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神を担いて、あなたを乞う  作者: つこさん。
この手にある幸せ

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五 布告

 数日後、私は三人から書状を預かって、タイヴァスへ向かっていた。もちろんウルスラの先導の元に。

 ウルスラはときおりタイヴァスへ寄進をしている。私が世話人として内部にあったときは、寄進を受け取る私の役が巡って来たときに合わせ、彼女もやって来ていた。なのでそれは月に一度程度だっただろうか。

 しかし私はすでに彼女の手中にある。現在、彼女自身がタイヴァスへ足を運ぶことはもう稀だ。それでも、シニサマラン商会からの寄進ともなれば、タイヴァスの側が動く。

 ウルスラが連絡をすると、すぐさま使者が歓待の報せを持ち帰った。

 私は、この度はウルスラの名代として、タイヴァスへと赴く。

 その日、寄進を受け取るのは、私が『四』と呼んでいた青年。今は私の後任となり『世話人』と呼ばれている――カリ・サミ・ライネだ。


 ――あの夜、集まった他の者たち、『二』イェッセ、『三』ヴィエノ、そして『五』ヨウシアの議論は紛糾した。夜通し語り明かしても結論は出ず、よって、私は述べた。


「私にとって――おまえたちは我が子のようだった」


 そう切り出したとき、三人とも押し黙って私を見た。ヨウシアが、小さな声で「私らにとっても、あなたは父のようだった。実の親よりも」と言ってくれる。私はうれしくてほほ笑む。


「――シピも、そのひとりなのだよ。わかってくれるだろうか。……せめて、なにがあったかを、知りたい」


 しばらくの沈黙の後、現在は写字生でもあるイェッセが掠れた声で言った。


「タイヴァスへ……公開質問状を書こう。私たちの、連名で」


 ヨウシアは……そしてヴィエノも。ゆっくりとうなずいた。


 ラウタニエミから、タイヴァスのあるタイヴァンキは馬車で四日ほどかかる目算だった。けれど悠長なことは言っておられず、私はウルスラが走らせる単騎にともに乗って走った。

 馬に乗るなど、初めての経験だ。私よりも小さな体にしがみつき、早駆けの衝撃をどうにかやり過ごす。頭がくらくらとする。途中で馬を三度替えて、二日後に私たちはタイヴァンキ――正式名称をタイヴァーン・カゥプンキという、この国の中枢都市へと入ったのだ。


 ざわざわと、人の気配が色濃い日中にタイヴァンキを歩く経験は私にはそれほどない。それは私にとって御輿を担って歩く場所であった。人々は静かに、それを見守るのだ。それが、よく知るタイヴァンキだ。

 ウルスラがいなければ、自分はなにもできないと思う。知識ばかりを蓄えていて、その引き出し方や用い方を知らない。タイヴァスへ入る手続きひとつ、自分ではどうにもならないのだ。シニサマランの拠点でたくさんの品々を馬車へと詰め込みながら、己の無力さを実感する。

 慣れた手つきで、ウルスラは手綱を取った。私はそれに感謝の言葉を述べた。


 タイヴァスの正面からゆっくりと馬車は中へ入っていく。私は、巻き布を頭からかぶり顔を隠している。石畳を踏む音がひときわ高く響く。いくらかの検査を通過し、寄進物の搬入口へと向かう。ウルスラは、中庭に留まった。

 馴染み深い場所。三十年と少しをここで過ごした。私に人並みの生き方などわからなかったが、それでも人としての苦楽を知ったのはこの中でだった。ほんの数年前まで私が立っていた場所に、見知った姿があった。


 癖のある黒髪を後ろで軽く結わえ、簡素な白衣に肩章ひとつ――それは、かつて私が世話をした少年、カリ・サミ・ライネであった。もう少年と呼ぶには背も伸び、顔立ちも幼さが取れていたが、やはりその瞳にはあのころと変わらず真っ直ぐな翠が宿っている。

 彼が「お疲れ様です。寄進物の点検をいたします」とにこやかに述べたとき、周囲に誰もいないことを確かめた上で、私は巻き布を顔から取った。

 カリは、息を呑んだ。


「……世話人殿」


 いくつかの沈黙の後、私のかつての呼称を、少しだけ警戒のにじむ声音で呼ぶ。


「……元気そうだな、四。立派に役を果たしているようだ」


 カリの眉がわずかにひそめられたのは、今の私の立場を思ってのことだろう。タイヴァスの外には、私が放逐された事実は知れていない。けれど、中ならば。まして、彼は私の後任だ。そして、戸惑い。なぜ私が、タイヴァスの中へ入るという危険を犯して彼の前に立っているのか、まるでわからないだろうから。


「世話人殿こそ……ずいぶん、遠くまで」


 それは、私が移動した距離を想像して言うのか――私が置かれた立場を言うのか。

 私はあいまいにうなずいてカリを見た。もしかしたら、彼は私の娘のこと……『姫神子』であったオネルヴァについても、把握しているのだろうか。――あの子は、シピとともに落ち延びたのだ、と。

 ……それはないように思えた。彼は、まだ若く、そしてとりわけタイヴァスに心を寄せていた青年だ。中枢が、知らせるわけがないだろうと思う。


「おまえに、渡したいものがあるのだ」


 私は懐から巻かれた羊皮紙を取り出し、ゆっくりと差し出した。カリは手を伸ばすことなく、それを睨んだ。


「……これは?」

「質問状だ。ヴィエノ、イェッセ、ヨウシアの三人が連名で記した。シピの件で、タイヴァスに問いを投げる文書だ」


 どこかから風が吹き込んで、私たちの足元を抜けた。カリは目を伏せ、唇を結ぶ。


「……ここで、私の名が加わったらどうなるか、わかってるでしょう」

「ああ、よくわかっている」

「それでも、あなたは私へ、これを渡しに来たんだ」

「そうだ」


 私は静かに述べた。カリの視線が、ゆっくりと私の目を見据える。怒りも、侮蔑もなかった。代わりにあったのは、深い困惑と、怯えにも似たなにかだった。


「私は、残ったんです。あなたたちのように去らなかった。タイヴァスに留まって、与えられた役目を果たしている。それが……私の道だと、思ってきた」

「それを否定する気はない。残ったおまえがいたからこそ、御輿は崩れなかった」


 私は一歩近づく。カリは身じろぎもせず、ただ私の手元の羊皮紙を見ていた。


「だからこそだ。おまえの名が必要なんだ、四。……これは、タイヴァンキに住むすべての者たちのための問いだ。タイヴァスに従う者であっても、答えを知るべき問いだ」

「……私を、裏切らせたいんですか」

「違う。これは忠誠のかたちを、もう一度問うための行為だ。私たちは、声を失っていてはならない。沈黙のままに、だれかひとりが闇に葬られるのを、ただ見ていることが――果たして正しい有り様なのか」


 言葉を終えると、カリはしばらく黙った。風が止み、時間が留まったかのような静寂。ためらうような間を置いてから、カリは口を開く。


「私が、初めて御輿を担いだとき、八歳だった」


 震える声でつぶやかれた言葉に、私は深くうなずき「よく、覚えている」と述べた。


「……肩が痛くて。すごく重くて。人前で表情を崩してはいけないと言われていて。でも、私は、最後は我慢できなくて。御輿を降ろしたとき、泣いてしまった」

「……覚えているよ。私が抱き上げた」


 カリは、肩を震わせて、うつむいた。いくらかの涙が降り落ちる。


「あなたは、家を恋しがって泣く私を、いつだって慰めてくれた。眠れないでいるとき、手を握ってくれた。あなたにとって、タイヴァスは家なのだと。自分の家なのだと言った。それは、嘘だったのだろうか」

「――本当だよ。四、本当だよ。私はずっと、ここで育ち、生きてきた」

「でも、もうあなたはいないじゃないか!」


 批難の色を宿した濡れた瞳で、カリは私を真っ直ぐに見た。私はその言葉を受けるべきものだと思った。


「あなたと並んでタイヴァスに、姫神子に仕えるのだと思っていた。なのに、あなたはいなかった。あなたが一の逃亡を手引きしたのだと聞いた。本当ですか? なぜですか?」

「本当だ。なにも言い訳することはない。シピがそれを望み、私がその道を指した。私は、その咎のゆえに放逐されたのだ」

「どうして! ここは、あなたの家なのでしょう!」


 その姿は痛々しくて、私はそれに返す言葉を持たなかった。なので、羊皮紙を持ったまま彼に腕を開き、抱きしめた。カリは泣いた。子どものときのように、私の腕の中で泣いた。


「……三十一年だ。私は、それだけの時をタイヴァスの中で過ごした。他を知らず、知ろうとも思っていなかった。――おまえとの時間を、たのしく思い出すよ。穏やかで、幸せな記憶だ」


 カリは私の肩に顔を埋め、鼻をすすりながら「じゃあ、どうして。私はあなたのようになりたかったのに。あなたはいないじゃないか」と言う。

 私はそれを肯定し、そしてゆっくりと告げた。


「……一は、シピという名のあの子は、外へ向かった。私の知らない場所へ。それは、私が思いつきもしなければ、望みもしなかったことだった。けれど、とても良いことだと感じたのだよ。私は、それを助けてやりたかった。御輿が重くて泣いたおまえを抱き上げたように。あの子には、扉を開いたのだ」


 カリはじっと聞いている。大きくなって、もう抱き上げることはできないので、私はその頭をなでた。


「私にとって、おまえも、あの子も、我が子なのだ。それに、他の三人も。……皆の歩む道を、祝福したい」


 カリは私の背中に腕を回し、力を込めて抱きしめてきた。顔はずっと私の肩に埋めたまま。そして言う。


「……いやだ。世話人殿は、私の世話人殿だ」

「ひさしぶりに聞いたな、その言葉」


 思わず苦笑する。四、カリは、とりわけ寂しがりやの甘えん坊だった。私の背を追ってタイヴァスに残ったのだと聞いても、そこに納得しかない。私は「手紙を書くよ」とその耳につぶやいた。


「それほどは、会いに来られないかもしれない。だから、手紙を書く」

「いやだ、毎日会いに来てくれないと、許せない」

「困ったな。ずっと許してもらえなさそうだ」


 カリは「許さないので、毎月手紙を書いてください」と言った。私は「そうしよう」と請け負う。


 彼は、私から体を離した。赤くなった目のまま、私の手にある羊皮紙を見る。私が差し出すと、カリは受け取った。そして、開封する。


「……どこに、署名を」


 私は空いていた行の上に自分の指を置く。そして「ここだ」と述べた。


 カリは無言でうなずき、寄進物の確認のために持ち寄った筆記具を取り出す。その筆跡はためらいなく、しっかりと最後まで刻まれた。

 四つ目の名前が記された巻紙を、私は丁寧に巻き戻す。


「……じゃあ、寄進物の点検をしましょう」


 ふてくされたように、カリは言った。そして私へ問う。


「もう、あなたは私の世話人殿じゃないですね。なんて呼べばいいですか」

「……ラウリ、と」

「わかりました。では、ラウリ。こちらの端からです。まずは小麦七袋。助かります。それに、乾燥無花果。好物です、ありがとうございます。それに――」


 私は笑った。この子は、きっとだいじょうぶだ、と。


 ――そして、それは一枚の布告だった。


 数日後の夕刻、タイヴァス本院の正門横の掲示板に、衛士の手で掲げられたその紙は、端整な筆致でこう記されていた。


――布告

タイヴァス本庁は、元「神の足」シピ・イェレ・レヘヴォネンに対し、以下の刑を確定せしめる。

一、当人は教規違反および庁規第十三条に定める「誓約義務違反」により、有罪と認む。

一、よって、シピ・イェレ・レヘヴォネンを無期の強制労働刑に処す。

刑の執行は今月中に始められ、当人は本庁管理下の労務所にて労働に服すものとする。

タイヴァス本院――


 告示は、それだけだった。


「罪に値するのか」

「なぜ非公開なのか」


 ――そのいずれにも、一切の言及はなかった。


 だが、無言は答えより雄弁であった。

 質問状の文面が公示されたのは数日前のことだった。四名の署名が並んだその書状は、抑制された敬意をもって庁の判断を問うものだった。だが、タイヴァスはこれに答えず、ただ沈黙を保った。そして今、あたかもそれとは無関係であるかのように、刑罰だけを一方的に発表したのである。

 間もなく、街のあちこちでさざめきが起きた。


「処されたのか」

「生きているのか」

「裁かれたというが、だれが? どこで?」


 問いは次々と立ちのぼるが、だれひとり答える者はいない。


 タイヴァスは、組織として語らず、反論せず、追及も許さない。その掲示の下に、沈黙だけが重ねられていく。


 私は掲示板を離れ、通りを一歩一歩進みながら、胸中で「タイヴァンキにおいて、言葉はかくも簡単に封じられる」とつぶやいた。


 四つの名前を載せたあの羊皮紙は、ついに返答を得ることはなかった。

 だが、沈黙は彼らの声をなかったことにはできない。

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