十三 孝行【挿絵あり】
養父母は、言葉少なに私の帰りをよろこんでくれた。その理由を深く尋ねられることはなかったし、私も多くを語らなかった。私がすでに御輿を担いでいないことはわかりきっていたことで、こうしてキヴィキュラへ来ることになった経緯などを耳に入れて二人を煩わせたいとも思わなかった。
私は、この時節にこうして養父母の元に戻れたことを感謝した。きっかけは決して好ましくないが、老いた両親を世話する機会を持てるのだ。この、なにも持たない私の人生の中で、それはとりわけ幸せなことだろうと思えた。
部屋の壁に、以前私が書いた手紙の写しが貼ってあった。シピが、二人のために大きく書いて貼ってくれたのだという。なめした皮のそれは、下の方が黒ずんでいて、何度も触れられたのだとわかった。
私は、やはりここに来たことは、幸せなことだと思った。
ケシュキタロの家に見知らぬ男が住み着いたことはすぐに村に知れ渡ったし、村長や青年団が訪って誰何もされた。しかし、そもそも私がこの村の生まれであることを告げると、中高年の村人たちから「サッリの子だよ」とささやかれた。それは私の母の名のようだ。一見して、私は母に瓜二つらしい。
私がキヴィキュラに居たのは六歳までで、自分が生まれた際の事情などは知らなかった。幼い記憶を浚うと、いくらか疎まれていたとの手触りがある。その理由もすぐに知れた。新参者への悪意を持って耳打ちして来る親切な者はそれなりにいて、私の母は妻子ある男から手籠めにされて私を産み、首を吊ったのだと聞かされた。そして母の兄である養父が私を引き取り、育ててくれたのだ。
閉鎖的な寒村で、自ら命を絶つ行為はその親族にそしりをもたらす。批難されるべきは、今ものうのうと生きている、私の胤父であるだろうに。
異腹の兄やら妹やらが、ときおり私の顔色を見に来る。そのくせ私がそちらへ視線をやれば、石を投げられた鳥のように散って行く。
夏の間に、一度だけマンネがやって来た。いくらかの物資と、何通かの私宛の手紙。ウルスラからは、そのままキヴィキュラで冬を越すようにとの指示。ヴィエノとイェッセからは、連絡が絶えたがどうしたのか、との問い合わせ。そしてヨウシアからは、タイヴァスにて世話人を務めているはずのカリが、別の場所で目撃されたとの報告。
マンネには、二日逗留してもらった。決して居心地がいいとは言えない環境だが、それでも彼はにこにこと機嫌良く、ささやかなもてなしを受け取ってくれた。それぞれに返信を書き、託す。マンネは、持ってきた物資が村民に奪われないかと気にかけていた。シピとオネルヴァがこちらへ来た際に、そうしたことがあったとウルスラに聞かされたらしい。私は笑った。
「そうなれば全部でもやってしまおう」
マンネは困ったように眉尻を下げた。
様子を窺いに来る者は後を絶たなかった。けれど正面を切って訪ねて来る者はない。マンネが帰るところを見送る私を、多くの者が観察していた。関わり合いになる必要もないので、私は素知らぬふりをした。
私が井戸で水汲みをしているときに、異腹の兄が近づいてきて、声をかけてきた。
「なにを受け取ったんだ」
私はそちらを見もせずに「なんのことを言っているのか」と尋ね返した。男は口の中でもごもごとなにかを言って、去った。
受け入れられてはいない。けれど、排除されているわけでもない。それは私のおぼろげな記憶の中にあるケシュキタロの家そのままで、この村はずっとこのままなのだろう、と思った。
短い夏が過ぎ、秋も走り去り、冬は、あっという間に村を呑み込んだ。
外は毎日のように吹雪き、戸口の前は膝の高さまで雪が積もった。獣道も畑も、なにもかも白に閉ざされ、どこまでも同じ景色が続いている。こうなると村は外界から完全に切り離される。訪ねてくる者もなければ、こちらから出ていくこともない。人々は各々の家にこもり、火と蓄えに頼って春を待つしかなかった。
炉の前で煮込みをかき混ぜながら、養母の咳を耳にした。
細い、息の詰まるような音。かつては大柄で働き者だった彼女の背は、今は布団に沈み込むばかりになっている。夏のころはまだ杖をついて歩けていたのに、秋口から急に足腰が弱ってきていた。最初は茶碗を支えられなくなり、次には炉端に座る時間も減り、やがて布団から顔を出すだけになった。
「お母さん、水を……」
声を掛けると、養母がうっすらと目を開けた。
皺の深い顔は、浅黒いのにそれとわかるほどに青ざめている。唇は乾いてひび割れ、指先は氷のように冷たかった。
「ラウリかい」
目も、以前ほど見えなくなっているようだった。春先に私を見たときは、すぐにそれとわかってくれたのに、今となっては声を聞いてもそうして尋ねるのだ。ここには、私と養父母しかいないのに。
養母は、確かめるように私の名を呼ぶ。私は返事をする。私にできる孝行などその程度で、意識がはっきりとしているときに、彼女は私に何度も謝罪する。すまない、すまない、と。
「なにを言ってるんです。私が帰って来たのは、お父さんとお母さんを世話するためですよ。なにもすまないことなんてないです」
それを聞くと、養父も、部屋の隅で軽く咳をした。
何度も同じ言葉を告げて、私自身もそうではないかと思い始める。私は、きっとこの二人を看取るために戻ったのだ、と。閉ざされた空間。ただ生き存えるだけの生活。三十年以上の間、二人はこうして肩を寄せ合ってやり過ごして来たのだ。
私の存在がそこにあるのがわかると、養母はわずかに笑い、細い腕を伸ばそうとする。けれどその腕は力尽きるように布団へ落ちる。
その手を取り、掌を擦り合わせる。昔、冷え切った小さな自分の指を、この人がこうして温めてくれたのを思い出す。
「冬を越せんかもなぁ」
か細い声でつぶやかれ、私はなんと返していいかわからなかった。
否定したい気持ちはあったが、養母の目は静かに現実を受け入れている。もちろん、養父も。だからこそ、うわべの慰めは余計に残酷と思える。
代わりに布団を直し、毛皮をもう一枚かけてやる。炉の火の暖かさが、せめて少しでも届くようにと。
夜になると風が家を揺らし、屋根に積もった雪がときどきどさりと落ちる。その音に、寝床の中の養母は身じろぎした。
ある朝。
養母は、目覚めなかった。
「お母さん、朝ですよ」
私が呼びかけるのを聞きながら、養父は静けさにむせるように、こんこんと咳をした。
春になったら埋葬できるように、私は養母を毛皮で包んだ。




