光魔法は予定外、婚約は想定外 7
フィオナは馬車から降りた瞬間、目を見開いた。
「……わぁ」
白い石造りの塔が空へと伸び、優美なアーチが連なる回廊が建物を包んでいる。
赤い屋根の尖塔が青空に映え、庭園には色とりどりの花々が咲き誇っていた。
風が花の香りを運び、どこか温かみを感じさせる空気が広がっている。
フィオナはしばらく見とれたまま、ぽつりと呟いた。
「なんだか……前の世界で見たフランスのお城に似てるなぁ……」
名前までは思い出せなかったけれど、その景色はどこか懐かしかった。
「お城、きれいですね!」
隣に立つ父、レオナルド・エルディアは、娘の素直な感嘆に目を細めた。
「初めて見たとき、私もそう思ったよ」
「お父さまはいつ来たの?」
「六歳の頃だったかな。祖父に連れられて、震えながら挨拶したのを覚えている」
フィオナは庭を見渡しながら、ふと目を止めた。
「……あそこ、薬草も育ててるんですね。ヒールポーション用の葉っぱかも」
「よく見ているな。あの一角は、前の王妃が大事にしていた薬草園だ」
「後で見られるかな。ちょっとだけでいいから」
レオナルドは小さく笑い、娘の手を取った。
「まずは挨拶を済ませよう。アレクシス殿下が待っておられる」
二人が歩き出したその時、涼やかな声が風に混じって響いた。
「エルディア卿、ようこそ。そしてフィオナ嬢も」
白銀の髪を揺らしながら現れたのは、クラリーチェ王妃だった。
「あ……!」
フィオナは思わず声を漏らす。まさか王妃自ら迎えに来るとは思っていなかったのだ。
「クラリーチェ王妃」
レオナルドが深く一礼し、フィオナも慌ててスカートを摘んでカーテシーをする。
「はじめまして。フィオナ・エルディアと申します」
「お会いできて嬉しいわ、フィオナ嬢。あなたの光の力のこと、公爵から聞いているわ」
「……はい。まだ少ししか使えませんが」
「薬草にも興味があるそうね?」
「はい。今はヒールポーションや毒消しポーションの材料を勉強中です」
「素敵なことですわ。時間があれば薬草園もご覧になって」
王妃の瞳は優しげでありながら、どこか深くを見透かしているようだった。
「さあどうぞこちらへ、アレクシスが待っていますよ。」
木陰のベンチに、金髪の少年が本を開いて座っていた。日差しに輝くその姿は、まるで物語の一節のようだった。
「アレクシス」
王妃の呼びかけに、少年は顔を上げた。碧眼が静かにフィオナたちを見つめる。
「母上」
彼は本を脇に抱え、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「こちらがエルディア公爵の娘、フィオナ嬢よ」
「お前が、フィオナか」
碧眼の少年――アレクシス・アルセリオンは、堂々とした立ち姿のまま名乗った。
「俺はアレクシス・アルセリオン。よろしく頼む」
「は、はい。フィオナ・エルディアです」
(……あれ? この子、めっちゃ偉そう……いや、実際偉いんだった)
「アレクシス、もっと丁寧にご挨拶を」
「……分かりました。フィオナ嬢、会えて嬉しい」
棒読み気味の追加に、フィオナは思わず唇を引き結んだ。
「では私はエルディア卿と陛下のもとへ。あなた方は、ここでご一緒に」
王妃とレオナルドが去ると、アレクシスは無言でベンチに戻り、本を開いた。
フィオナは少し距離を取りながら、その表紙を覗き込む。
(薬草の本……?)
「それ、薬草の本ですか?」
アレクシスが顔を上げる。
「そうだ。お前も興味があるのか?」
「はい。ヒールポーションの材料とか、少しずつ覚えてます」
「ふん、意外だな。だが悪くない。お前、なかなか見る目がある」
(いやいや、王子が薬草の本読んでる方が意外なのよ!?)
「これは『王国薬草大全』。ムーングロウって草が載ってる。満月の夜しか効かないし、保存をミスればただの葉だ」
「それ、毒消しポーションに使うやつですよね?」
「知ってるのか。……やっぱり見る目あるな」
(だから何でそんなに詳しいのよ、王子……)
「王になるなら、いつ何があっても良いように薬草くらいは把握しておくべきだろ」
(くっ……正論……)
ページをめくったとき、アレクシスが小さく声を上げた。
「……痛っ」
紙の端で指を切ったらしい。
「大丈夫ですか?」
フィオナは即座に身を乗り出し、彼の手にそっと触れた。
「『癒しの光よ、小さき痛みを包み込んで』……"治癒"」
優しい光が灯り、傷口が瞬く間にふさがった。
「……これが、光の魔法……」
「はい。小さな切り傷くらいなら、なんとか」
「すごいな。思ったよりずっと、面白い」
アレクシスの碧眼が、じっとフィオナを見つめる。
「お前の魔法、面白いな。」
「ふん、どこまでやれるのか、俺が見極めてやる」
「え……?」
「だから、また来い。俺が興味を持ったんだ。次も逃がす気はない」
(あれ?ちょっと仲良くなりすぎた……いやいや、私は婚約とか、絶対にムリだから!)
王城を後にした馬車の中。
フィオナは、窓の外をぼんやりと眺めながら、先ほどの言葉を何度も思い返していた。
「楽しかったか?」
「うん。……殿下はすごく賢くて、ちゃんと話を聞いてくれる方でした。でも……あんまり深く関わらない方がいいかも」
「どうしてだ?」
「えっと……ただの感覚、っていうか。ああいう人といると、自分がちゃんと考える前に流されそうで」
「王子殿下に気に入られるのは、むしろ名誉なことだ」
「うん、わかっています。だから今日も、失礼のないように頑張ったし……でも、私は自分の足で歩きたいんです。ちゃんと、自分で考えて、自分で選びたい」
レオナルドは娘の言葉を受け止め、静かに頷いた。
そのころ、王宮の一室では――
クラリーチェは書斎の窓辺に立ち、ゆっくりと口を開いた。
「光の魔法……確かに、あの娘に備わっておりました。アレクシスも、強く関心を示したようです」
「……あの子たちが、何かを変えていくかもしれん」
「ええ。でも、焦らずに見守りましょう。まだ、始まったばかりです」
♢♢♢
王宮の一角にある稽古場では、木剣の激しい打ち合いの音が響いていた。
小柄な少年――カイル・アーディンが、汗をにじませながら父の指導に食らいついている。
騎士団長――カイルの父、コンラッド・アーディンの厳しい声が響く。
「お前の構えはまだ甘い! 剣先が浮いているぞ!」
小柄な少年が、ぐっと歯を食いしばりながら木剣を構える。
「まだまだやれます! 僕、もっと強くなりたいから!」
額に汗を滲ませながら、何度でも立ち上がる。
「フィオナ様を守れる騎士に、絶対なります! だって……一目惚れしちゃったんですから!!」
その声には、恥じらいも迷いもなかった。
ただまっすぐな想いと、未来を信じる意志だけが宿っていた。
ほんの小さな、けれど確かな変化が、
少年の未来を、静かに動かし始めていた。