序
おひさしぶりです
最終話で予告していた後日譚『この手にある幸せ』です
月水金の7:00更新です
よろしくお願いいたします
「愛しているよ」
彼女はそう言う。毎朝、毎夜。そして私へ口づけ、屈辱的な行為を強いる。私は従順であった。なぜならそれが条件だから。
私は、逃がしてやりたかった。若い二人を。娘と、息子のように思う青年と。なので自分から彼女へ頭を垂れた。後悔はそこにない。きっと幸せになるだろう。私の分までも。
彼女は言った。
「これでやっと、あんたはあたしのモノだね、ラウリ」
それは愛ではない。
そんなことは、知っている。
日ごとに彼女の気に入った服を着せられ、連れ歩かれる。じろじろと無遠慮な視線が集まり私を探る。彼女には内縁の夫と子がすでにあるから、私の立場は夫ですらない。
彼女の生活を彩る人形。その表現が一番ふさわしい。私はそうあろうと、とりわけ彼女がよろこぶ無表情という仮面をかぶる。
「今でも思い出せるよ。神の足だったときのあんたを。そりゃあ、本当にキレイだった。五人の中で、あんたが一番キレイで、無表情で――……あたしを見なかった」
御輿を担いだ日々など遠い。それでも彼女はそれを、昨日のことのように語る。
その記憶は改ざんされている。実のところ、足はだれしも無表情を貫くし、練り歩く街路脇の聴衆になど目もくれない。彼女を見なかったのは、私だけではない。そう訓練されている。
なので私は、昔も今も、彼女に都合よく飾られている。
選んだのは私だ。この生活を望んだのは私だ。きっと幸せになったと、若者たちのことを遠く思っている。
私が娘と青年を逃がし、そのゆえに責を問われタイヴァスを放逐されたのは、もう一年も前のことだ。
その際に私は市民権を剥奪された。タイヴァスに仕えた年月はないものとされた。それまでもこの手になにも持たぬ生活だったが、身包みも剥がされ下着姿で街を歩いた。
手を差し伸べたのは、彼女だ。
そういう手筈だった。
以来、私――かつてラウリ・スレヴィ・ケシュキタロとの名を持ちタイヴァスに仕えていた者は、彼女、ウルスラ・ティーラ・ホラッパの愛人として囲われた。自由のない生活。しかしそれはタイヴァスという籠の中の静謐さとは違って、猥雑で、下品で、醜悪だ。
私は飼い犬のように専用の首輪と縄でつながれている。その先は必ず彼女が握っている。タイヴァンキにあってすべての権利を失った私は、そうされるのが当然なのだ。もう慣れた。すべてに。壊れるような矜持も根本から拭い去られ、さながら本当に私は飼い犬なのだろう。耐えているとの感覚すらももはやない。
彼女はどこでも気分にまかせて私にまたがるし、私が乗ることも求めた。私は避妊薬を飲まされていて、子ができる心配はない。だからその行為は生殖ですらなく、ただの動物じみた茶番だ。
「愛しているよ、ラウリ」
その瞳の熱は、愛ではない。
ただの妄執。
同じ日々の繰り返しだ。だから、夏のまぶしさに目を眇めることはあっても、心を動かすことはなにもない。
彼女の夫がやって来た。常日頃から彼の視界に私は存在しない。なのにその日は彼女へ歩み寄る際に私へと目線をくれて、顔色を伺うようにじっと見た。
そして、すっとなにかを彼女へ耳打ちする。彼女は瞠目し、夫と同じように私を見た。
「――ラウリ。あんたに報せがあるよ」
まるで私が、そこに在ることを赦されているかのように。意志を持つことを許可されているかのように。この生活になって初めて、投げかけられた人間への言葉だった。
「あんたにとっていいのか悪いのか、あたしにゃわからんねえ。――あんたの娘の王子様が、帰ってきたよ。タイヴァンキに。ひとりでさ」
私は、とっさにその言葉を受け止めきれなかった。彼女はつぶやいた。
「……ああ。憎たらしいねえ」
鼓動が耳奥で響く。喉が干上がるように乾く。信じたくなくて、目まいがする。
「あんたにそんな顔させられるのが、あんなガキンチョだなんてさ」
登場人物
・ラウリ・スレヴィ・ケシュキタロ(男性・38歳・先々代の『神の足』のひとり。先代『神の足』であるシピたちや『姫神子』であったオネルヴァの『世話人』。オネルヴァの実父。シピとオネルヴァがタイヴァスから逃げた際、その責任を問われ、タイヴァスから放逐される)
・ウルスラ・ティーラ・ホラッパ(女性・35歳・三代続く豪商『シニサラマン・コンソルティオ(青雷光商会)』という商会の長。30年ほど前からラウリへ一方的な執着愛を抱いている。放逐されたラウリを拾い、愛人として囲う)
・ヤルノ(男性・40歳・ウルスラの内縁の夫。シピと面識はある)
・ファンニ(女性・8歳・ウルスラとヤルノの娘)
・マンネ(男性・54歳・唖者。シピがシニサラマンに帯同したときに世話していた)
・シピ・イェレ・レヘヴォネン(男性・20歳・宗教国家タイヴァンキの中心、タイヴァスという宗教施設で幼い頃から『姫神子』に仕える『神の足』の『一』として育てられ、仕えてきた。18歳のときに『姫神子』であるオネルヴァが、非人道的な扱いを受けていることに気づき、オネルヴァとともにタイヴァスとタイヴァンキから逃げる。しかし隣国が背教者であるシピを受け入れると、タイヴァンキへの内政干渉になるため、オネルヴァのみ亡命させた。自分はタイヴァンキへ戻り、タイヴァスからの裁きを受ける)
・イェッセ・ローペ・トゥオミコスキ(男性・24歳・先代の『神の足』の『二』。金髪で美しい青い瞳。写字生)
・ヴィエノ・ヤリ・スオマライネン(男性・21歳・先代の『神の足』の『三』。クセの強い茶髪に黒目。博物館学芸員。国外へ逃亡した後にタイヴァンキへ戻った元同僚のシピと再会し、背教を知って拘束し、タイヴァスへ引き渡した)
・カリ・サミ・ライネ(男性・19歳・先代の『神の足』の『四』。癖のある黒髪に翠の瞳。タイヴァスに残り、新しい『神の足』の世話人のひとりになった)
・ヨウシア・イーヴァリ・キルピヴァーラ(男性・22歳・先代の『神の足』の『五』。赤毛に深い蒼の瞳。金細工人)




