表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神を担いて、あなたを乞う  作者: つこさん。
この手にある幸せ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

62/81

七 坑口

 襟元を締めても冷気が忍び込み、吐いた息はいくらか白くなる。ラウタニエミは炭鉱町ウスヴァカッリオから一番近い大きな都市で、坑夫たちは数カ月潜り、数週間の休みに街へ降りるのが常だ。それが多くの場合の坑夫の働き方だった。よって休暇中の者が入れ替わり立ち替わりこの街を訪れる。そのうちの煙草をふかしていた若い男が、その発言の主だとすぐにわかった。


「新しい坑道を掘るんだと。囚人をひとまとめにして運んで来て、タダ働きさせるらしい」

「まあなあ、今んとこも、掘り尽くした感あるもんな」


 煤けた外套の襟を立て、口から白い息を吐きながら、坑夫は煙草を横くわえにしていた。声は酒と炭塵でしゃがれ、笑いながらもどこか掠れている。

 ただの酒の席の話にしては、やけに具体的だった。おおよその日時も把握できたので、おそらく現場では決定事項なのだろう。

 ヴィエノはそばだてた耳をそのままに、私をじっと見て、言った。


「――その中に……シピがいるって言いたい?」

「なにも言っていないが。ただ……そうかもしれないと考えてしまう」


 ヴィエノは視線を逸らし、卓の端を指で叩いた。指の節が木目を押しつけるように動く。心をなだめるようなその仕草は、彼の動揺を私へと伝える。店内の隅で、火の落ちかけた炉の中で小さく炭のはぜる音が響いた。


「私は……あいつを突き出したことを間違いだったとは思わない。そうするしかなかった。でも……」


 言葉が途切れた。残りは傾けた酒の盃とともに、彼の喉の奥へ沈んでいった。


 ウスヴァカッリオへの出立の許可をウルスラに願い出たとき、彼女は私の顔を探るように見た。それは短すぎて目の錯覚のようにも思えたが、あれは――知っていたのかもしれない。そこに、シピがいると。


「行ってくるといい。炭鉱町までなら」


 やけにあっさりとした承諾だった。


 馬車を借りて、深夜、ヴィエノとともに乗り込んだ。私ひとりでも行くつもりだったが、私が出立するころにやって来て「年休あるから、仕事休んだ」と言い訳のように彼は言った。ふたりで御者席に乗って、言葉もなく馬を走らせる。

 

 馬の鼻先から立ちのぼる湯気が、夜気にすぐ溶けた。少しだけ霜の降りた道を蹄が叩くたび、乾いた音が闇に響く。空が東から薄鼠色に変わるころ、民家の低い煙突の群が黒い影絵のように浮かび上がってきた。

 炭鉱町の朝は、煤と鉄と汗の匂いで肺がざらつくようだ。人々はまだ寝静まっていて、民家のひとつの煙突から黒々と煙が立ち昇る他は、生気がなかった。

 護送馬車が通るであろう大通りの脇に、目立たぬように馬車を停車し、私はヴィエノへ「予定時刻まではまだあるから、少し眠るがいい」と促した。彼はうなずき、馬車の幌の中へ移動した。

 私の目は冴え冴えとしていて……とても眠れそうにはない。

 やがて町全体も眠りから覚めてきた。そこかしらから生活音が響き始め、井戸へ今日一日分の水を汲みに行く女性たちが、瓶を頭に乗せて一方向へ歩いていく。しばらくしてから、とうもろこしを燻したような香りがただよい始めた。それに釣られたのか、ヴィエノも起き上がって来る。私は持ってきた手荷物から堅焼きの黒パンを取り出して、ヴィエノへ差し出した。

 私もヴィエノも、妙に気持ちが昂ぶって、どうにも口数が少なかった。ぽつり、ぽつりと、思いついたことを述べるが、会話が続かない。互いに心ここにあらずで、そう気づいていてもどうにもならなかった。


 やがて――男たちが、坑の中へと消えたころ。それはやってきた。車輪の軋む音、馬の蹄が硬い地面を叩く鈍い響き。

 視界に入ったそれは、ただの馬車とは見てくれが異なっていた。物々しく、幌の内側はきっと逃走防止のための格子が組まれている。馬に乗り武装した男性が四人ほど並走している。町の空気がわずかに引き締まる。扉の陰から老婆が外を確認し、すぐに引っ込む。抱き上げられた子どもが泣きそうな声を上げ、母親は肩越しに後ろを振り返りながら家の中へ消えた。

 私たちの横をすり抜けて、それは町の奥へと走って行く。

 私は、自分たちの馬車をそのままに、その背を追って走った。声なくヴィエノも続いて来る。


 そして、私たちが息を殺して物陰から見守る中、護送馬車の中から囚人たちは一人ずつ足場に降ろされる。粗末な服、刈り揃えられた頭。両手を固定している板の枷。両足を結びつける鎖。

 私も、ヴィエノも――目はその中のひとりに吸い寄せられた。

 列の中から、ふと視線がこちらを掠めた――目が合った――そう思った瞬間には、彼はもう列の中の一人に戻っていた。

 褐色肌の体躯は痩せ細り、髪を刈り、けれど髭は伸びたままで土埃にまみれた顔。だが、顎の形も、眉の消えない剃り込みも、見間違えようがなかった。

 シピだ。

 とっさに呼びかけようとした息が、喉の奥で留まった。

 囚人たちは、護送員たちの指示に従い、坑へと入っていく。


 ヴィエノは、拳を固く握ったまま立ち尽くしていた。

 なにか言おうとしたが、言葉は互いに見つからなかった。肺の奥まで煤の匂いが染みつき、息をしても胸が重い。足は地面に根を下ろしたように動かず、私はただ、シピを中に隠した暗い坑口を、じっと見つめていた。

 坑口は息をひそめたまま、飲み込んだ闇を返さない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
お父さんはこんなにもシピとオネルヴァを案じて、必死に消息を探してくれていたんですね。ふたりを逃がすために名誉も財も、己の身さえも擲ってくれたのに。…オネルヴァのお母さんに当たる巫女姫さまに対しても愛し…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ