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第五話 人肌

 今日は宵闇。月のない日に御輿を担ぐ。それが古来からの習わしで、シピは連綿と続くその環に組み込まれている。

 御輿の間の六つの柱には燭台がある。薄ぼんやりとした灯りに照らされ、御輿は高い台に鎮座している。担ぎ手である足たちは、それぞれいつもの位置に着く。

 一であるシピが、御輿の先頭にある垂れ幕を体に巻きつける。それが姫神子を乗せた御輿の一部であると示す徴だから。正しい着用であるか姫神子の専属の従者が確認し、是認する。そこまでが準備だ。


 垂れ幕はすでにシピの体に沿うように馴染んでいる。それほど長く使い続けたものだ。いつもならば自然に体が動くのに、まるで初めて手に取るようにシピは惑う。声には出さないが、二は心配そうな視線をシピへと向けていた。


 シピは深呼吸をすると見せかけて、御輿を振り仰いだ。じっと見つめる。幾重にも垂れる薄絹の奥には、姫神子が――オネルヴァという名の美しい人がいる。

 その姿は薄絹に隠され、影すらも映らない。それでも、目が合った、と思った。気の所為だとは思いたくなかった。

 そう考えたことをだれかに気取られぬように、シピは無表情のまま垂れ幕をまとい、御輿の一部となる。


 いつもと同じ従者が、シピの装いを確認する。その時間が永遠にも思える。いつもと同じはずなのに、なにか見知らぬ儀式に連れ込まれた気分だ。シピの着衣を直す黒髪の頭が上がり下がりするのを、不安な気持ちで眺める。

 やがて、従者は壁際に下がる。それが是認だ。シピが担ぎ棒を左肩に当てると、他の四人も各々自分の責を担う。シピが右腕を上げ合図する。そして御輿が持ち上がる。


 けれど、違う。なにもかもが違う。

 シピは今、御輿に乗る存在が、だれなのかを知っている。


 肩に食い込む軽やかな重み。これまでは意識しなかった、後頭部に感じる視線。決して嫌なものではない。そちらに思いを取られぬようにと考えても、上の空でいつのまにか考えてしまう。それでも、慣れた体は自然に役をこなしていく。


 街道沿いで御輿を見送る人々は、月のない夜に月を模した飾りを身に着けている。それは姫神子を象徴するものだ。暗い夜道を照らす一条の光として。月のない夜に御輿は担がれる。姫神子はそのような存在だった。

 街道をくるりとひと往復。それだけ。ときおり赤子の泣く声が上がる他は、群衆は静かに見守る。月がただ人々の足元を照らすのみで、決してなにも言いはしないのと同じで。


 長い夜だった。いつまでも歩いていられると思った。これまでは、ただ義務感で御輿を担いでいたのだとシピは気づく。

 けれど、今のシピは違う。

 心が熱を帯びている。御輿とのつながりが、ただ垂れ幕によるものではないと思う。

 およそ一時間半。いつも通りで違う、いつもの役を終えた。


 御輿台へと、いつも通り御輿を安置する。垂れ幕を脱いで元通りにするシピ以外の足たちは、御輿へと片膝を地に着けた礼を取ると、声もなく去る。シピも同じく片膝を着いた。そして立ち上がり、垂れ幕を脱ぐ。

 ことさらゆっくりと、けれど遅過ぎはしない速度でシピは布を身から取り去った。形を整えて床に垂らす。そして、御輿をじっと見上げた。

 それは不思議な時間だった。きっと数分の出来事なのに、永遠に思える。シピは薄絹が動くのを、幼いころから待っていた。そして。

 音もなく絹が動く。シピは硬直する。白い指先が、小さな左手が、シピの褐色の肌へと伸ばされる。

 ただ少し。触れただけだった。シピの鼻梁に。鼻先に。

 まばたくことさえ許されぬように、シピは息を殺した。触れた指先は、ほんの少し冷たく、けれどあまりに軽かった。

 やがて、なにもかも幻だったと言いたげに、薄絹の中へとその手は消えた。


 ああ、ああ。シピの心が熱を持っている。ああ、ああ。それをどのように言い表せばいいのかシピにはわからない。

 ただ叫びたい気持ちがシピを突き動かす。シピは自分が震えているのを感じた。


 後退りし、シピは逃げた。シピは知ってしまった。本当に、わかってしまった。

 オネルヴァ・リューリ・ケスキタロ。


 あなたは、人肌を持つ、ただの少女だ。

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