第四十七話 役
シピとオネルヴァは、国境警備隊の詰め所から近隣の村へと移送された。重々しい移動で、ウルスラの先導でキヴィキュラを目指した道中を思い起こさせる。しかしあのときのように速さを重視した移動ではなく、オネルヴァの体調に配慮しゆっくりとした行程だった。
連れ込まれたのは警備隊の関連施設だ。その一室にシピとオネルヴァはていねいに閉じ込められた。窓も扉もあり、外を見たり部屋から出ることは許可されている。しかし施設内から立ち去ることは決してしてはならないと噛んで含み言い聞かせられた。立場上それはしかたのないことだろう。
医師が『シルタ』へ連絡し、いくらかの日数が経った。医師の名はアノ・ニコデムス・アハティアラ。シピは警備兵たちに倣って「アノ先生」と呼ぶようになった。
国境線での役に着いている彼だが、シピたちの身の上から村医者へオネルヴァを託すことはできず、ともに村へ滞在することになった。
彼の存在は現在のシピにとって精神的支柱となっただけでなく、実際の助け手でもあった。浮き沈みの激しいオネルヴァの体調に一喜一憂するシピを、日々叱り飛ばしてくれたのは彼だ。
「お父さんまで具合い悪そうな顔してどうすんの。奥さんが不安になるだろう。妊婦が体調不良なのは普通。こーゆーもん!」
彼はあくまでシピのことを「お父さん」と呼ぶ。それはきっと、自覚を持たせるためなのだとシピは思う。心から、ありがたいと思えた。これまでもシピはただひとりではなかったが、守るべき者が増えたのだ。自分の身に変化はないシピには、それを実感するのに時間を要した。
一週間。村での生活がちょうどそのくらい経過したころ。アノ医師の連絡を受けて、シルタの成員がやって来た。
それはとても物々しい雰囲気の団体だった。見るともなしに窓の外を眺めていたシピは、建物へ近づいてくる一隊に目を丸くする。武装しているわけではないが、旅慣れた者特有のしたたかさがそこにある。足取りに迷いがない。ウルスラみたいだ、とシピは思った。しかし、彼女のように自由闊達なのではなく、無言の組織だった行動を感じさせる。
ひとりが窓から見ているシピに気づいた。じっと値踏みされるような視線を浴び、シピはいたたまれなくなる。その後すぐに彼らは、旅装を解く間もなくシピとオネルヴァの元を訪れた。アノ医師もそこに同席する。全員で六名で、椅子が足りないため席に着いたのはひとりだけだ。
「シピ・イェレ・レヘヴォネン。そしてオネルヴァ・リューリ・ケスキタロ。その御両人で間違いありませんね」
「はい。私がシピで、こちらが妻のオネルヴァです」
椅子に座った金髪をひとつにくくった中年の女性が尋ね、シピは卓越しに名乗る。オネルヴァは多くの人に囲まれて怯え、隣りに座るシピへしがみついている。その様子を見てか、女性はやわらかな声でほほ笑んだ。
「ヴァパウス・ヤ・ホイヴァ・シルタ、通称『シルタ』の難民支援担当官マリッカ・メルヴィ・サイヨンマーです。驚かせてしまったらすみません」
「いえ……問題ありません」
「さっそくですが、いくらかお尋ねしたいことがあります」
シピはオネルヴァを腕に抱いたまま椅子へ座り直す。自然と背筋が伸びて動悸が速くなる。
「……お話しいただく内容はすべて、あなた方の保護と判断のために用いられます。この会話は記録されますが、黙秘する権利も、もちろん尊重されます。よろしいですか?」
――物事が確実に動く音がしたと感じた。シピはオネルヴァを見、そして女性へ向き直って、しっかりとうなずく。
「では、生年月日を。そして出身地」
「レンド暦842年6月索の日。タイヴァンキのスニシオ。オネルヴァは……わからない。けれど840年代の中頃と思われる。出身は、タイヴァス」
立ちながら速記している者がいる。シピはその器用さを感心して眺めた。女性は続ける。
「あなたたちがタイヴァンキからこちらへやって来たのはなぜですか」
「タイヴァンキでは安寧を得られない。私は、オネルヴァとともに逃げて来たのだ。二人で役を放棄している。あのままあちらに留まれば、やがて見つけ出されタイヴァスへ連れ戻されていたと思う」
言ってから、具体性にかける言い方だったと反省する。しかし、今必要なのは言葉の機微を整えることではなく、シピ――いや、オネルヴァのこれまでの状況を正しく伝えることだとシピは思い直す。
「なぜタイヴァスから逃れる必要があるのでしょうか」
「オネルヴァが就いていた役は、まるで彼女を人ではないかのように扱うものだった。私は、それは正しくないと思う。オネルヴァに働きかけたところ、私とともにタイヴァスから出ることを承知してくれた。彼女をあの場所に戻したくない。その一心だ」
女性はしばし黙り、速記の音だけが部屋に響く。それが止まったときに、女性はもう一度ひたとシピを見つめて、尋ねる。
「その……オネルヴァさんが就いていた『役』とは」
ぴり、と空気が張り詰める。全員の視線がシピとオネルヴァに注がれている。シピは息を吸い込んで――そして、告げた。
「タイヴァスの『姫神子』だ」
だれかのうめきが聞こえる。アノ医師が眼鏡を外して眉間を揉み、うなだれる。声なき声が部屋に充満したようだ。オネルヴァがシピの胸に顔を埋めた。
「……ああ、もう。本当に」
しばらくの後、女性は天井を仰ぎつつぼやく。
「――……毎度のことながら、大物を釣り上げてくださいますね、アノ先輩。素敵なご紹介をありがとうございます」




