十 息災
「いやあ、旦那。粗暴犯はいないとはいえ、囚人なんですわ。喧嘩っ早い坑夫ならいざ知らず、旦那のような方をおいそれと近くには連れて行けません」
事務職員のその言葉に、私が大いに落胆したのは言うまでもない。しかし、そうは悟られぬように私は「そうですか」とつぶやくに留めた。そしてごまかすように壁際の鳥へ目をやる。
「話には聞きますが、本当に小鳥を用いるのですね」
「ええ、こいつらの敏感さがなければ、おれらはひとたまりもないです。本当にコテッと倒れるんですよ。そしたらすぐに引き返すんです」
「そうなのか。見てみたいですね。そちらもだめですか?」
なにか目に見える成果がほしくて、私はそう述べた。男性は「うん?」と一度首をひねったが、贈り物を運んできた私を無下にはできないからか、すぐに「まあ、いいでしょう。ちょうど使わなくなった坑がそこにありますんで」と鳥かごと手提げ灯燭を手に取る。私は礼を述べてその背に従った。
奥に進めば進むほど、闇は深い。それに連れて行かれた坑はゆっくりと傾斜になっており、地下へと潜るものだ。男性の持つ足元を照らす光だけが頼りだ。坑道内はどこでも遠くの作業音が響き渡っていたものだが、こうして使われていない道を行けばそれも遠くなる。小鳥が小さくチピピピ、と鳴いているのがよく聞こえる。やがて、そろそろと空気が変わるのを私も感じた。あきらかな異臭。それに、重々しい肌触り。胸の奥がかすかに焼けつくようで、呼吸のたびに舌の根に金属めいた味が残った。
それと同時に男性は「まあ、見ていてください」とつぶやき、鳥かごを足元に置いて灯りをかざした。
数秒後、鳴いていた黄色い小鳥は、とまり木からぽとり、と落ちた。私は、寒くもないのにぞわりと肌が泡立った。
得たものと言えば、それだけだ。私はその後、男性と穏便な会話をいくらかして鉱山を立ち去る他なかった。けれど、定期的にこうして贈り物を届けることは約束した。今回はウルスラ名義だったが、私個人もなにかしたい、と申し出たのだ。もちろん諸手を上げて歓迎の姿勢だった。よって、次からは、自分で来ることができる。
私は定期的に鉱山へ足を運ぶようになった。荷馬車に食料や道具を積み、自分で手綱を取って。
私はシニサマランの移動商隊に随伴しなければならない。ウルスラの手足としての働きを、そこで見込まれているのだから。なので、そもそも鉱山町のウスヴァカッリオに向かうどころか、その近くのヴィエノが住む大都市ラウタニエミに来ることも年に何度かあるだけだ。その、何度か。それが、私に与えられた機会。
なぜそこまでするのか、と問われれば、当然シピの身を案じてのことだ。そして、ともに居たはずの私の娘オネルヴァと離れ、なぜ彼がタイヴァスに戻ったのかを尋ねたい。何度か通えばその機会も訪れるかもしれない。それを願っている。
本格的な冬が到来し、積雪量が多い地域への移動を控えるようになったころ。
ヴィエノから親書が届き、鉱山の監督役にあたる人物を紹介してもらった。以前彼が述べていたように、学術研究の側面から鉱山への見学を申し込んだらしい。日時を調整するので、私にもその見学会に参加するよう促すものだ。なんだかんだとヴィエノはやはり、シピのことを一番気にかけている。
当然私はウルスラへ、その計画について述べた。しかし、時が悪かった。
「あたしも行きたい!」
そこに居るのも気づいていなかった。物陰に潜んで私とウルスラの会話を盗み聴いていたファンニが飛び出して来て、そう言った。思わず私は眉根に力を入れてしまったし、ウルスラもファンニを見て肩をすくめた。
「行ってどうすんだい。小難しい話をする学者さんの足をひっかけて、転ばせてくるつもりかい」
「ラウリが行くなら、あたしも! 行く!」
言い出したら聞きはしない。伸びるまま自由に育てられているファンニには恐れがなく、母であるウルスラの顔色を窺って行動しはするが、それとてなにか制限となるわけではない。父のヤルノがやって来て、状況を把握し叱りつけた。それでも折れず、最後まで着いてくると強情に言い張り泣き喚いていたが、サルキヤルヴィへ向かう隊にヤルノとともに移動した。私がほっとしたのは言うまでもない。
ヴィエノといくらかの親書のやり取りをし、日時を定めた。鉱山の持ち主からも許可を得られ、小規模だがしっかりとした調査団になり驚く。名目は鉱床探査の手法の再考と鉱害防止手法の成果の実地調査だ。なぜそこに私が加わるのだ、とも思えるが、以前からシニサマランの職員として足を運んでいたため、特別疑問には思われなかったようだ。
予定日の午前、私は少し早めにウスヴァカッリオへ到着し、検疫を通る。そして顔なじみになった事務職員の男性へとあいさつをした。調査団もすぐに到着し、ヴィエノは私の姿を見て黙礼した。
「冬の間、試しに山の側面を掘らせてます。従来の鉱床探査でやっています。もしもっと効率のいいやり方があるならば、ぜひとも開発して教えてほしいですね」
現場監督は、心底の本音をにじませた言葉で私たちを案内した。坑道へは入らず、鉱山の外縁へ。遠くの谷あいに、鉄柵で囲われた作業場が見える。灰色の岩肌に黒い影の列が連なり、つるはしを振り下ろし、荷車を押している人々が小さく見えた。一見でわかった。――囚人たちだ。
遠目にもわかる。彼らは一様に粗末な麻布をまとい、鉄の枷を足につけていた。風雨に打たれ、煤にまみれている。
その様子を見て、いつぞや坑に潜ったときの小鳥を思い出した。声なく落ちた、あの姿を。
目を凝らしてもシピの姿は見つからなかった。胸がざわめく。彼がどの範囲で動いているか、どんな作業に従事しているかを把握したいと気持ちが焦る。
ヴィエノも、おそらく私と似たような気持ちを抱いているのだろう。強い視線は、それらの作業者たちをじっと見据えている。
監督は「労役者に直接近づくことはしないでください」と念を押した。
鉱石を砕く音。荷車の軋む音。怒鳴り声。
どの背中も似て見えた。囚人たちは煤と汗に塗れて、個を失った群れのようだった。それでも私は、目を凝らしてひとりを探し続けた。
「坑内水と坑道近傍の地下水を採取したいのですが」
ヴィエノが今回の計画に巻き込んだ地化学の専門家が、本当の調査のために監督へと述べた。私にしてみれば、よくここまで体裁を整えてくれたものだ、とヴィエノの手腕に舌を巻く。タイヴァスにいたころの『三』の面影はもはや少しで、立派な大人の男になったと彼について思う。それがうれしくあり淋しくもあった。
「そうですか。少し降りますが、いいですか」
監督がそう述べて、私たちはその背に続く。作業現場に下った。囚人たちと同じ目の高さの場所まで。もちろん、だれひとりとして囚人たちの元へ走って行こうなど考えず、案内されるままに安全な道を歩く。
地化学の男性が水を分析している間、私はずっと囚人たちを見ていた。ひとりひとり。シピは褐色肌なのでわかりやすいのではと思ったが、だれも彼もが汚れていて、そのゆえに判別が難しかった。
ふと、ひとりと鉄柵越しに目が合った。それだけで、確信した。
声をかけることは許されない。柵に近づくことも見咎められたらまずいだろう。私は平静を装い、なにもなかったように振る舞う。だが、必ず隙を見つけ、言葉を交わさねばならない。ヴィエノを見ると、私と同じように囚人たちを凝視していた。私は彼の腕に触れ、見つけたことを暗に示した。ヴィエノはうなずいた。
そして。天が、私たちの味方についた。
雨が降り出したのだ。
作業が打ち切られて行く。長雨になれば足元が悪くなり、掘り進んでいるために土石流の可能性もある。ここまで案内してくれた現場監督は「まずいですね、上がりましょう」と言って、水質検査中の男性を急き立てた。雨が肌を冷たく叩く。土が泡立つ匂い。柵の中から囚人たちが統率の取れた列をなして出てくる。そして私たちとすれ違い通り過ぎて行く。シピは、それの最後尾に着いた。
私は、囚人につられて外に出るような振る舞いをした。ヴィエノも私に続く。私は、少しゆっくりと歩いているシピの背中に声をかけた。
「息災か」
思えば、なかなか間の抜けた問いだ。笑うような気配があって、短く髪を刈られたシピの後頭部がうなずく。
「こんな姿で会うことになるとは。義父上」
多くの踏みしめる足音で掻き消えそうな声が返って来る。私は「どうして、ここに」と短く尋ねた。やはり短く「私だけ、あちらへ行けなかった」との声。
「あの子は」
「今ごろ、母だ」
呼吸が止まった。私は「えっ?」と声をあげた。
私は思わず問い質そうとしてしまった。ヴィエノが私の背中を押して無言で警告する。大粒の雨が降ってくる。坂道に造られた消え入りそうな土階段を踏みしめて登る。シピの背中を見ながら。
「男の子であれば、ヴァロ。女の子であれば、トイヴァだ」
その声は雨に押されて、きっと私の耳にだけ届いた。シピは列に遅れないよう、足を早めて去った。




