三 再会
旅程のほとんどで私は無言を貫いた。その間、ファンニは度々訪れて私にまとわりついた。母ウルスラから「やらないよ。でも、好きに触っていい」と許可を得たからだ。
「ラウリ、これを着て」
隊列のどこかの馬車から取ってきた鮮やかな綾絹を風にひらめかせて走り、私の元へやって来る。私は取り合わず、ファンニが私にその布を巻きつけるのをじっとやり過ごす。ウルスラはそれを眺めて、ファンニの気が済んだころに売り物を元の場所に戻してくるように言うだけだ。
ウルスラの内縁の夫であり、ファンニの父親である男――背の高い茶髪を無造作に束ねた印象の薄い、シニサマラン商会においてウルスラの右腕として動いているヤルノという人物――は、その様子を見てもなにも言わない。
馬車が工業都市ラウタニエミに近づくにつれ、幌の隙間から見える景色は岩肌が多くなり、空には灰色の煙が遠く立ち昇る。
「今日中にでも着くね」
唐突にウルスラが口を開いた。小さく、けれども強い声音で。
私はあぐらをかいた膝の上の手を握った。指先は冷たく、しかし掌には汗が滲んでいる。ウルスラの元へ来てから多くの場所を巡ったが、この都市は初めて訪れる。幼いころタイヴァスで学んだ知識によって、ラウタニエミが十万もの人口を持つことを知っていた。だが、私にはその発展した街の様子を見てたのしもうという気持ちも湧かない。
今、ラウタニエミにはあの子たちがいる。――ほんの一年前まで私が『三』、『二』、『五』と呼んでいた者――今はそれぞれ本名のヴィエノ、イェッセ、ヨウシアを名乗っている、前任の『神の足』たち。私が若き日に育て、見守り、そして最終的には裏切った青年たちだ。
シピ――私が『一』と呼んでいた青年は、三であったヴィエノの手によって捕らえられ、タイヴァスに引き渡されたのだと、ウルスラから聞いた。
ヴィエノはすぐさまかつての『神の足』の同僚へと遣いをやって、集まれる者がやって来たのだ。ひとりだけ『四』だったカリという青年だけは、来られなかった。彼はタイヴァスにて、私が務めていた『世話人』の役に就いているからだ。タイヴァスから出られるのは、それほど多い機会ではない。
到着したのは夜。ゆっくりと蛇行する馬車の中から外を見ると、暗闇の中目に映るのは黒、赤、鉄の灰色ばかり。そして空気には喉に絡むような煤や金属の香りが混じる。日中は、きっとこの香りは強くなるのだろう。
騒がしい、まるで酔いどれの街だった。大きな通り沿いの店からはどこも明々と光が漏れていて、ガヤガヤとした声と食器が打ち合わさる音とが絶えず響く。炭鉱町からは少し距離があるはずだが、休暇中の鉱夫が真っ先に訪れる場所でもあるからだろうか、男性の姿が多いようだ。野太い笑い声がどこかから漏れ聞こえた。
「それなりにいい街だよ。ちょっと喧嘩っ早い人間が多いけれどね」
眠りに着いたファンニの頭をなでながら、ウルスラが私へ言う。私はうなずくともなしにうなずいた。
シニサマラン商会の拠点に到着し、馬車がするすると停車した。ヤルノがやって来てファンニを抱き上げ連れて行く。私は首の綱を引かれて、ウルスラに続いた。
部屋に入るなり、ウルスラは私の首輪から、綱を取り外した。驚いてウルスラを見る。
「行ってきなよ。南五十八番の家だ。旧交温めて来な」
そう言って、彼女は身に着けていた首巻きを取り去り、私の首元へと巻き付けた。奴隷の証を隠すためだ。
「……いいのですか」
「あたしから逃げられないのは知ってるだろ。だからいいよ」
それきり、私から興味が失せたように背を向けてどこかへ行ってしまった。私はその背に礼をつぶやいた。
夜の街をひとりで歩くのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれなかった。私は六歳のときにタイヴァスへ引き取られたし、御輿を担ぐ他、夜半に外へ出ることもない。他に行く場所もなかったから、神の足の役を終えてもタイヴァスに残ることを選んだ。よって、ウルスラに拾われるまで私はこの世を知らずに過ごした。
自分の容姿が目立つことは知っている。よって首巻きを少し持ち上げて、口元を隠した。私が神の足だったのは二十年も前のことだが、覚えている者がないとも言えない。ウルスラに言われた番地を探す。それすらも一苦労だ。
道を歩けば、多くの人とすれ違う。製鉄所帰りらしい煤けた男、商会風の身なりの男、旅芸人のような一座、よそ者の言葉で口論する者たち――この街には、さまざまな階層と事情の人間がすれ違っている。
窓から洩れる音楽や怒鳴り声の質が通りごとに変わる。場所によっては石畳は割れ、手入れされていない。しかし少し坂を登った先には、赤い煙突をもつ煉瓦建の官舎群が並び、下町とは違った秩序が漂っている。
途中、何人かの遊び女から声をかけられる。金は要らないとまで言う者もいたが、すべて通り過ぎる。南地区に入るまでに多くの時間を要してしまって、酔客が道に転がっているのも見慣れてしまった。
ようやくみつけた家は、工業都市に似つかわしい鉄骨煉瓦造の重厚なたたずまいの建物だった。横長で、もしかしたら複数名で住んでいるのかもしれない。中央部にある玄関をしっかりと叩く。訪問するには不躾な時間になってしまったが、私はそれを考慮できる身分ではない。ややあってから返事があり、扉が開く。怪訝そうな表情で顔を出した男性へ、私は言った。
「夜半に申し訳ない。急を要する話があり訪問しました。ヴィエノ殿はいらっしゃるだろうか」
男性は私の顔をじっと見てから「はい、ヴィエノさんとこに、たくさん人が来ていますよ。どうぞ。右奥七です」と招じ入れてくれた。私は礼を言って言われた扉へ向かって歩いた。
扉を叩く前に、息を吸って吐く。――あの子たちは、私についてなんと聞いているのか、とふと思ったのだ。
ためらいも大きな懸念の前には私の行動を抑制するものにはならない。私は先ほどと同じ要領で木製の扉を叩く。すぐに返事があり、扉が開く。
「アッシ、すまないが用事は今度にしてくれないか、今日は込み入ってい――どちらさま?」
出てきたのは茶色のくせ毛の『三』――ヴィエノだ。想定した人物とは違う私が立っていたものだから、真顔で硬直する。
私は乾いた口で、言った。
「ひさしぶりだ……『三』。元気にしていただろうか」
ヴィエノの瞳が私を認識したように色を濃くする。彼の漆黒の目はまっすぐでキレイだ。彼は口を叫ぶような形に開け「うぉあああああ!」と言う。ヴィエノの様子を見に来た金髪の青年も、私の顔を見て固まった。ヴィエノはため息をつくように言った。
「……世話人殿!」




