第五十三話 犠牲
街の名前はラウタニエミ。鉱山が近くにあるため、工業都市として栄えている。タイヴァンキに並んで大きな街だ。ヴィエノはタイヴァスを出た後、この街に根を下ろして働いているのだという。
ヴィエノは雄弁だ。歩いて街中を紹介しつつ、自分や他の神の足仲間たちの近況を話して行く。四人は定期的に連絡を取り合っているらしい。タイヴァスに残ったのは四のみ。二と五も、それぞれが述べていた道を進んだ。揚々とそう述べるヴィエノは、今の生活に満足しているのだと目に見えてわかる。
ヴィエノの家は中規模で、使用人を男女で二人雇っている。シピは、そのうちの男性に文字通り磨かれた。湯をいくらかけても垢が出るので、いっそ滑稽なほどだ。使用人男性は辟易としたように首を振った。
やっと風呂から出れば、今度は女性の使用人にいいように飾られる。彼女はしきりに飾り甲斐があるとつぶやいている。みすぼらしかったシピの風体はもはや南国の王族のようで、自分で苦笑いしてしまう。
整えられた夕食も、とても豪盛だ。タイヴァンキに戻ってこんな歓迎を受けるなんて予想もしておらず、シピは後ろめたい気持ちになる。どれもこれも、オネルヴァに食べさせてあげたいと思う。それで、口へ運ぶのをためらう。そんなシピを見てヴィエノは言った。
「口に合わないか? タイヴァスではこんなのは出なかったものな」
「いや、美味いよ。ただ、私がこんなにもてなしを受けていいものかと、思ったものだから」
「いいに決まっているだろう。死んでしまったと思っていた友人が無事で現れたんだ。本当は宴を開きたいところだよ」
再会を真っ直ぐによろこんでもらえて、心がくすぐられるようだ。どうやらタイヴァスは、シピが致命的な感染症に罹ったと仲間たちへ告げたらしい。そのゆえにあいさつもなく、緊急に辞したのだと。
そして、ヴィエノの言動の端々から感じることを、シピは尋ねた。
「……私が辞した後……器の儀は、どうなったのだろうか」
「いち……シピがいない中、四人で務めた。無事に新しい姫神子を迎えたので、私たちも辞したのだ」
はっと、ヴィエノに悟られぬように息をつく。
――その儀の器とは、だれだ。
オネルヴァではなく、だれなのだ。
「あの……シピ。残念だったな。役を果たせず……無念だろう」
気遣うように、声をひそめてヴィエノは言う。シピは、その言葉になにも返せない。
ヴィエノは、そして他の三人も、シピと同じ結論には至らなかったのだ。姫神子は人であり、尊厳を損なうかの儀は、決して容認できるものではないと。そうは思わなかったのだ。けれど、ヴィエノたちが接したのはだれだったのか。器の儀に用いられたのはだれだったのか。シピはぐるぐると考える。オネルヴァではない。おそらく代役だ。
そのことはシピを身震いさせる。代役が可能だったのだ。オネルヴァでなくともよかったということだ。であれば、なぜオネルヴァはあのように生まれてからずっと閉じ込められていたのか。その意味は。いうなれば歴代の姫神子も、そうして代えが利く存在だったのだ。であれば、姫神子の意義は。――タイヴァスは。
シピが考えに沈み答えないことを肯定ととり、ヴィエノは長い睫毛を伏せて沈痛な面持ちになる。シピは、踏み込んで尋ねてみようかと思う。そうしない方がいいと心のどこかでは感じている。けれど、潔癖に過ぎるシピの魂は、結論を欲している。
「――器の儀は……器である姫神子は、どのようだった?」
自分の声色にひりつくような鋭さを覚える。けれどヴィエノはそれを感じた様子もなく、ほほ笑みすら浮かべて言うのだ。
「ああ、おまえもそれが気になるよな」
その黒い瞳は、どこか夢見がちに遠くを見ていた。その頬に赤みが差すのを見て、シピは寒気にも似た疎外感を覚える。……急に、ヴィエノが遠い存在になってしまった錯覚に陥る。
「――正直なところ、あれほど快い経験はもうできないだろうと思う。人間の女性との交わりも似たものと聞いていくらか試したが、まるで子ども騙しだよ。なるほど、神の足とは、あの快を受けるに相応しい人物を育てる仕組みなのだ。やっと理解できた」
……泣きそうになった。――ああ、こうやって、タイヴァスは存在してきたのだ。
だれも、疑問を持たずに。
シピがなんの感想も述べないことに、居心地の悪そうな表情でヴィエノは話題を変える。
「……で、シピよ。おまえは、どうしてきた? 病気はもう、すっかりいいのか? むしろ、前よりもたくましくなっているようだぞ」
シピはやはり泣きそうになりながら、それに答える。ああ、三。ヴィエノ。おまえともここでさよならだ、と心でつぶやきながら。
「私は……病気などではなかったよ。逃げたのだ」
「……なに?」
「神の足であることも、胤と呼ばれることも、器の儀も――すべてがもう、耐えられなかった」
なにかを言いかけたように唇を開けて呆けた表情で、ヴィエノはシピをじっと見る。しばらく沈黙が部屋を支配し、シピの言葉を飲み込み損ねたヴィエノが呆けたまま尋ねる。
「――なに? なにを言ったの? 逃げた? なんのこと?」
「私は、おまえたちが成した器の儀を、拒否したのだ」
オネルヴァの代役となったのはだれだったのだろう。シピは今後それを知ることはないだろう。それでも、形のない後悔と弁解の気持ちが生じる。まさか、器たるオネルヴァが消えた後に、そうしてだれかが犠牲になるとは考えもしなかった。
ヴィエノは、はっきりとシピが述べた後もそれを理解した様子はなかった。シピは握った拳をそろえて、ヴィエノへ差し出す。
「――おまえが、私に縄をつけてくれ。そして、タイヴァスへ報告するのだ。……逆賊シピ・イェレ・レヘヴォネンを捕らえたと。それで、おまえに咎が及ぶことはないだろうから」




