十四 埋葬
外は、もう雪が降ることもなくなっていた。空は重く沈み、太陽は長く姿を見せない。まるで私たちをわすれ去ったかのように。厚く積もった白が世界を覆い隠し、村を、家を、まるごと封じ込めている。冬の間、この家には客人も訪れず、ただ雪と炎とだけが寄り添ってくれる。
温暖な地域で多くの時間を過ごした私にとって、この極寒は堪え難いものだった。けれど今の自分の境遇には似合いだと思った。ときおり氷片が空を擦り合うような音がし、ほどなく七色の皮衣が天に広がる。娯楽と言えば外に出てそれを眺めるくらいのものだ。
養母が亡くなった後、養父はなにくれと私の世話を焼きたがった。身震いをひとつすると、重ねて着た私の服の上にまた皮をかぶせて来る。私はそれに礼を言う。ただそれだけの生活。
ある日のこと。
外から戻って、私は身震いした。囲炉裏の近くに寄って、取ってきた薪を足す。爆ぜる音。私の息遣い。それだけ。
眠るように、養父は亡くなっていた。椅子に座って、私の肩にかけるための皮を手に握って。
それは、あまりにあっけなく、そして静かなものだった。日常の延長線上にある最期。苦しみすらそこにはない。
「お父さん。お父さん」
何度か、呼びかけてみた。返事はなく、私はその体を、養母の隣に横たえた。
――これで、本当に、私はひとりになったのだ。
不思議と涙は出なかった。養母を看取り、養父を見送った今、哀しみではなく、安堵に近い穏やかさが胸を満たした。ふたりは長く苦しみを重ね、それに耐えることを、まるで当然かのように受け入れていた。ようやく終わったのだ。やっと、眠れたのだ。
炉火の明かりの向こうに横たわる養父母の姿を、ただずっと眺める。その亡骸は物言わずに私へ告げる。
私たちの間にあった長い別離のあと、こうして送ることを、私に許してくれたのだ、と。
翌朝も、その翌日も、世界は白に閉ざされていた。
火を絶やさず、雪を溶かして水をつくり、わずかに残った食料を分ける。やることはそれだけだった。指先は常にかじかみ、炉の炎にかざしても、骨の芯まで冷えが残る。
私に訪れたひとりの時間という虚ろな広がりは、心に薄布をかけるように、じわりじわりと私の中の凝りを溶かして行く。
そう思えるほどに、冬はやさしかった。
夜更けに炉端で片膝を抱えながら、私はふと、三人で過ごした最後の晩を思い出す。養父がうつろな声で養母を呼んだ。養母がかすかにそれに応えた。それだけ。けれど、私にとっては十分すぎる記憶だ。
雪深い冬は、いつ果てるとも知れない。
日々は、音もなく過ぎる。
ある日突然、空の端に光がこぼれる。
長い夜に慣れきった眼にはあまりに眩くて、私は臆してしまう。
家の周りを覆っていた白は、日に日にその厚みを失い、陽の光を吸いこんでは重く沈んでゆく。やがて軒先からしたたり落ちる水音が絶え間なく続くようになったころ、私はようやく、養父母を旅立たせてやれると思った。
ふたりの亡骸は、夜の冷たさに守られていた。布で覆った顔に触れると、わずかに氷の匂いがする。そこにはもはや、死の気配ではなく、ひたすら静かな休息だけがある。
春の陽に背を押されるように、私は村外れの小高い丘を選んだ。畑に使われることのない痩せた土地。けれど森と川を見渡せる場所で、ふたりが生きた家をも臨める。
鍬を振るうごとに、まだ凍りの残る土が固く音を立てた。石に当たるたび、腕に痺れるような反動が走る。湿った黒土の匂いは強烈で、鼻腔に張りつく。額に汗がにじみ、体が熱くなり、ようやく季節がめぐったことを思い知らされる。
まずは養母を。その次に、養父を。皮でくるみ、静かに土の懐へと寝かせた。重なり合う風と汗の匂いが胸に迫る。涙は出なかった。永夜の間、十分に別れを言えたのだと思う。
土をならし、石を積んだ。簡素で、おそらく私の他はだれも目に留めない。墓であることもきっとわからない。それでいいと思えた。
そうして埋葬を終えた数週間後だ。
その日、戸口を叩く音がした。だれひとり訪ねて来ないこの家で、初めて聞く音だった。予感めいたものはなにもなかったが、それでも私は驚くこともなく、その音に応じた。
冬の外套を分厚く着込んだ、マンネだった。記憶の中にある、そのままの笑顔を私へ向ける。だれとも会話をせずに数カ月を過ごした私は、声の出し方をわすれてしまって、彼と同じように身振りで招き入れた。
手渡されたのは手紙。差出人は、ウルスラ。
長く嗅いでいなかった、墨の香り。
その内容はひどく現実的な手触りで、雪の下に埋もれていたなにかを掘り起こすように、静かに胸に落ちていった。
戻って来い、と。
薪の爆ぜる音が、ここで過ごした冬の日々を思い出させる。ふたりの亡骸と過ごした、静謐な時間。
その記憶は、だれにも奪われない。
私はぐるりと、家の中を見回した。
そして、心でつぶやいた。さようなら、お父さん、お母さん、と。




