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神を担いて、あなたを乞う  作者: つこさん。
この手にある幸せ

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八 言葉

 ヴィエノとともに言葉なくウスヴァカッリオを去った。昼前にはラウタニエミに戻れたが、炭鉱町の埃っぽい空気が、まだ肺に残っている。

 目の奥には、護送馬車から降ろされたあの影――声ひとつ発さなかった煤けて痩せたシピの姿が、焼きついていた。

 生きている。

 それだけが、確かだ。


 その夜、ウルスラの許を離れるとすぐ、私は机に向かいヨウシアとイェッセに短い文を書いた。皆に知らせようというのはヴィエノと話し合った結果だ。タイヴァスから直接の回答をもらうことはできなかったが、公示の通りシピは囚人として労働刑に就けられている。それがわかったのは、この状況では重畳と言える。

 手紙の言葉は削ぎ落とした。鉱山にて強制労働、と。それ以外は余計な想像を煽るだけだと思う。

 この知らせを喜ぶ者など、きっとひとりもいない。だが、知らされぬまま時を過ごさせるのは、もっと酷い。


 カリにも同じ文を送った。郵便ではなく、使者を立てて。

 だが返事は来なかった。いや、受け取りすらもされなかった。何度送っても、沈黙だけが返ってくる。

 タイヴァスにいるはずの彼が応じない理由は、いくつも考えられた。任務で外にいるのかもしれない。病に伏せているのかもしれない。

 ――あるいは、私のように、追われ、居場所を失ったのかもしれない。

 その考えに、背筋が冷たくなる。もしそうなら、もう連絡の手立てはない。


 シピは生きている。

 だが、それだけだ。

 あとは、何もわからない。


 私たちは皆、それぞれの場所で、同じ沈黙を抱えたまま冬を越すことになるのだろう。

 最初に返事をよこしたのはヨウシアだった。


 『生きていたか』


 そうひとこと、太い筆跡で書かれていた。

 安堵とも、驚きともつかぬ言葉。けれど、それ以上のことは何もない。ヨウシアらしい――余計なことを問えば、返事はなく己の胸が潰れるものだと、よく知っているのだ。


 イェッセの手紙は、二日後に届いた。

 長い。長尺の巻物で、鉱山の労働条件の噂、逃亡者の末路、タイヴァスの監視が及ぶ範囲などが連ねてあり――そして、すべてが伝聞にすぎないと念押ししてある。

 最後に『行く』とだけ書かれていた。

 どこへ、とは書かれていなかったが、私には伝わった。ラウタニエミだ。こちらに来るということだ。


 ヴィエノから使いが来たのは四日後。イェッセが来た、という。平野部にあるタフティヴォーリという名の街に住むイェッセは、奥方が身重であるはずだし、それに片道の移動だけでも数日かかる。よって多くの犠牲が払われて取る物もとりあえずやって来たのだろうと思えた。それだけ、彼にとってシピの話題は重要なのだ。


 何度も訪れているヴィエノの家は、独身者のための二階建ての長屋だ。集合玄関の扉を叩くと、もう勝手知った様子で中に通される。霜を踏んだ靴の底を入口の敷物で拭って上がる。招じ入れられたヴィエノの部屋の中は、外気を忘れるほど暖かく、代わりに重たい沈黙が漂っていた。金属の薬缶から立ちのぼる湯気が、外から持ち込まれた冷気をゆっくり押し返していく。

 イェッセは、旅装を解いて煙草をふかしていた。前に本人が、気を紛らわしたいときにどうしても吸ってしまうのだ、と言っていた。私と目が合うと、すっと黙礼する。


 集まりながらも、話すべきことはない。なぜなら、私たちは現状を変える術も力も持たないからだ。ただ、拭いようのない不安とじっとしていられない焦燥がそこにある。暖炉の上で湯が温まる音と金属と煙草の匂いだけが、話の代わりに部屋を満たしている。


「……タイヴァスの、あの公示の通りということだな」


 ヴィエノがそうつぶやいた。私も、イェッセもうなずく。


 私は、ただの事実として「鉱山の囚人労働者に加えられてる。生きてはいる」と述べた。言い終えた後、胸に虚しさが広がる。

 その言葉の先は、灰皿に押しつぶされた煙草のように途切れた。


「こっちでできることは……」

「ないさ」


 イェッセがあげた声にヴィエノが被せる。短く、きっぱりと。イェッセの肩がわずかに落ちる。


 私たちの間にまた沈黙が落ちた。外の風が、まるでこの部屋を訪うように窓を叩く。沈黙の時間を数えているようにも思える。

 ヴィエノはもう湯気が立たない茶の入ったを器を見下ろし、イェッセは視線を小さな炉の火に落とした。

 残っているのは、無力をかみしめる時間だけだった。私たちは、なにもできない。


 なので、私が自分の口から出した言葉は、ある意味私のものではなかった。私は自分の無力を知っていたし、立場を弁えてもいる。思いついたのでもない、考えていたわけでもない、本当に降ってきた言葉だ。


「シニサマランなら、炭鉱労働者への物資を運んで行くこともあろう。私は、それに紛れて潜ってみよう」


 ヴィエノとイェッセの視線が集まる。風が四度ノックした後、ヴィエノは「正気ですか、ラウリ」と口元を動かさずに言った。私は「悪い考えではないと思う」と言った。


「賢い思いつきでもないですね」

「でも、もしラウリさんが行けるなら、こんな風にただ集まって虚しくなるより、ずっといい。状況が見えないのは辛い」


 イェッセが本音を吐露した。それには、ヴィエノはあいまいにうなずいた。

 なにができるわけでもない。けれど、なにかをしたい。それは、シピが囚人になったことは当然と考えているヴィエノでさえも同じ気持ちのようだった。私たちは、知りたいのだ。彼が――シピがなんの咎で裁かれ、どうしてそうなったのかを。

 とりわけ、私は。ずっと、あの子のことを思っている。


 雪が積もらないラウタニエミでも、寒さが募る。鉱山の中はどんな環境で、シピはどんな苦難を耐え忍んでいるのだろうと考えながら、私は「なんて言い訳しようかな」と諳んじていた。なにもかも把握し、わかっているウルスラへ。

 ヴィエノは不思議そうな顔で私を見た。

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