光魔法は予定外、婚約は想定外 8
朝日が窓から差し込む中、エルディア家の邸宅では穏やかな朝の時間が流れていた。
フィオナが朝食を取ろうと食堂に向かうと、執事のウォルターが深々と頭を下げて立っていた。
「お嬢様、王宮よりお招きの書状が届いております」
ウォルターが差し出す上質な封筒には、王家の紋章が輝いていた。
「これは……」
フィオナが封を開くと、上品な筆致で記された文面が目に飛び込んできた。
「クラリーチェ王妃様からですか?」
思わず声に出すフィオナ。
「そうだな」
食堂に入ってきたレオナルドが、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「アレクシス王太子と再びお茶を共にしてほしいとの内容だな。いよいよ光の娘として王宮に認められたということだ」
フィオナの母アマーリエは、そんな夫の横で少し不安そうに娘を見つめていた。
「フィオナの意思が一番よ。無理はしないで」
フィオナは招待状を見つめながら、心の中でパニックになっていた。
(またアレクシス殿下と……?)
(ああもう、「まほこい」のシナリオ通りに進んでる気がする……)
(このお茶会、何とか行かずに済む方法はないの?)
「姉さま、大丈夫ですか?」
突然の声に、フィオナは飛び上がりそうになった。弟のジュリアンが、心配そうな顔で傍らに立っていた。
「あっ、ジュリ! 大丈夫よ、心配しないで」
少し高めの声で答える。
「ただお茶会のお誘いだもの、ちょっとドキドキしちゃっただけよ」
ジュリアンは眉をひそめた。
「姉さま、『ジュリ』って人前で呼ばないでください」
と小声で抗議してから、静かに言葉を添える。
「姉さまがご不快なら、無理にご参加なさらなくても良いのでは」
「そうはいかないんだよ、ジュリアン」
レオナルドが口を挟んだ。
「これは光栄なことなんだ」
フィオナはため息をつきながら、招待状を胸に抱えた。
(どうしよう……こんなの予定外だよ……)
♢♢♢
数日後、フィオナはアマーリエに付き添われ、王宮へと足を踏み入れた。
純白の壁に金の装飾が施された廊下を進むたび、胸の鼓動は早まるばかり。エルディア家の令嬢として完璧な姿勢と微笑みを保ちながらも、内心では無数の不安が渦巻いていた。
「フィオナ、緊張しているの?」
アマーリエが優しく微笑みかける。
「大丈夫です、母さま。王妃様も同席されるのですよね?」
「ええ、王妃様も同席なさるわ。私がついているから、安心して」
(それでも緊張するよ……普通にお茶会をするだけ。王子様とのフラグなんて、私が意識しなければ立たないはず……)
そう自分に言い聞かせながら、フィオナは母と共に優雅な足取りで応接室へと向かった。
王宮の応接室は、豪華な調度品で飾られ、静寂が支配していた。
大きな窓からは庭園の景色が一望でき、その美しさに見とれるフィオナだったが、隣に座るアレクシス王太子の存在が気になって落ち着かない。
「今日も相変わらず変わったやつだな」
アレクシスが少し小馬鹿にしたような笑みを浮かべて言った。
「窓の外をずっと見ているけど、そんなに面白いのか?」
(失礼な人! っていうか、褒めてるの!?)
フィオナは内心でツッコミを入れながらも、表面上は穏やかな笑顔を保つ。
「お庭のお花が美しくて、つい見入ってしまいました」
クラリーチェ王妃は優雅にティーカップを持ち上げ、微笑んだ。
「アレクシスが、貴女の話をよくしているのですよ」
フィオナは固まった。手の中のカップがカタカタと音を立てそうになる。
(えっ、それって展開が逆!?)
(私が一目ぼれする側なのに……アレクシスは、私に興味を持ってるの?)
(まさかこれが、シナリオの強制力だったりしないよね……!?)
「母上!」
アレクシスが眉をひそめ、威厳を取り戻そうとするように顎を上げた。
「余計なことを言わないでいただきたい」
「本当のことよ」
クラリーチェは微笑みながら言った。
「あの変わった光の娘にまた会いたいって、朝から晩まで言っていたのよ」
「そ、そんなことない!」
アレクシスの顔が真っ赤になる。
「ただ、変わってて面白いから、少し気になっただけだ!」
(これって褒め言葉なの?)
フィオナは混乱しながらも、なんとか会話を続けていた。
♢♢♢
お茶会が終わり、フィオナが帰った後。クラリーチェはガイウス王との会話のため、王の私室を訪れていた。
「どうだ? エルディア家の娘は」
ガイウス王が書類から目を上げて、鋭い眼差しで尋ねる。
クラリーチェは優雅に着席し、微笑んだ。
「アレクシスがあれほど興味を持ったのは初めてです」
「そうか」
ガイウスは満足げに頷いた。
「婚約候補として、エルディア家の娘は申し分ない。光属性の持ち主だし、家柄も問題ない」
「ただ、まだ子どもたちは幼いです」
クラリーチェは慎重に言葉を選ぶ。
「表立った発表はせず、まずは交流を深める形で……」
「もちろんだ」
ガイウスは同意した。
「今は“様子見”の段階だ。だが、いずれは……」
彼の表情には、王国の未来を見据える計画が見え隠れしていた。
♢♢♢
エルディア家に戻ったフィオナは、自室でため息をついていた。
そこへ、レオナルドとアマーリエが入ってきた。
「どうだった? 王宮での時間は」
レオナルドが誇らしげに尋ねる。
「……楽しかったです」
フィオナは作り笑いを浮かべて、目を逸らした。
「そうか」
レオナルドは満足げに頷く。
「王家からの信頼が高まっているな。今後の縁談も、見えてくるかもしれない」
フィオナの心臓が一瞬止まったかと思うほど動揺した。
(待って! また勝手に話が進んでる!)
(このままじゃ、自分の未来がどんどん決められてしまう……!)
「ジュリアン、そこに立っていないで入ってきなさい」
アマーリエが扉の隙間に立つジュリアンに声をかけた。
ジュリアンは静かに部屋に入り、フィオナの隣に座った。
「姉さま、お疲れのようですね」
レオナルドが続けた。
「王太子との縁は我が家にとって、そして王国にとっても喜ばしいことだ」
「あなた、お待ちになって。フィオナがどうしたいのか、それが大切よ」
アマーリエがそっと言った。
「母さまは、子どもたちには普通に恋をして幸せになってほしいもの」
フィオナはアマーリエの言葉に、少し安心した。少なくとも母親だけは自分の気持ちを理解してくれそうだ。
「姉さまが困っていらっしゃるなら、僕は――反対します」
ジュリアンが静かに、しかし芯のある声で言った。
レオナルドは驚いたように息子を見る。
「ジュリアン、これは大人の話だ」
「いいえ、父さま」
ジュリアンはまっすぐにレオナルドを見つめた。
「姉さまの幸せが一番大切です」
「あらあら」
アマーリエはくすりと笑った。
「ジュリアンはお姉さま思いね」
フィオナはジュリアンの肩に手を置き、ほんの少し笑顔を見せた。
「ありがとう、ジュリ」
「だから姉さま、『ジュリ』って人前で呼ばないでください」
♢♢♢
夕暮れ時。フィオナは一人で邸宅の敷地内にある薬草園を訪れていた。
夕日に照らされた薬草たちが、金色に輝いている。
フィオナは小さな薬草の葉を優しく撫でながら、考え込んだ。
(せっかく生まれ変わったんだもの。前世ではできなかったこと、今度こそちゃんと形にしたい)
(だから……私は私の道を、自分で決めたい)
空を見上げると、夕焼けが美しく広がっていた。
フィオナが決意を固めていると、後ろから静かな足音が聞こえた。
「姉さま、夕食の時間ですよ」
ジュリアンが立っていた。
「ありがとう」
フィオナは弟に微笑んだ。
「ねえ、ジュリ。私、自分の道は自分で決めるよ」
ジュリアンは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んだ。
「はい、姉さま。僕はいつでも姉さまの味方です」
「もう、ジュリってば……でもありがとう」
フィオナはちょっとだけ視線を逸らして笑った。
その横顔を、夕陽が優しく照らしていた。