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第九話 子を成す

 なぜ、子は生まれるのだろう。それが、おそらく『器の儀』にてシピが行うことに直結するのだとは思う。けれど、それがどうして新しい命につながるのか、シピにはよくわからない。これまで疑問に感じたこともない。

 シピはよくよく考えたが、答えが出ない。しかし自分がオネルヴァについて考えていると気取られるのはまずいので、他の『胤』たちへ尋ねることはできない。

 他に方法が思いつかず、書庫で調べることにした。だが、どの書物を手に取ればいいのかもわからない。八方塞がりだ。書架の前で立ち呆けていると、司書が見かねて声をかけて来る。


「一、なにを探しているのだ」

「……わからない。私はなにを読めばいいのだろう?」


 困り果てたシピは思いをそのまま告げる。司書はひとつ息をつくと、シピに卓へ着くよう促し、問いかけた。


「なにを知りたいのだ?」

「……結婚と、その後について」


 シピはいくらか言葉をごまかした。司書は目を見張る。そして事情を理解したと言いたげな表情でシピへと言った。


「そうか、おまえも、ついにそういうことを考えるようになったか」

「それはどういうことだろう?」

「おまえは、とりわけ鷹揚な気質だからな。それもよしと思ってはいたが。おおかた、五に言われたのか? 役の後のことを」


 その通りであったのでシピはうなずく。従者たちにそのように思われていたとは知らず、いささか恥じらいを覚える。そうだ、あと少しで役は終わりだというのに、話を向けられるまで後のことを考えたことがなかった。

 司書は席を立ち、書架へと向かう。そしていくつかの書物を手に取り、シピの前へと持って来る。


「……私は、おまえはタイヴァスに残るのがいいと思うよ。おまえの柔らかな心は、俗世に耐えうると思えない。私の補佐をすればいい」

「それは、まだわからない」

「そう。考えて、決めるといい。なに、五のように還俗を願うとしても、それも自然なこと」


 そう言って笑い、司書は去った。シピは、卓に置かれた書物を眺める。あるものは婚姻制度に関する書物で、もうひとつは世俗の仕事に関するもの。婚姻制度に関するものを手に取った。タイヴァンキや周辺諸国における婚姻についてまとめられた書物で、新しい知識に脳がよろこぶ感覚を覚える。真剣に読み耽っていると、目の前に手をかざされ、シピは驚いてのけぞった。


「なにを読んでいる? 一」

「五か……驚かさないでくれ」

「なに? 『婚姻法と婚姻形態』? なんでこんな小難しいものを読んでいるの?」

「……おまえが結婚について話していたから。私はなにも知らないと思って、学んでいた」

「うん?」


 五は訝しげな表情をしたが、シピをじっと見てふっと笑い、書架へと向かう。そして書物を手にして戻って来る。その薄ら笑いに、シピは少しだけむっとする。


「一、その婚姻法に関する書は、自分で選んだのではないだろう?」

「なぜわかった? 司書殿が見繕ってくれた」

「そうだろうな。侍従たちはおまえをかわいがっているから、手放したくないんだ。こちらを読め。ここではまずい、部屋に持って行け」

「なんだそれは?」


 シピが尋ねる隙さえ作らず、五はシピが読んでいた二冊の書の間へ挟むようにして、新たな書物を抱えた。そして書庫を出ようとする。シピはあわててその背を追う。シピの部屋の前まで来ると、五は満面の笑顔で三冊の書をシピへと押し付ける。


「さあ、学べ。私が選んだ書を熟読しろよ? それは、私も十歳のころに精読した」

「十歳? 子ども向けということか?」

「ある意味そうだし、そうじゃないとも言える。まあ、読め。私が勧めたとは言うなよ。従者たちに怒られる」


 五がシピへとあてがった書物は『生殖と性差の学術的探究』と題するものだ。たしかに手に取ったことがない書のため、勧めに従いシピは自室にて読むことにした。

 そして、夜を徹して読み、大きな衝撃を受けた。


 シピたちが『胤』と呼ばれている理由が――はっきりとわかったのだ。なんと、男女の体液が混ざり合うときに、子ができるという。

 以前、眠っている間に下着を汚してしまったことがある。悩み抜いて従者に相談したとき、それは普通のことなのだと教わった。むしろ大人としての体が整った証拠なのだと。……それが。

 寝不足によらず、めまいがした。


「では……やはり、人が生まれるのだ」


 つぶやいてしまってから、あわてて周囲を見回す。シピの自室ゆえに他にはだれもいない。それに、まだ日も昇ってはいないので、廊下にも人気はない。

 敷布の上へ横になり、天井を見上げる。真っ暗な中、卓上のろうそくの灯りだけが、ちらちらと動く。


 シピは、本当にこれまで物知らずだった。こんなにもなにも知らなかったのか、と痛感する。五は十歳のときにこの書を読んだと言っていた。そのころから、こうした男女の機微を理解していたのだと。

 シピは、考えたこともなかった。結婚について。役が終わる。その先にあるもの。――望めば、自分も子を作ることができるのだという現実。……思いに登ることすらなかった。

 そして、シピたち『胤』がオネルヴァと成す『器の儀』は、人の子を成す行為であると、はっきりと理解した。


 シピは、泣きそうになる。心がざわめく。なにかが崩れる音がする。どうしたらいいのかわからない。ただ、いやだ、いやだ、いやだと心が叫ぶ。

 混乱している。ずっと思い描いているのは白い指先と蒼碧の瞳。オネルヴァ。この半年以上もの間、ずっとシピの心に棲んでいる人。接触はただの二度。けれど、十分過ぎる二度。シピは囚われている。

 じっとしていられず、シピは起き上がり、ろうそくを吹き消した。闇に目が慣れるまでじっと息を殺して部屋の周囲を窺う。だれもいない。タイヴァンキにおいて常のように、素足のままそっと外へ出る。そして――


 走った。足としての最後の役で、訪れた高き場所へと。

 今、オネルヴァが眠る棲家へと。

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