指導だよ」
そのぬくもりだけで、胸の中がぽかぽかと満ちていく気がした。
♢♢♢
夕暮れの風が、フィオナの髪を優しく揺らす。
その横顔を見ながら、カイルは胸の奥で、静かに誓った。
(いつか、ちゃんと強くなって……フィオナ様に、僕の隣が一番安心できる場所だって思ってもらえるように)
それは、まだ始まったばかりの小さな恋。
けれどその想いは、確かに少年の未来を動かし始めていた。