第六話 穢れ
シピにとって『神の足』であるのは、当然のことだった。
役に疑問を感じたことはなく、この世に必要であり、かつなによりも求められる責務だと考えていた。
それは、姫神子がまさしく神であることを前提とした価値観だ。
そのすべてが、崩れてしまった。
シピはずっと悩んだ。また、次の役のときにこれまで通りに果たせるのだろうかと。
ふと気づけば考えている。自分へと伸ばされた白い指先を。その感触を。眠れなくて、夜はずっと寝返りを打つばかり。朝ぼらけの時分にようやくうつらうつらとしては、オネルヴァという少女の夢で目が覚める。そんな日々を過ごしていた。
時はただ過ぎて行く。シピになんの解決策も結論も与えないまま。
ひとつ、抱き続けている疑問がある。
彼女は、神から人になったのだろうか。それとも、ずっと人であったのだろうか。
そんな折だった。
シピは、タイヴァスの従者から告知を受けた。
「姫神子は、穢れをまとわれた。明日の役にて、足の責は終わりとなる」
シピは、返事ができなかった。
急いで書庫へと向かった。そこには、幼いころから青年期までをタイヴァスにて過ごす『神の足』のため、多くの書物がある。従者たちの中で教育を司る者たちが、それらを用いてシピたちへと学を与えてくれた。それは、シピたちが『すべて』の役を終え、郷里へと帰っても生活できるようにとの配慮だ。
明日の役を終えると――シピたちは『胤』となる。それが、最後の役だ。
姫神子の『穢れ』とはなんなのか。
それは、血を流すようになることと聞いている。
シピは、タイヴァスで学んだことに一切の疑問を抱いていなかった。これまでは。姫神子についても。
月になぞらえられる姫神子は、新月の日のように身を隠す日が来ると。それまでの間は、まだ隠れていないことを示すために、人々の前を御輿にて通るのだと。そう聞かされて来た。
オネルヴァという少女について思う。彼女が穢れたとはどういうことなのだろう。そして、身を隠すとはどういうことだろう。
わからなくて、いろいろな書物を開いた。司書に何事かと尋ねられたが、はっきりと自分の中で言葉にできない問題のために、シピはなにも言えない。
司書はしばらくシピを眺めていたが、書物を元の場所へ戻すように述べた後、自分の仕事へと戻った。
シピがはっきりとわかっているのは、オネルヴァという少女は、今は人だということだ。
人についての書物を手に取る。穢れという項目を探したが、ない。それでもつらつらと目を通す。
あるところで、心臓が跳ねた。
それは女体に関する項目だ。
書架の前に立ったまま、シピはそれを熟読した。
血を流す――女性は、人間の女性は、体が満ちて子を産む準備ができると、血を流すのだという。
それは毎月のことで、月の満ち欠けになぞらえて、月経とも呼ばれる、と。
……目の前の文字が、揺らいで見える。
――これまで、姫神子が『穢れる』とはただの儀式的な意味だと思っていた。
しかし、違った。
これは生きた体の変化であり、彼女が『神』ではなく、ただの『人間の女性』である証拠だ。
シピは書物を閉じ、書架へと戻した。そして、そのままその書架へとうなだれかかる。
自分は、本当になにも知らない人間だとシピは痛感する。タイヴァスに女性はいない。なので、これまで知ろうと思ったこともなかった。
けれど――
ああ、オネルヴァ。あなたは、最初からずっとずっと、人間だったのですね。
神から人になったのではなく。
あなたは、人間の女性なのですね。
それなのに、神として御輿に乗せられて。
思考が、熱を持ったように軋む。
――ならば、今の自分はなんなのだろう?
神ではない、少女を担う、自分はなんだろう。
シピは、初めて『神の足』である自分自身を疑う。