十二 帰郷
常冬と呼ばれる山への道は、春を迎えていてもいくらかぬかるんでいた。鉱山の黒煙でくすんだ空気にも慣れてしまった身には、あまりに澄んだ風が肌を切るように冷たく感じられる。けれど胸の奥までは、不思議と凍えなかった。
三十二年ぶりの、帰郷――。そう心の中で言葉にしてみても、実感はまだ薄い。ただ、村の名を口にすると、胸の奥で幼い日の景色がうごめくのを感じる。
ファンニの暴走の後、ウルスラが私に下した沙汰はこうだった。
「ラウリ、あんた、ほとぼりが冷めるまで隠れていなよ」
それは、私の名誉を回復するものでは決してなく、むしろ中傷を肯定したことになる。しかし否やはなかった。私は、彼女の決定に口を挟むことができる身分ではないのだ。
ファンニがその後、どうなったのかは知らない。私にはなにも知らされなかった。すぐに空の馬車に放り込まれ、出立する。六歳まで過ごした生まれ故郷、キヴィキュラへ行くために。
身を隠すにはちょうどいい、多くの場合わすれられている村だ。馬車の手綱を引くのは唖者のマンネという男だった。
当然会話はない。道中二度ほど野宿をした間に意思の疎通はできて、彼が私の娘のオネルヴァと、今は囚われの身となっているシピについて知っていることがわかった。私の質問へ身振り手振りで答えてくれる。おそらく、一時期あの子たちを世話してくれたのだ。そして私までも世話になることへ、おかしみを感じる。
あの子たちがどのようにしていたのか、私は言葉を単純にして尋ねた。はいかいいえで答えられる質問でなければ、マンネは私に伝える術がないからだ。筆記用具の類も持って来なかった。それでも、ときおり小枝で地面に書き込みなどをして、彼の目から見えた二人の話をしてくれた。二人ともとてもかわいかった、と、父のような気持ちで接してくれていたようだ。私がていねいに礼を言うと、マンネはにこにことうなずいた。
村を目の前に、いくらか離れたところに馬車を停める。余所者がそのまま乗り込めば、それなりの騒動になるからだ。その場所でマンネに別れを告げると、どこか不安そうな表情で彼は私を見送った。次にまた彼と会えるのは、ウルスラからの許しが出たときだ。
かつてよりも小さくなったように見える村の入口柵を前に、私は思わず立ち止まる。雪解けの匂いが濃く漂っている。この地域でしか聞けない野鳥の声がする。木肌の荒い朽ちた門柱がぽつんと残っている。
子どものころには、この柵が果てしなく高く思えたものだ。自分と外の世界を隔てさせるそれを、今は一歩でまたげる。時間の重みが、身体ではなく記憶を縮めてしまったように手元にやってくる。
人影は見えない。村人は畑か森へ出ているのだろうか。ところどころ草葺き屋根の家が連なっている。どれも色褪せ苔むしているが、形は昔のままだ。胸がひどく締めつけられた。
憶えている。村の外れ。作業場を併設した長屋の家。自然と足はそちらへ向く。土の道を踏みしめるたびに、自重で足が沈み込む感覚を覚える。こんなことは記憶になかったので、私もいくらかは大人になったということなのだろう。
私はこの村を、幼いころに『終わりの場所』だとぼんやり思っていた。なぜなら、多くの村人が外を知らずに村の中で過ごし、一生を終えるからだ。そのようなものだと思っていた。
なので、それから考えると私はとても恵まれているのだろう。養父母たちは、なぜか私に負い目を感じていて、あるとき加工した革製品を売る小旅行に連れ出してくれた。それはサルキヤルヴィで行われるケッキという大きな祭り。私にとって、あまりにも思い出深い、祭り。
私はそのときにタイヴァスから見出され、多くの年月御輿を担いだ。
どこかからやって来た村の子どもたちが目ざとく私を発見し、何人かが物珍しげに着いてきた。しかし私の目的地がキヴィキュラの中でも評判の悪い皮なめし工の家だとわかると、なにか歓声のようなものをあげて散って行った。
家の前で立ち止まる。傾いた板壁と、歪んだ窓枠。何度も出入りした玄関口。記憶のままだ。泣きたいような、笑いたいような気持ちになる。私は、帰って来たのだ。
戸口前へ立つ前に、私は深く息をついた。
養父母たちは、もう老いている。自分の顔を見ても、すぐには気づかないかもしれない。いや、気づいてほしくない気持ちもある。私はずいぶんと――煤けてしまったから。
だが、私の逡巡をあざ笑うかのように、戸口の内で人の気配が動いた。
そして扉が軋む音とともに、老いた女の顔が現れる。白髪を布で覆い、細い肩を丸めた姿。腰も曲がって、足を引きずっている。それでもすぐにわかった。養母だ。
もちろんすぐに見咎められる。皺に埋もれた瞳が見開かれる。
そして私は名を呼ばれた。幼いころと同じ、しわがれた声で。
「ラウリかい」
胸の奥に、鈍い痛みが走った。
私はただ無言で、深く頭を垂れた。




