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第八話 怒り

 シピたちが『胤』となってから、すでにいくつかの季節が過ぎた。オネルヴァが初めて『穢れ』をまとった――月経になったのは、春。その際、御布令が発せられた。タイヴァンキに住む人々は、軒先に月の飾りを掲げ、次の姫神子がタイヴァンキを見つけられるようにするようにと。

 御輿を担ぐ日々は、もう終わった。夏が過ぎ、秋を迎える。

 今は『器』として高き場所にいるオネルヴァが穢れをまとった回数は、都度シピたちに伝えられる。今朝、五度目だと伝令があった。


「もう少しだなあ」


 朝餉の席で赤毛の『五』がしみじみとつぶやく。それは席に着いている者、全員の気持ちだ。

 初の『器の穢れ』の後、丸四カ月が経った。しばらくは穢れが安定しないのだという。六度目の『穢れ』を迎えた後、時が満ちたとされ『器の儀』が執り行われる。

 シピは、書庫で読んだ女体に関する記述を思い出す。そこには『月の満ち欠けのように巡るもの』と記されていた。初潮から数年はそれに当てはまらず、不規則な出血であるだろうと。なので、長く見積もっても……二カ月の内だろう。六つ目の穢れは。


 胸の奥からせり上がる焦燥感が、シピの思考を締めつけていく。自分が『一』として、オネルヴァに成すことを考える。

 教えられたときには不思議に思わなかった。相手が姫神子と呼ばれる存在――人ではないと、思い込んでいたから。

 そして、シピが『儀』を成したのちに、今ここにいるすべての者たち――『二』、『三』、『四』、『五』……いずれも強健な男子たちが、代わる代わる『器』に『胤』を注ぐのだ。

 そのために、シピたちはここに存在する。


 なにがそんなに嫌なのか、はっきりとはわからない。ただ、シピの心には言葉にならない怒りがわだかまっている。それは、オネルヴァを『姫神子』と思っていたときには、生じなかった感覚で戸惑う。

 それが――『器の儀』が必然であるとされてきたことに、今は、胸の奥が刃物で何度も突かれるように痛む。


「一? 聞いている?」


 声をかけられてシピははっと顔を上げる。五が深い蒼の瞳をじっとシピへと向けていた。それはいつものように好奇心であふれている。


「一は、役が終わったあと、どうするの?」


 それは、シピにとって思いがけない問いだ。役を終えたら自分はどうなるのか――シピは考えたこともなかった。


「……わからない。実感がないんだ」


 唇をさほど動かさずにシピは答える。自分の声ではないように聞こえる。シピのその言葉に、四が是と答えた。


「なんだか、役が終わるって感覚、私もないよ。もうずっとタイヴァスで生活してきたから……これからどうするって、想像がつかないな」


 それには各々がいくらかうなずいた。シピたちは、ごく幼いころを除いてタイヴァス以外での生活を知らない。

 御輿を担いで街々を歩くことはある。けれど、個人的にそこへ行くことは禁じられている。そのように教育されてきたし、それが当然と思い成長してきた。シピたちは、選ばれた者たちなのだから。――そう、疑問に思いもしなかった。


 タイヴァスの中から、日々タイヴァンキの街を見下ろして来た。そこには人々の息吹と活気があるけれど、タイヴァスの静寂と安寧は存在しない。シピはタイヴァスを愛していたし、その中での生活を感謝こそすれ、外での生活を願ったこともない。

 けれど、違う。シピは今、そう考える。きっと、自分がこれまで自然に受け入れて来たことは、きっとなにかが間違っている。

 オネルヴァが人であると気づいてから――シピはずっと考えている。


 朝餉の汁物の器を取り上げて、それを口に運んだ。塩が利いてはっきりとした味付けだった。それと同じように自分の中の言語化できない部分をはっきりとさせたくて、シピは五へ尋ねた。


「五は、どうするの? 教えて、参考にしたい」

「それはもう! 故郷に帰って結婚するよ!」


 よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに五は声を上げる。シピは突拍子もない言葉を聞いた気分で五を見つめる。結婚――その単語が、場違いな異物のように耳に残る。なぜその言葉が出てくるのだろうか。それは、自分たちに関係することなのだろうか? シピがそう問う前に、二が是と言った。


「私も、故郷に婚約がある。……相手には会ったことがないけれどね。私の故郷では、足を務めた者は幸福をもたらすと言われているんだ」


 シピは驚いてしまい、声が出ない。結婚が、制度としてどんなものなのかは知っている。ひとりの男とひとりの女が、登録をして同じ名を持つのだ。そして同じ家に住む。

 けれど、それが自分と関係のあることだとは、これまで一度たりとも思ったことはなかった。

 胸の奥が、不安とも、興奮ともつかないざわめきに満たされる。


 結婚がなにを意味するのか、シピは正確には理解していなかった。両親のようになることだとは想像がついた。

 二人は仲が良く、母はシピと同じ褐色肌で、父はシピと同じ砂色の髪色をしている。

 遠く離れていても、二人がシピのことを愛してくれているのはわかる。四季折々に体調を気遣う手紙と、シピが好むと想像した食物や書物が届く。幼少期にシピが好きだったらしい白い焼き菓子は、今はいささか幼稚に思えるけれど、それでも手にするとうれしく感じるものだ。あの二人のようになる。それが、結婚だ。それは理解できている。


 五は、その口ぶりから『結婚』をたのしみにしているようだ。

 二は、その口ぶりから『結婚』をあるべきものとして受け入れているようだ。


「……考えたこともなかった」


 シピは、正直にそうつぶやいた。


「まあ、タイヴァスに居たらそうかもしれない。一もきっと、いい女性に巡り会えるよ!」


 五はどこか先輩風を吹かせて言う。


 女性。シピは男性だ。だから結婚するとなれば相手は女性だ。父と母がそうであるように。

 巡り会う。――だれと? 女性という存在が遠すぎて、想像が追いつかない。そもそも、シピの人生において女性とは、年に一度タイヴァスへとシピを訪ねて来てくれる母の他にない。タイヴァスには男性の従者しかおらず、これまで身内以外の女性と口を利いた記憶もない。

 そう、シピにとって女性といえば――


 そう考えているときに、シピの脳裏へ、ふとある光景がよぎった。同じ名を持ち、同じ家に住む。隣には、シピが唯一知る女性の――オネルヴァがいる。


 では、結婚して、そしてどうするのだろう。

 シピは考えに詰まった。


「――二人は、結婚してどうするの?」


 言葉を選べずにそのまま疑問を口にする。五はやはり得意げに言う。二が静かにそれに続く。


「私は、父の仕事を受け継ぐのだ。金細工人をしている」

「私は写字生になろうと思っている。タイヴァスでの教育を、活かしたいから」


 それは、シピには途方もないことだった。三と四も、感嘆したようにため息をつく。

 四が小声で言った。


「私は、このままタイヴァスに残るよ。従者として雇ってもらうつもりだ」

「それも、必要なことだよ。そして、立派なことだ」


 二は深くうなずき、励ますように四へ言った。

 それぞれの顔を見て、三は首を振り驚きの声を上げる。


「みんな、すごいじゃないか! 進路を考えていないのは、一と私だけか!」


 考えていないというよりは、考えるべきと知らなかった。シピの状態はそれだ。

 結婚する、従者になる。そのどちらもシピには遠い選択肢に思える。現実感を伴わない。今、シピの思いの中にあるのはオネルヴァで、自分がどうするかなど考える余地もなかった。

 そして、その日以来、シピは考えるようになったのだ。

 自分がどうするべきかを。


 そして、気付いた。

 ――両親のようになるということは、シピのような子どもが生まれるということだ。

 そして、オネルヴァは『器の儀』を通して、次代の『姫神子』を産み『神の生母』になるのだという。

 人が神を産むことがあるのだろうか。わからない。オネルヴァは神ではない。人だ。ひとりの小さな少女だ。

 人である両親の元に、シピは人として生まれた。

 オネルヴァが産むのも、おそらく人だ。

 であれば――

 シピたち『胤』がオネルヴァと成すことは、人の子を成す儀ではないか、と。


 シピは、自分が『器の儀』へ抱いていた言い知れぬ怒りの元を理解した。そしてこう定義する。

 自分は、人であるオネルヴァが、結婚した者同士がするように子を成す行為をするのが許せないのだ、と。

 けれど、なぜそう感じているのか、シピにはわからない。

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